胸がぐっと熱くなる…。人間賛歌に溢れたシリーズ第三弾登場!『本所おけら長屋(三)』/畠山健二著


昨年の夏刊行された『本所おけら長屋』は、なんと著者の畠山先生にとって小説としては二冊目の書き下ろし、時代小説としては一冊目の本でした。それが、なんとその一冊目から火が付きシリーズ化、今月には、早くも三弾目が刊行されました!

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江戸時代後期のお江戸は本所亀沢町にある長屋、「おけら長屋」で繰り広げられる物語。笑いあり泣きありの躍動感あふれる時代小説ですが、毎巻その勢いは増すばかり。今回の三巻もまた素晴らしいお話の嵐になっています。
こうして並べてみますと、いよいよ「シリーズ」という感じがしていいですね~~。毎回寄せてくださる百田尚樹先生の帯文言がまたたまらん!ですね。

今回は、はからずとも「親と子」について考えさせられるお話が揃ったような気がしますね。親子のきずなというのは、いろんな場面で試されたり、確認されたりしますけど、今回はそれを強く感じさせてくれる部分がたくさんあります。

たとえば、「こばなれ」では、江戸時代版「教育ママ」が登場します。息子の武士としての立身出世を願うあまり、それ以外は見えなくなってしまっているお母さん。そして、武士としては役に立たないかもしれませんが、噺家としての非凡な才能を持ってるんじゃないかと思わせる少年…。

「ふろしき」では、血のつながらない息子が生まれて喜びながらも、子を持つ責任を感じるあまりに、間違えたことをしでかしてしまう父親。

そして「てておや」では、二組の「父と娘」が登場します。母が死んで初めて父がいることを知った娘と、その存在を初めて知った父親。医師になりたいと頑張る娘と、心配なあまりに反対する父親。

さまざまな形の親子の愛情を、先生の筆が鮮やかに描き出します。ほんと、ぐっときてしまいます!!

このぐっとくるところも、人によって違うんだろうなあ。

私は、私事で恐縮ですが、最近父親との関係に少々問題がありましたので、「てておや」を読んで感動したと同時に、とても反省してしまいましたね。父にもっと感謝しないといけない、と心から思いました。

先生の小説を読んでますと、素直にそんな風に思えちゃうんですよね。押しつけがましくない、共感でもって説得されてしまう、そんなかんじ。先生のお作は、とにかく台詞回しが最高に面白いんですが、それに笑ったり泣いたりしているうちに心から余分なものが洗い落とされて、シンプルに、素直になれるのかもしれません。
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畠山先生は、東京目黒区生まれの、本所育ちで現在も在住という、問答無用の江戸っ子です。本書の主役ともいえる「万松」こと、万造と松吉は、まるで先生の分身のよう。お酒と女が好きで、下ネタと洒落が大好き。

今回のご本も、そんな先生だからこそ描き出せる、珠玉の短編集になっていると思います。

ぜひぜひ、お手に取ってみてくださいね!

 

それから、明後日18日。大阪の紀伊国屋書店本町店さんにて、トークショー・サイン会が開催されます!!

関西周辺の方、ぜひ足を運んでみてくださいね~!
先生のトークがまた最高に面白いですから!

ちなみに、15日に東京曳舟で開催されたサイン会は、大成功でした!多くの方にお集まりいただき、とても素晴らしい会になりましたことを、ここでご報告するとともに、スタッフの一員として感謝申し上げます。


紀伊国屋書店本町店

http://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Honmachi-Store/20140901175852.html

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第十二回「お身代わり その二」掲載!!


お盆の時期、皆様いかがお過ごしでしょうか。

私が住んでいる地域は、お盆は7月なので、ごくごく普通の週末を過ごしています。

改めて大人になってふと考えてみると、お盆というのは、いい習慣ですよね。年に一度、祖先が子孫のもとに還ってくる……。 本来は盂蘭盆会(うらぼんえ)、仏教的行事ですが、その由来や意味をよく知らなくても、「おばあちゃんが帰ってくるよ」なんて子供のころから言われて、仏壇の前で手を合わせて来た人が多いのではないでしょうか。

そして、少し思い出話をしたり、知らない大叔母の話を聞いたり、めったに会えない親族にあって近況を報告したりする。

自分がここにいる少し前の小さい「歴史」を、いろんな軸で実感するようなとき、ともいえるかもしれないですね。

さてさて。そんなわけで。

早いものでもう一月が経ちました。

お手伝いさせていただいてます中村彰彦先生の「疾風に折れぬ花あり」が掲載されております『文蔵』9月号が発売されておりますよ~! 20140817

武田信玄の末娘、松姫が主人公の、本作。

戦国時代だから仕方ない、のかもしれませんが、それにしても物語が始まってからずっと畳みかけるように押し寄せる、怒涛のような不幸の連続には、息つく間もありません。

繁栄を極めた武田家ですが、信玄が急死してから一気に滅びの道をひた走ります。

そして瞬く間に織田家に滅ぼされてしまった甲州武田家。松姫さんはまだ21歳ですが、兄たちから「生き延びて武田家の血を残してくれ」と、幼い姫たちを託され、隣の武蔵国へ逃げ落ちました。そして死んでいった武田家の人々を弔いたいと出家し、「信松尼」と名乗るようになりました。

信松尼さんの望みは、仏道に勤しむことで、死んでしまった親兄弟、そして祖先を弔い、あの世でちゃんと成仏させてあげること。言い方間違ってるかもしれませんけど、あるい意味「ひとり盂蘭盆会」です。そして、もう一つの願いは、手元に残された姪たちを無事に育て上げること……

しかし、この細やかな願いも、血筋もとっておきで美女である松姫さんです。なかなか世間がほっといてくれない。

そして、問題の徳川家康さん(女好き)が登場。

前回では、女狩りをして、武田家の家臣だった人物の未亡人だけでは飽き足らず、ついに松姫さんの存在に気付き、追っ手を差し向けてきました。

それに気付いた松姫さんの侍女・お竹さんは身代わりを志願、武田家ゆかりの女性という触れ込みで、家康さんの側室になりました。

これでもう大丈夫かな、と思いきや、そうは問屋が卸さない。

やはり、本当のお姫さまである松姫さんを落としたいわけです。「武田家と徳川家の血筋を兼ね備えた子供が欲しい」という建前がありますけど、正直、それは本当に建前ですよ。ねえ。

そして、またもや使者が訪れます。今度は直球に聞いてきます。「ここにおわすは、信玄公の五女、松姫さまではないのか」と。

ここで、腹を決める家臣一団。自分たちが仕えているのは松姫さんであることを認め、ある思い切った「大ウソ」をつくのですが…

まさに、捨て身の大ウソ、いや奇策です。その奇策とはいったい~!??

…ぜひ、誌面でご確認してくださいまし!

(むとう)

命の気高さ――保護された犬たちの美しいポートレート集『SHELTER dogs』/トレア・スコット著(山と溪谷社)


昨日、入魂の一冊が無事に予定通り責了できたので、今日はお仕事は休んで部屋の掃除。本棚を整理していましたら、久しぶりにこの本が目にとまりました。

20140816サラリーマン時代に担当した写真集『SHELTER dogs』です。思い出深い大好きな一冊!!

2009年発行なので、もう5年前になりますか~。
月日が経つのは本当に早いですね。

さて、この写真集は、アメリカのシェルター(保護施設)に収容された犬たちのポートレート集です。

著者のトレア・スコットさんはファッション誌出身の写真家。

動物が大好きで、たまたまシェルターを訪れて、多くのシェルタードッグたちと出会います。犬を引き取るだけではなく、ネットや記録に載せるための写真撮影もうけおうようになり、里親に出会って自由になる幸運な子たちだけではなく、次々と安楽死させられてしまう現実を前に、「イヌたちの本当の姿を映すポートレート集を撮ろうと決めた」(P90より引用)といいます。

彼女の言う「本当の姿」とは、哀れな、絶望している姿ではなく、それぞれの犬が本来持っている個性のことで、もっと言えば「魂の輝き」「存在の確かさ」のこと。

「私にとって、これ以上シンプルで本当のポートレート集はない。やることはほとんどない。なぜなら、私の被写体はすでに美しく、生きる力に溢れ、アップ写真がとれる準備ができているのだから」(P90)

実際のところ、彼女の言う通りの素晴らしい写真がずらりと並びます。
気高く美しいイヌが56匹。

もともとこの企画は、愛すべきボス・Kさんの企画で、引き継がせていただいて一緒に作った一冊なのですが、初めてこの写真集(すでにアメリカで出版されたもの)をKさんから見せていただいた時、大袈裟な表現でなく、瞬きをするのも思わず忘れて見入ってしまったことを覚えています。

写真集というのは、商売として考えると大変困難な道なのですが、しかし、これは出さなくてはいけない本だ、と思いました。Kさんもそういう思いで企画を通されたと思います。

とにかく写真が素晴らしい。

この素晴らしさをより魅力的にすべく、日本の印刷技術のお家芸、とでもいうべき素晴らしい表現力で、もっといいものにもっていこう、とKさんと相談。

取り寄せたデータは、印刷された状態から想像していた通り、かなり青い方向に寄っていたし、ものによって方向性にばらつきがあったので、スコット氏の代理者に確認してより温かい色味、美しい毛並みを表現できるように調整させていただくようにしました。

私たちがもっとも気にしたのは、スコット氏のことばにある「憐れみを誘うような」存在なのではなく、見た人が「虐待された生きものたちに美しい魂が宿っていることに気付く」写真である、という点。

寂しそうな、悲しそうな、そういう写真ではないということ、それを表現したいと考えたのですね。

そこで、Kさんだけでなく、大先輩で師匠と仰ぐEさんにみていただきながら、作り上げていきました。

今改めてみてみると、自分で言うのもなんですけど、この写真集、やっぱいい!!

写真やテーマ性がいいのはもういうまでもありませんが、写真集表現としての状態もかなりいい!!
白表現、毛の質感、温かく気高い感じがよく出てます。また黒部分もいい。奥行きのあるいい黒。いうなれば温かい黒です。

KさんとEさんという、偉大な先輩がいっしょにやってくださったからこそ出来たことではありますが、この本にかかわった自分を褒めてあげたくなりましたよ。

最後に、印刷立ち合いをした時のこと。一緒に来てくださったEさんが、ニコッと微笑んで、

「むとうは本当にいい経験をした。こういう写真集をつくれるというのは幸運なことだよ。いつかこの写真集を作ったことを誇りに思うと思うよ」

そう言っておられたのを思い出します。

本当に、おっしゃる通りです。

何度見ても、感動できる写真集にかかわれた私は幸運者だなあ。そしてお仕事振ってくださった元ボスKさん、師匠Eさんに改めて心からの感謝申し上げたいと思います。

本書は、日本の現状もお伝えしたいと思い、短くではありますが、日本の保護施設がどうなっているか、保護された犬や猫はどういうシステムにのせられてしまうのか、そういうことも取材して補足しています。

ぜひ、お手に取ってみてください!

(むとう)

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第十一回「お身代わり」掲載!!


先日、大学時代の友人たちと久しぶりに会ったときのこと。

途中までは、のほほんと「いや~、みんな若いよ、変わらないね~」なんて、ちょっと余裕のある大人発言を機嫌よく繰り返しておりましたが、後半、なぜだかみんなで卒業アルバムを見始めて以降、すっかり酔いがさめました。

すっかり忘れておりましたが、私が通っていていた大学は、皆さん育ちがよく経済状況もよく、「綺羅の空間」だったんです。

そんな中で、私は「醜いアヒルの子」。きれいな人たちの中で、呆然とたたずんでいた、というかんじだったんですよね。

しかし、あまりにかけ離れると、嫉妬など浮かぶ間もなく感心してしまい、心から「すごいなあ」「育ちがいいってのはこういうことなのか」と思っていたのでした。

卒業アルバムを見ていると、そんな風だったことが一気に思い出され、自分の太ってパンパンな写真を正視できず、酔いがさめると同時に、周りの女の子たちの美人比率の高さに、改めておののいたのでした。

こんな中で過ごさなくちゃいけなかったなんて、わたしって不憫。っていうかエライ。よく頑張った!と、かつての自分に言ってあげたい気持ちになりました。

それはともかく。

当時、観察していて面白かったのは、美人であるということは必ずしもいいことだけじゃないんだな、ということでした。
誰が見ても美人という子は、ちょっと敬遠されたり、あるいは今風に言うと「トロフィーワイフ」じゃないですけど、肉食系な男のひとたちにとっての勲章みたいな、「戦利品」のようになっていたりして…。だから、自分が選ぶ前に男性チームのほうで候補者を決めていて、なんとなく押されてその人と付き合ったり。まあ、「アヒルの子」チームの人間からしたら羨ましい話なんですけど、結果的にけっこう大変な目に遭ったり、幸せになっているわけでもないのを見ていて、「美人ってのも大変だわねえ」と、これまた感心していたのでした。

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さて、前置き長くてすみません。なぜこんなことを思い出したかというと、毎月お手伝いさせていただいております連載「疾風に折れぬ花あり」の主人公、武田松姫さんは「白鳥チーム」のお嬢様だなあ、と思ったからなのです。

松姫さんのお母さんは血筋もよく甲州一の美女と呼ばれたようなひとでしたので、また本人も大変な美人だっただろうと思われます。そして、お父さんの信玄は、名族・甲州武田家の嫡流ですから、本当にもう非の打ち所のないスーパーお嬢様。

これまで通りでいれば、蝶よ花よと大切にされ苦労など知らずにそのまま生を追えたかもしれませんが、そこはなんといっても戦国の世。飛び切りのカリスマだった父・信玄公が亡くなってしまってから、武田家は一気に斜陽の道を歩み、ついに織田信長に滅ばされてしまうのです。

松姫は、兄たちから「生き延びて武田家の血を残してくれ」と、幼い姫たちを託されて、武蔵国へ命からがら逃げ延びます。そして、その武蔵国の八王子で、死んでいった武田家の人々を弔いたいと、髪を下ろすのですが…。

静かに暮らしたいと願う松姫の思いとは裏腹に、美女であり、身のこなしから間違いなく生まれもいいということで、周囲にその存在が知られてしまうのです。

まさに、衣通姫(そとおりひめ)。隠しようのないその存在感…。

今月号では、武田家ゆかりの女性を自分の側室に迎えたいと、女狩を始めた徳川家康配下に、ついに居場所をつかまれてしまいます。

ただ、救いなのは、ここにいる美女は「武田家ゆかりの人だろう」という推察だけであって、信玄の末娘・松姫さんそのひとだとはばれていないのです。

徳川家康の配下が、八王子の庵を訪ね、「武田家ゆかりの女性がここに入るだろう」と言ってきたとき、松姫さん改め、信松尼の家臣の皆さんは、どうにか守り通そうと考えますが、それはなかなか難しい。確かにここには「品があって美しい女性」が暮らしているということは、近辺でも有名なはなしだったわけですからね。

苦肉の策として、松姫さんの存在は伏せたまま、侍女として一緒に暮らしていた二人の女性の名前を上げます。「血筋」のものではないですけど、武田家に長年仕えてきた人たち、つまり「武田家関係の人」ということで、その名を挙げたのでした。

そしてそのうちの一人、お竹さんと、家康配下の人が面会します。すると、これまた大変な美女です。武田家嫡流の女性ではないけど、この美女ならいいんじゃないの?…と思ったからか、その後正式に「奥向きに迎えたい」と言ってきました。

信松尼さんは躊躇します。つまりこれは自分の「身代わり」。お竹さんを差し出すようなまねは…ということですね。

しかし、そこは戦国時代の武家の女性です。お竹さんは自分から「お身代わりになります」と言うのです……。

歴史上のことを仮定してもしょうがありませんが、もし、このお竹さんだって十人並の普通の女性だったら、たぶんこんなことにはならなかったような気がしますし、そもそも、松姫さんが野に隠れてしまうような地味な外見だったら、周囲のひとたちにもこんなに大々的にばれずに、家康にもばれずに済んだんじゃないか、と思うわけです。

いやはや……。
美人って大変ですよねえ!?

私がご紹介を書くと、なんとも品がなくなってしまいますが、本当は中村先生ならではの気品あふれるお話です。ぜひ本誌面をご覧ください!!

(むとう)

涙腺決壊!トルコと日本、宝石のような友情の物語!!『海の翼』/秋月達郎著


いつも大変お世話になっている、PHP文芸文庫の腕っこき編集者・Yさん。

ちょっと全体通読してみて~、とお仕事振っていただいたりして、よく部分的にお手伝いさせていただいております。

今回もそんな気軽な気持ちでお預かりしたゲラ(注:校正紙)を、何の気なしに読み始めましたところ、あえなく涙腺決壊!!仕事にならず!

なんじゃ、このエエ話は~~~!!

と叫びましたよ。

それが今日ご紹介するこの『海の翼』(秋月達郎著)です!!
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トルコが大変な親日国であることは、よく知られています。明治期のエルトゥールル号事件の話も結構有名ですので、それは私も存じ上げてました。

でも、イラン・イラク戦争の時、トルコが「エルトゥールル号の時の恩返しですよ」と言って、邦人を救うために救援機を出してくれたという、すごい事実は知りませんでした。

昭和60年。イラン・イラク戦争のさなか。

イラクのフセイン大統領は、48時間以後のイラン領空において、航空機無差別攻撃を宣告しました。この時、イランには200人以上の日本人が取り残されていました。日本政府は救援機を日本から送りたかったのですが、憲法上の問題などもあり万策尽きてしまったのです。

ほかの国に助けを求めたくてもわずか48時間です。そもそも空港の離発着の数だって限界がありますし、各国はまず自国民を救うのが急務ですから、…いえ自国民さえ全員助けられるかわかりませんから、いくら助けてあげたくても、そんな余裕はありません。

日本政府から救援機を飛ばせないと宣告されてしまった、在イラン・日本大使・野本さんと大使館の皆さんは、どうにか自分たちで日本人を助けられないか走り回ります。どうにか航空券もかき集めますが、どうしても全員が乗れる枚数は揃えられません。

そして、野本大使は、最後の助けの綱、個人的にも親しくしていた在イラン・トルコ大使ビルセルさんのもとに赴き、(親しいからこそ迷惑をかけたくない、負担をかけたくないと思っていた相手なのですが)日本人を助けてほしい、と懇願します。そして、ビルセルさんは、その場で快諾。頼んだもののほとんど不可能と思っていた野本大使に、ビルセルさんは「エルトゥールル号の、恩返しですよ」と答えるのです……。

ううう。

このくだり書いてるだけで、目頭を押さえてしまいましたよ。

エルトゥールル号事件というのは、日本に表敬訪問のため訪れていたトルコ軍艦・エルトゥールル号が紀伊半島沖で難破してしまった、という事件なのですが。この時、無心にトルコ人を助けたくて、冷たくなったトルコ人の体を、それこそ裸になって温め、自分たちの食料も投げ出して救いだしたという、紀伊大島の島民のみなさんの人間愛が、100年後になってもよいことを起こし続けているのです。

うううううう。人間っていいですねええ。

いや、もうこれ以上書くとネタばらしになってしまいますので、このあたりにしておきますが、トルコのひとたちが100年もの間、ずっと覚えていてくれたことへの感動。また、100年前、明治の日本人がした、素晴らしい行為そのものへの感動。

そして、良いことはまた良いことを生むのだ、ということへの、感動。

文化・宗教がまったく違っても相手を思いやることで、理解し、愛し合うことができるのだということを、秋月先生はそのたくみな筆さばきによって描き出されています。

ぜひ、読んでみてください!
こういうことは、ぜひ語り継いでいかねば!ですよ!

(むとう)

 

家康って半端ない苦労人なのねえ、と気づいたあなた。そんな家康の家臣の皆さんはもっと苦労人、かもですよ!?あるじシリーズ最終巻『あるじは家康』、刊行!/岩井三四二著


第一弾は『あるじは信長』、第二弾は『あるじは秀吉』と……続いてきました岩井先生の「あるじシリーズ」。

第三弾は、もう言わずもがなですよね。

そうです、『あるじは家康』、です!
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家康と言えば、「ザ・苦労人」ですよね。

三歳、物心つくかつかないかで実のお母さんは政治的理由で離縁されて離れ離れになっちゃうし。
6歳で宗主である今川家に人質に出されるかと思ったら、途中で誘拐されて敵対していた織田家の人質になっちゃうし。
8歳の時にはお父さんが家臣に殺されちゃうし、いや、もっとさかのぼればお祖父さんも家臣に殺されちゃってるし。

ふわああ、なんですかこのすさまじいまでの、不幸の連続。

子ども時代からこんな過酷な出来事を乗り越え、生き抜いたからこそ、天下人になったのかな~、家康、本当にすごい、とみなさんも思われると思います。

が。

そこでみなさんに気づいてほしい。

この過酷な条件で生き抜いたのは家康さんだけじゃないということを。
こんな天中殺ばっかり押し寄せてきてるような、相当に不運な主君に仕えた「家臣のみなさん」がいたということを!!!

『あるじシリーズ』は、「家臣」が主役の短編連作集です。『あるじは家康』にも、嵐のような災難の中をどうにか生き抜いて、最終的に天下をとった偉人・家康に仕えた皆さんの悲喜こもごもが描かれています。

前二作に比べて、大久保忠隣、石川和正、茶屋四郎次郎、ウィリアム・アダムスといったいわゆる有名人が多いですけど、そこはさすがの岩井先生。ならではのユーモアと新しい解釈とでぐいぐいと引き込んでくださいます!
家康マニアの方にも、家康を全く知らないという方にも、ぜひ手に取ってみていただきたい、愉しい連作小説集だとおもいます。
20140710-2そして、ぜひぜひおすすめしたいのが、この三冊・一気読みでございますよ~!

並べてみましたがいかがでしょう?
O編集長、渾身のコピーがさらに効いてきますね~!

ぜひお手に取ってみてくださいね!

(むとう)

 

 

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第10回「髪を下ろす日 その二」掲載!


月日が経つのは恐ろしいように早いですね。もう上半期終わっちゃいましたよ~!!!

早くも下半期。7月に入りました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、毎月文芸雑誌『文蔵』で掲載されております、「疾風に折れぬ花あり」第10回目のご紹介です。大きな声では言えませんが、先月バタバタしていて、9回目をご紹介する前にもう10回目掲載号7月号が出てしまったのです^^;;。とほほ。
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さて、「疾風に折れぬ花あり」は、戦国時代のお話。

武田信玄の末娘・松姫の苦難に満ちた生涯を、あの中村彰彦先生が小説に描く…という、お手伝いしている立場の私が言うのもなんですけども、面白いに決まってる、というお話なのです。

実際、武田家滅亡から、甲州脱出を経て、現在お話は武蔵国八王子に身をかくす…というところまで来ておりますけれども、中村先生ならではの史料の読み込みから生まれた新解釈が随所にみられ、歴史好きにはたまらない内容になっています。

さて、前号で、武田家の死んでいった人たちを弔うため、まだ20代前半の美女である松姫さんは、出家。彼女を導いたのは心源院の卜山和尚(ぼくざんおしょう)というひとですが、和尚の温かい心配りで、無事髪を下ろし、「信松尼(しんしょうに)」という法名を授かります。

よかったよかった。これでようやく静かに暮らせるのかな?、と思いきや…

そうや問屋がおろしません。やっぱり、世の中はほっとかないわけですよ。

織田信長が本能寺の変で、明智光秀に謀殺された後、甲斐国は徳川家康の支配下に置かれるようになりました。

徳川家康というと、「鳴くまで待とう時鳥」のたとえなんかで、どちらかというと耐え忍ぶ、というか「真面目」な印象が強い人だと思います。

でも、それはお仕事の面の話であって、女性面になるとかなりの好きものだったといえるわけですね。

先生は、それを「裾貧乏(すそびんぼう)」という言葉で表現されています。

なるほど、そんな表現があるんですね。浅学ゆえに存じ上げませんでしたが、奥ゆかしくも、的を得た言葉!日本語って素晴らしいなあ。

さてさて。

「裾貧乏」、つまりは相当の女好きだった家康さんは、甲州に入ってから「女狩り」をはじめます。とりあえず、武田家旧臣の未亡人を側室にし、それだけでは飽き足らず、武田家の血筋の女性はいないか家臣に捜させるのです。

はい。そうです。気づいちゃうんですね、松姫さんの存在に!!

当時の考え方としては、松姫さんが家康さんの側室になる、というのはそんなに悪い話ではありません。武田家の嫡流を徳川家の中に残す、ということもできますし。

しかし、松姫さんは前号で出家してますからね。彼女は仏門に入って生きていくことを決めています。ですから、ここで家康さんに発見されることは、まったく彼女の望まない生き方を選択させられてしまうことになるわけです。

さあ、この難所を松姫さん改め信松尼と、その家臣の皆さんはどう切り抜けるんでしょうか!

……ぜひ、本誌面をチェックしてみてくださいね~!

(むとう)

戦国時代のあの三人を上司にしたらどうなる?「あるじ」シリーズ第二弾登場!『あるじは秀吉』/岩井三四二著


3月から文庫化されて大好評の「あるじシリーズ」第二弾がいよいよ登場しました!第一弾は信長、…とくればもちろん第二弾は【秀吉】ですね!

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秀吉、と言えば、日本史上最も出世した人物と言っていいでしょう。

後付けで自分の家柄をいろいろ飾り立てようとしてますけど、彼の生まれが庶民であったことは皆さん異論はないのではないでしょうか。

庶民、と言ってもかなり貧しい部類。裕福なところから出世したのではなく、本当にゼロベース、いえ、ひょっとしたらマイナスベースからスタートした人です。

本書の帯にもありますがまさに「出世しすぎ」たひと。今後もここまですごい人はなかなか出てこないんじゃないでしょうか。

さて、本書はちょっと凝った趣向になっておりまして、1617年、二代将軍・徳川秀忠にお伽衆・山名禅高(やまなぜんこう)が、秀吉について「七不思議」と自ら名付けて呼んでいる逸話を披露する、という体裁になっています。
どういう出自なのか、なぜあれだけ出世できたのか、家来をどうやって育てたか、中国大返し、唐入りについてなど、それぞれを、秀吉近くに仕えた人から聞いた話として、秀忠に語るという趣向です。
岩井先生らしい、おもわず「くすっ」と笑ってしまうようなそんなお話に仕上がっているんですが、よくよく考えてみたら、もし自分がその家臣の身になったら、こんな上司はたまらんわあ、と少しぞぞっとしてしまいました。

それにしても、出世しすぎる人に仕える、というのも部下にとっても相当に大変なことですよね。本書の帯「出世しすぎる上司、右往左往の部下」とありますが、まさにしかり。

ぜひお手に取ってみてくださいね!

(むとう)

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)、第8回「天の咎め(2)」掲載!


ご報告が遅くなってしまいましたが、4月半ば、中村彰彦先生の「疾風に折れぬ花あり」、第8回目掲載の『文蔵』2014年5月号が刊行されました。

5月号の文蔵の表紙イラストは、燕と菖蒲、いや、アヤメかな。この可憐さはアヤメな感じですね。
20140504燕、と言いますと、私は「ツバクラメ」という読み方が好きなんですけど、皆さんどうですか。ツバクラメ、ってなんかかわいいですよね。

さて、表紙は相変わらずほんわりかわいいですけど、我らが「疾風に折れぬ花あり」の松姫さんは、変わらずのっぴきならない状況です。

前号では、織田軍による武田の残党狩りが始まり、戦国時代の常識からしてもあまりにも過酷な方法で迫る残党狩りの手から逃れるため、松姫さんはいよいよ他国へ脱出するため出発しました。

今号では、塩山の向嶽寺に隠れていた松姫さん一行、とにかく織田家の手が届かないであろう、北条家が治める相模国、またその先の武蔵国を目指して、過酷な山道を進みます。

そのルートは、今も昔もあまり変わらないんです。
山梨から、東京(武蔵国八王子)に抜けるルート。甲州街道・最大の難所・笹子峠を越えて、大月、上野原、案下峠をこえ、陣馬街道を東進すると、八王子の恩方へと抜けます。

さすが甲斐の国・山梨、山国ですね。戦国時代、いえもっと昔から人が通る道はそうそう増えないということでしょう。

しかし、この道を、女性を中心に、4歳児3人もつれて徒歩で。しかも追っ手の目を気にして、甲州街道から一本入った山道を歩いたりしていくわけです。本当に過酷な道行きだったろうと思います。

さて、松姫さんたちは、無事安住の地へとたどり着けるのでしょうか!?

ぜひ、お手に取ってみてくださいね!

 

 

 

ベストセラー、待望の文庫化!『私訳 歎異抄』/五木寛之著


日本仏教界の偉人としてあまりにも有名な、親鸞(しんらん)さん。その親鸞さんの生前の言動を弟子・唯円が書き残したというのが『歎異抄(たんにしょう)』です。
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その歎異抄を、まさに現代のレジェンドともいうべき、五木寛之先生が『私訳』されたのが本書。ご存じのように五木先生は、博覧強記でらして、特に仏教(さらに言えば浄土真宗)に造詣が深くてらっしゃいます。休筆して龍谷大学に聴講生として通っておられたことでも有名ですね。

本書はそんな五木先生だからこその名訳で、単行本として出版された時にはベストセラーになりました。

そんな名著の文庫化を一部お手伝いさせていただくことになろうとは!!

ものすごく緊張しましたが、今回もたくさん勉強させていただきました。
じつは、『歎異抄』を読むのは、今回が初めて。仏教美術には昔から関心があって多少は勉強しているのですが、そういった造形以外のものにはとても疎いのです。ですので、このような機会をいただいて、五木先生の文章とともに原文も読むことができたのは本当にラッキーだったように思います。
#ちなみに、本書の構成は、前半が『私訳』、後半が『原本』、そして、解説を日本中世史の泰斗・五味文彦先生が執筆されており、まさに【最強の布陣】です。

さて、皆さんご存じと思いますが、親鸞さんは鎌倉時代(12~13世紀)を生きたお坊さまです。現在もたくさんの信者さんがいる「浄土真宗」の宗祖とされる人。知らない人ははいないだろう、というような巨人と思いますが、実は明治時代には「親鸞は実在しなかったのではないか」という説が出たほど(現在は実在したことがわかっています)、史料の少ない人なのです。

その少ない史料の中で(本人が書いた本ではありませんが)、その人となりと思想を最もわかりやすく伝えてくれるのがこの『歎異抄』で、五木先生も「親鸞という人の思想と信仰は、一般的にはこの一冊によって伝えられ、理解されたといってよい」とまえがきで書かれています。つまり親鸞さんが言っていることをまず知るには、歎異抄をまず読んでみるとよろしい、ということだと思うのです。

そういう意味でも、私は幸運でした。お仕事とはいえ、まず本書を読むことができ、五木先生の訳でとても近しく、その世界を感じることができたのですから。

「他人を蹴落とし、弱者を押しのけて生き延びてきた自分。敗戦から引き揚げまでの数年間を、私は人間としてではなく生きてきた。その暗い記憶の闇を照らす光として、私は歎異抄と出会ったのだ」(「まえがき」より引用)

そして先生のこの一節。

先生にとって「光」であった、歎異抄との出会い。先生の著作と出会って同じような気持ちになってきた読者はたくさんいらっしゃると思います。
ぜひ、そんな皆さんにも手に取ってほしい一冊と思います。13世紀に書かれた宗教書…としり込みされる方も中にはいらっしゃるかもしれませんが、そこはなんといっても五木先生です。たくみな筆さばきでもって、土に水がすっとしみ込むように分かりやすい言葉でその世界が表現されています。

生きていくというのは本当に大変です。もちろん大変なことだけではなくていいこともあります。でも、疲れてしまうときもありますよね。そんな皆さんにできるだけ幅広く手に取っていただきたいと、オビの文言もちょっと仏教書らしくない文言を使っていただいてます。「生きるのがこわい。死ぬのがこわい。―そんなあなたへ」。

ぜひお手に取ってみてください!

(むとう)