「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第23回「はるか江戸を離れて」掲載!


ご紹介が遅くなってしまっておりますが、毎月PHP研究所さんで発刊されている文芸雑誌『文蔵』では、中村彰彦先生の「疾風に折れぬ花あり」が絶賛連載中です。

最新号(8月号)が発売になっておりますので、7月号も併せてご紹介させてください。

20150804

7月号「祈る女」では、亡き兄・仁科盛信の忘れ形見で、養い姫の一人であった生弌尼(しょういちに)を看取った、信松尼(しんしょうに)。

ここに武田信玄の直系のうちの一人が、はかなくも夭折してしまったのですが、一方で物語は大きく動きます。

江戸城内の比丘尼屋敷に住まう、信松尼の異母姉で、信玄の次女、そして穴山梅雪の未亡人である見性院(けんしょういん)が、二代将軍の乳母・大うば様を通じて知り合った奥女中『お静』さんが、いよいよ7月号で登場しました。

この『お静』さん、中村先生ファンなら「あ!ついに!」と膝を叩くことと思います。

中村先生が、世に広めた「会津武士」の生きざまを凝縮したかのような人物で、会津の崇高な精神の源となった、会津松平家の始祖、保科正之(ほしなまさゆき)公の生涯をえがいた大作『名君の碑』の世界が、いよいよ再び戻ってきました~!

このお静さんは、もともと小田原北条家の家臣だった神尾(かんのお)家の娘で、縁あって秀忠の乳母であり、大奥の実力者である大うば様に仕えることになりました。

そこで、恐妻家の秀忠に見初められ、正室・お江与(えよ)の方の許しがないまま、秀忠の側室になりました。

意外と思われるかもしれませんが、当時、戦国時代の気風がまだ色濃く漂うこの時代、妻を複数持つことは許されていましたが、正室の許可、というか、正室が勧めた女性を側室にむかえる、という形式をとることになっていました。

ですから、いくらお江与の方の性格が苛烈で、秀忠が恐妻家とはいえ、内密に側室を迎えてしまうというのは、やはり正室をないがしろにした行為です。

そして案の定ばれてしまい、なおかつ妊娠も発覚してしまうと、お静さんは何度も毒物で殺されそうになりまして、恐ろしくなって実家に逃げ帰ります。

そこで、お江与の方の復讐を恐れた実家の兄たちの決断により、子を堕胎させられてしまうのですが…。

8月号では、堕胎薬によってぼろぼろになってしまったお静さんを、それでも戻ってくるようにと説得する、秀忠からの使者がやってきます。

さあ、お静さん、どうする!??
戻るの?戻らないの~!!???

……と、ハラハラドキドキな展開になっております。

保科正之公に詳しい皆さんは、この後の展開を良くご存じと思いますし、保科正之公という綺羅星の如く優秀な人物が誕生した、という一事を持って考えてみましたら、仕方ないけどなあ、と思います。しかししかし。

同じ女性としてみると、どうもこの秀忠という人物は、信用なりません。
いくら正室がこわいからと言っても、一番力を持つ立場なわけですから、やる気になったらもっと守れるはずなのに、なんか逃げてるようにしか思えない。

やめときなはれ、戻らないほうがいい!!!
この男、真心を感じないダメなやつだよ!

……と、お原稿拝読しながら、思わず叫んでしまいました。

ちょっと感情移入しすぎましたね(笑)。
それはともかく、これからの展開はいよいよ目が離せませんよ~~!

ぜひお手に取ってみてくださいね!

(むとう)

特集「心と体に効く厳選12瀑 『滝』は絶景」@『サライ8月号』(小学館)掲載


就職して以来、ずっと書籍畑でお仕事してきましたので、雑誌にはいまいち疎いワタクシです。しかしそんな私にも、憧れの雑誌と言うのはございまして…。

週刊誌やファッション誌などは流行を把握するために読む、という感じなのですが、文化・芸術系の雑誌は、憧れの別世界、と言った趣でよく購入しておりました。
そういった雑誌も数多くありますが、その中でもエポックメイカーともいうべき、『芸術新潮』、平凡社さんの『太陽』、そして、小学館さんの『サライ』は別格。

今は、歴史や仏教に関係する書籍など担当させていただくことが多いので、仕事の合間に手に取って深呼吸しつつ勉強する、みたいな感じで親しんでまいりましたが…

それがですね!
なんと、そんな憧れの雑誌『サライ』さんで、お仕事させていただくという幸運に恵まれました。本当に嬉しいです!

20150710-1私が担当させていただいたのが、この↑『滝』の特集です。

取材・執筆(一部除く)を、一本ざっくりやらせていただいちゃいました~!
発注してくださったN副編集長、ありがとうございます!

振っていただいたテーマは、大好きな「滝」。
お写真は『日本の滝』(山と溪谷社)という大著を始め、数多くの滝本を出版され、滝のお写真で高名な北中康文さんです。
取材も本当に楽しく、また文章のほうも楽しく書かせていただきました。

IMG_1250

ご紹介した滝も、一筋縄では参りません。
Nさんが『心と体に効く』というテーマで厳選してくださってますので、かなり角度のある滝のご紹介になっていると思います。

そして、なんと言っても、北中さんのお写真が美しい!
この美しい写真を眺めていただくだけでも、浄化されていくかんじがしてくると思います。

そして、さすがサライさん!と思いますのが、その印刷表現です。ほんとに美しいです。北中さんのお写真を十分に表現されています。さすがNさん~~!

これから、夏ということで、涼を求めて滝を観に行くなんて、最高に楽しいですよね!参考にしていただけたら嬉しいです。
また、第一特集の「花火」も、「ごちそう列車の旅」もめちゃくちゃ面白いです。いいな、いいなあ。ホント、旅に出たくなっちゃいますね。
ぜひお手に取ってみてくださいまし~!

そして、改めまして、お仕事振ってくださいましたN副編集長、またNさんと出会わせてくださいましたK社のU先輩、そして、アドバイスいただきました古巣Y社の元ボスKさん、また取材にご協力いただきました皆様に篤く御礼申し上げます。
ありがとうございました!ぜひ、今後ともよろしくお願い申し上げます!!

(むとう)

苦しみもだえ孤独に落ちようとする若き日の仙厓。そんな仙厓を見守る先輩たちの「待つ」愛がたまりません!『仙厓 無法の禅』/玄侑宗久著


「仙厓(せんがい)」さんと言えば、江戸時代の禅僧で、おかしみのある洒脱な禅画を描き、今も大変人気の高いお方です。

百田尚樹先生の『海賊と呼ばれた男』の主人公のモデル、出光興産創業者・出光佐三氏は、仙厓さんの画をこよなく愛し、数多く収集しました。そのコレクションは、出光興産の美術館・出光美術館で所蔵され、代表作の多くを見ることができます。

さて、そんな仙厓さんですが、若いころは頭が良すぎて尖りまくった青年だったことは、意外と知られてないかもしれません。

本書は、そんな「知られざる」仙厓の前半生が、詳らかに語られています。というのも、著者の玄侑宗久先生ならでは、でしょう。

ご存じのように、玄侑宗久先生は臨済宗の僧侶でらっしゃいます。仙厓さんも臨済僧です。そして、先生が住職されている福島三春町の福聚寺は、仙厓さんの先輩が住職されていた場所であり、その先輩が仙厓に書かせたという聯が今も残っているのです。

先生は、そんなご縁も含め、以前から仙厓さんに私淑されていたとのことで、ある意味、「身内」のような近さでもって、仙厓その人と画と共に読み解いてくださいました。それが本書、『仙厓 無法の禅』です。

20150608

表紙になっている画は、仙厓ファンの人もほとんどご存じないと思います。

福島市満願寺所蔵の「石きょう図」と言いますが、「石きょう」とは、もともと猟師だたった禅僧で、石きょう慧蔵(せっきょうえぞう)と言い、常に弓を携え、機に臨んでは「矢を看よ」と叫び、弓を構えたと言います。

殺生を許されないお坊さんが弓を構える、というこの大いなる矛盾……。

しかしこのエピソードはいかにも禅の世界という気がします。

先生もN編集長も、表紙の絵はどれにしようかと迷われましたが、やはり東北を行脚していた時の知られざる仙厓の姿を良く表している、本画を選ばれました。

30代半ばの時の絵ですから、老境に入り、円融無碍(えんゆうむげ)な境地で、自由自在に筆を動かした仙厓さんの画からしたら、とても若い画ですね。しかし、この未熟さが、青年・仙厓さんを良く表しています。

若いころの仙厓さんは、かなり扱いづらそうな青年です。とにかく頭がよく才能は抜群。でも、劣等感や競争心など、マイナス部分もかなり持ち合わせていたのではないかと思われます。それで、悩みぬいて無茶苦茶なことをしでかし孤独に落ちようとするのですが、優秀な3人の先輩たちは、そんな仙厓を見離すことはありませんでした。

甘やかすようなことはしない。
でも、しっかりと見守る。そして「待つ」。

………「愛」ですねえ~~~~!!!

「待つ」ということは、「信じている」ということでしょう。

仙厓さんは、やっぱり恵まれている人かもしれません。絶望の底にあってのたうっていても、その淵から必ず帰ってくる、立派な求道者になる、と信じてくれる人たち三人も、一歩も動かず泰然といてくれたのですから。

本書は、「〇△□」や「指月布袋」などの有名な絵もたくさん登場します。しかし、こういった青年期を越えて、あの境地に至ったのだと知ってから、改めて玄侑先生の解説でもってこの画をみますと、また違った画に見えてくる気がします。

私も編集をお手伝いしているうちに、どんどん見えてくるものが変わった気がしています。ぜひ皆さんにもそんな体験をしていただけたらと思います。

ぜひ、お手に取ってみてくださいね!

(むとう)

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第21回「祈る女」掲載!


ご紹介がすっかり後手後手になってしまっておりますが、毎月『文蔵』では、中村彰彦先生の「疾風に折れぬ花あり」が絶賛連載中です!

最新号(6月号)が発売になっておりますので、ご紹介していなかったその前のものも併せてご紹介させてください。

20150510

本連載主人公は、武田家滅亡後、八王子まで逃げてきて出家した松姫こと、信松尼さん。

次から次へと襲い来る困難にも、たおやかに柳のようにしなやかに切り抜け、無事に養い子三人も育て上げました。

そして今や40代半ば。

自立のため、たつきの足しにと考え始めた養蚕だけに飽き足らず、染色、織りまでも学ぼうとしている姿が生き生きとえがかれます。

本連載で中村先生が描き出される「信松尼」というひとは、一見、絵にかいたような「良家のお姫様」といったたおやかで優しげな風情ながらも、その魂には父・信玄の豪胆さを受け継いだ女性です。これと決めたらやり通す、という意志の強い凛とした人。

いっぽうで、いくつになろうとも、無垢で世間知らずな一面もそのままな人、でもあるのです。
そして、そういう面もまた彼女の魅力でもあり、そんな彼女を助けようと一生懸命動いた人たちがいたことが大きいということも事実。

そこで、そんな人たちの中でも、特に重要な人物が、大久保十兵衛こと「大久保長安」です。

このひとは、一般的にどうしても金と女の話が先行し、「怪人物」といった印象の強い人ですが、先生が描き出すのはそれとは真逆ともいえるような、「目配りの大きい、まことに行き届いた」といった印象の人物です。

そして実際、信松尼さんにして上げた史実上のことを合わせて考えましても、長安さんという人の実情は、本作品に登場する「十兵衛」さんに近いのではないのかしら、と思われてきます。

中村先生のお作には、これぞ「歴史小説」という、非常に高度な史料の裏付けによる「中村流読み解き」があります。毎回「なるほど!」と目からウロコ。

ぜひ、お手に取ってみてくださいまし!

(むとう)

損得じゃない。思い思われる、それこそが幸せ…。大好評シリーズ第4弾登場!『本所おけら長屋(四)』/畠山健二著


2013年7月からスタートした大好評シリーズ『本所おけら長屋』。

大変お待たせいたしました!!第4弾の登場です!

20150305

さてさて、畠山先生の筆は今回4冊目でもますます冴えわたり、さらにパワーアップしていますよ~~!
とにかく、泣いて笑って笑って泣いて…。

「人っていいなあ」

そんな風に思わせてくださる珠玉のお話の数々です。
今回は、お話しが5話。そのあらましをご紹介しますと……。

本所七不思議のひとつ、「おいてけ堀」で発見された若い男の遺体。本当に河童の仕業なのかと探索を始めるお騒がせ万松こと万造と松吉。じつはそこには悲しい片恋、男の純情が絡んでいて……第一話「おいてけ」。

おけら長屋の兄貴格・八五郎の娘、お糸ちゃん。心優しいお糸の恋の行方に、ついに決着が……第二話「あかいと」。

第一巻で浪人・島田鉄斎に諭され、スリの仕事から足を洗ったお駒。真面目に働くお駒だが、店の主人の優しげな表の顔とは違う裏の顔が見えてきてしまい……第3話「すりきず」。

酒癖のせいで浪人し、江戸に出てきた錦之介と、占いを信じて突っ走る豆屋の娘・お雅の捧腹絶倒、変化球的恋物語……第4話「よいよい」。

捨て猫ミーちゃんを可愛がる松吉。自由奔放なミーちゃんの行いのせいで、長屋で孤立してしまいますが、ある日ミーちゃんが行方知らずとなり……第5話「あやかり」。

あらましはこんな感じですが、全体的に通底して感じますのは「人を思うことの素晴らしさ」だと思います。

本所おけら長屋の住人は、たまたまそこですれ違っただけでも、心からその人の身を案じます。そして、少しでも自分たちにできることはないかと一生懸命考える。損得ではないんですよね。見返りなんて求めてません。
実は人の「幸せ」って、そういうことの積み重ねなんじゃないかな、なんて思うのです。損得じゃなく相手を思い、また思われる。これ以上のことはないんじゃないかな、と。

そして、先生のお作を拝読しておりますと、「人間賛歌」だなあ、といつも思います。
世の中にはいろんな人がいます。すごくいい人でも決定的に駄目な部分を持っていたりもします。でも、そのままでいいんだなあ、と。欠点があろうとなかろうと、愛すべき人間たちがいる、そんな感じです。

ぜひ、お手に取ってみてくださいね!

IMG_0138またシリーズ第4弾ということで、ぜひ一巻から、とお勧めしたいところですが、短編読みきりですので、どの巻から読んでいただいても楽しんでいただけると思います。まず最新刊から、というのでも十分楽しんでいただけると思いますよ~!

(むとう)

 

 

今年は戦後70年。歴史を学ぶこと、語り継ぐことの大切さを知る。『「昭和史」を歩きながら考える』/半藤一利著


私は戦後生まれのため、戦争体験はありませんが、生まれ育った街・埼玉県東松山市は、平和教育が盛んな土地でしたので、戦争について学ぶ機会は多かったように思います。「原爆の図」で高名な画家・丸木位里・俊夫妻の美術館が近隣にあるというのも無関係ではないでしょう。

年に一度は、遠足で丸木美術館に訪れました。私は、みんなで遠足に行けて楽しいなあ、と思う半面、「あの絵」を見るのはこわいなあ、と思っていました。でも、あの絵を、「怖い」といってはいけない気がしていました。あの絵はこわいけど、怖がって眼をそらすのは失礼だ、そんな気持ちがあったように思うのです。

子どもながら、それがあの悲惨な現実があったことへの誠意であり、せめてものことだと思っていました。だから、丸木夫妻が描き出す、阿鼻叫喚の地獄世界としか思えない「あの絵」をただじっと見つめる……。
思い返しますと、年に一度、そんなことをするのは、実はとても意味のあることだったように思います。この日と、その後の何日かは太平洋戦争について考えます。そして、戦争がどんなに悲惨なのかに思いを巡らし、理屈でなく、人を殺し殺される「戦争」なんて絶対したくない、子ども心に実感を持ってそう思うことができました。

そして、それからさらに20数年が経ちました。
今年は何と戦後70年を数える年……。

戦争をしないで太平の世を70年も築けてきた、とも言えます。しかし、それはあまりにもきれいな言い方で、日本は間接的に戦争に参加してきた、といえると思います。それぐらい、世界に戦争が絶えることはありません。

さて、毎度ながら前置きが長すぎました。
ここ数カ月、一生懸命取りくんでまいりました一冊、半藤一利先生のエッセイ集、『「昭和史」を歩きながら考える』が、明日発売となりますので、ご紹介させてください。

20150303半藤先生のご本は、昨年も『若い読者のための日本近代史』(PHP文庫)というご本をお手伝いさせていただきました

先生の文章を拝読するのは、まさに勉強の連続ですが、今回もほんとうに勉強させていただきました。

昭和史の生き証人であり、第一級の研究者であり、歌人であり、また文藝春秋社の名編集者として数多くの高名な作家との交流を重ねてこられた先生の文章には、知識からも、風格からもただごとでない気配がにおい立ちます。前回は、書評集といった感じでしたが、今回のご本は、「エッセイ」集ですので、だいぶ軽いタッチのものも多く収録されていますが、それでもそこここに漂う「文人」らしい空気はどこまでも健在です。

あの時、あの前後にどのようなことが起こっていたのか、また経済発展していくときの日本とはどんな風だったのか、というのは、戦後生まれの我々は、よくわかっていないかもしれません。しかし、本書で語られる半藤少年・半藤青年の目を通じて、または多くの歌人が詠んだ歌や俳句によってうかがい知ることができます。また、編集者としての心がけ、日本語とはいったい?といった、その後の昭和日本で、といった趣きの軽妙なエッセイもあり、気楽に読んでいただけると思います。

私が子供のころ、「原爆の図」を観ることによってある意味「体感」 したように、様々な形で、戦争や歴史を語り継いでいくことはできるんじゃないか、と思うのです。本書は、そんな体験を、読むことでさせていただける一冊、と思います。

そしてまた、直感的に戦争は嫌だ、戦争なんてしたくない、そう思うことは大事なことですが、では「どうしたら回避できるのか」、それは「歴史を学ぶ」ことによって、少し見えてくるのではないか、と思うのです。そういった意味でも、本書における先生の歴史を見つめる視線、読み解き方は、とても参考になるのではないかと思います。

ぜひ、お気軽にお手に取ってみてくださいね!

(むとう)

異色コラボ!戦国ファンタジー小説『ヤタガラス』/豊田巧著・カズキヨネ画


昨年はアニメ化も果たした人気ラノベシリーズ『RAIL WARS! – 日本國有鉄道公安隊』などものされている豊田巧先生と、『薄桜鬼』など大ヒットゲームの原画やキャラクターデザインで大人気のカズキヨネ先生が異色のコラボ。

実は企画が起こってから二年ごし。
お忙しいお二人ゆえに少々お時間がかかりましたが、どうにかこうにか無事、出版していただくことができました。

さて、歴史ものは初めてという豊田先生ですが、リキを入れて取り組んでくださり、本格な戦国ファンタジーにしていただきました。そしてそこにさらなる躍動感を吹き込んでくださったのが、カズキヨネ先生です。

このカバーをご覧ください。
20150127-2美しく強い、しかしどこかガラスのような繊細さを感じさせるこの瞳…。
これこそまさにカズキヨネ先生にしか描き出せない「孫十三」像なのではないでしょうか。

ここで、簡単に内容をご紹介いたしますと…。

時は戦国、乱世の時代。桶狭間の戦いの少し前からお話は始まります。
主人公の雑賀孫十三は、天才的鉄砲撃ち。相棒の四郎はこれまた天才的な鉄砲鍛冶で、暗殺稼業をして諸国を行脚しています。金にはシビアな二人なのですが、実はそれには理由があり…。

キリスト教信奉者となった孫十三の姉、カタリナの「弱者でも平和に暮らしている平和な世の中をつくる」という夢をかなえる手助けをしようとしているのです。しかし…。

今回は全部で4話。明らかにされたこともあり、しかし新しい謎も現れ…。この4話でも十分楽しんで読んでいただけると思いますが、今後の展開をつい期待したくなってしまう内容になっております。

ぜひ皆さん、お手に取ってみてください。

(市森むべ)

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第17回「蚕とともに」掲載!


さて、この二月号で17回目を数えます本連載。ご紹介しそびれてしまった(^^;)15・16回と一緒にご紹介させていただきます。

20150127

信玄の末娘・松姫さんは、武田家滅亡後は武蔵国は八王子にて出家し、信松尼と名乗っておりますが、いよいよ自立の道を確かなものにするであろう事業「養蚕」をスタートさせます。

松姫さんこと信松尼さんは、当時でも血筋も抜群に良く、お金持ちだった家に生まれ何不自由なく育ってきたひとです。
しかし20歳をすぎていきなり一族が根絶やしになってしまった。
自身の命の心配もあるほどの状況なのに、さらに3歳・4歳(今風に言えば2・3歳)の姪っ子たちを3人も形見として預かってます。変則的ではありますが、今風に言ったらシングルマザーですよね。

もちろん、名門のお姫(ひい)様たちですから、乳母やおつきの人もたくさん一緒についてきてます。そういう意味では、今風のシングルマザーとはちょっと違いますが、逆に、それだけ多くのひとたちがいるということは、経済的に支える責任があるわけで、その手立てを考えなくてはならないのですから、かえって大変です。

なので、これまでは信松尼さんのもっとも大きな心配事は、三人の養い子を立派に育て上げること、そしてついてきてくれている家臣の皆さんを飢えさせないということだったのですね。

そこで思いついたのが「養蚕」でした。つまり『絹』ですね。当時『絹』は大変高価なものでした。

実際、今回先生がお書きになるためにと、私も資料を集めたり読み込んだりしてみたのですが驚きました。高価なのもなるほど、というほど手間がかかるんですね。

一つの繭からとれる生糸はごくわずか。布一反作るのに生糸が900グラム必要だとされているのですが、この900グラムの生糸を得るためには約2600粒の繭が必要なんだそうですよ。2600頭のお蚕さんが必要ってことですよ!?

それだけでもすごいと思いますが、この数字は品種改良された現代のもの。明治以前のお蚕さんは、繭の大きさが現在の半分しかなかったそうなので、単純計算すると5200頭ものお蚕さんが必要ということになります。

そりゃもう貴重ですよね!?

それだけ貴重なもの、そしてみんなが欲しがるもの、それは需要と供給の関係で高価になるのは当然なことです。

信松尼さんが暮らす、八王子のあたりは、もともと養蚕が盛んなお土地柄だったこともあり、信松尼さんの思いつきはごく的を得たものでした。

しかし、養蚕に詳しい人物にレクチャーを受けて、信松尼さんは、気づきます。養蚕で利益を得るだけの量を生産するには、広い場所と道具が不可欠であることを。

ここでまた資金不足、ということで立ち止まりかけたのですが、運がいいことに八王子代官所の代官頭・大久保十兵衛が援助を申し出ます。

十兵衛さんはもともと武田家に仕えていた人。自分が赴任した地に、元主家のお姫さまが出家して隠棲していることを知り、なんとしても身を立てられるように助けて行こうと、動いてくれるようになります。

今風に言えば、起業しようとした女性(信松尼さん)、アイデアはいいけど資金不足。そこに資金提供者が出現、起業にこぎつける…。そんなかんじでしょうか。

そして、今回は、実際に養蚕を行う様子が詳らかに描かれます。

ここまで丁寧に江戸時代の養蚕の様子を描き出す小説はほかにないんじゃないでしょうか。さすが中村先生です。
信松尼の不安やとまどいや、挑戦することへの喜びなども丁寧に描かれます。今の私たちがみても、すごく共感する内容になってます。どの時代でも、挑戦するってこういうことなんだなあ、と。

ぜひお手に取ってみてくださいね!

(むとう)

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第14回「陣馬街道 その二」掲載!


武田信玄の末娘・松姫さんこと、現在出家して信松尼(しんしょうに)さんが主役を務める「疾風に折れぬ花あり」。

前号で、信松尼さんを経済的に援助してくれていた北条氏照(うじてる)が城主を務める八王子城が、落城。殲滅、つまり皆殺しにされてしまいました。

そして、今号ではいよいよ、本拠地小田原城は、あまりに巨大な秀吉軍によって包囲されて、当主・氏直は降伏、北条家は滅亡してしまいます。
20140912-1

武田家のお姫様であった信松尼さんにとって、北条家は縁戚であり、また、八王子に移ってからは、経済援助をしてくれた大切な人たちでした。

それが、あっけなく滅亡してしまった……。心情的悲しさだけでなく、現実的な危機でもあります。今や援助の道は絶たれてしまいました。幼い姪たち3人だけでなく、彼女たちを慕って仕えている家臣たちを養わなくてはならないのです。

いよいよ「自立」の道を確立しなければならなくなったわけです。そこで、信松尼さんが思いついたのは「機織り」でした。つまり養蚕、絹を生産すること、です。

古代から、信松尼さんが住む八王子がある武蔵国(今の東京都・埼玉県一帯)や上野国(群馬県)は、絹の名産地でした。そのため、彼女がそういう風に思いついたのはとても自然なことでした。

今でも上州(群馬県)名物として、「かかあ天下とからっ風」なんて言います。

これは、上州の女性は働き者で強いということなんですけど、女性が養蚕をしていたので、女性のほうが収入が大きくあったことで、経済的自立をしていたので、強いというわけなんですね。

そして、この「養蚕」ですが、これまた古来より女性の仕事と考えられていました。

蚕を育て、糸をとり、機を織る、という仕事は、手先の細やかな女性のほうが向いていたのかもしれませんね。この大変な作業の果てに生み出される「絹」は大変高価なもので、これを生み出すことができるというのは、相当な経済力を持っているということ。家庭内でも大きな権力になったろうと思います。

そんなわけで、目の付け所はすごくよさそうなんですが、果たしてうまくいくのか否か…。

歴史小説、というとらえ方でなく、現代に引き寄せてみると、信松尼さんはまさにベンチャー起業家ともいえるかもしれませんね。

詳しくはぜひ本誌をご覧くださいませ!

(むとう)

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第13回「陣馬街道」掲載!!


中村彰彦先生の本連載も、13回目。まるまる一年を超え二年目に突入しました。

先生の連載をお手伝いさせていただくようになり、慌てて八王子に取材に行ってみたり、遅れて山梨県や長野県を訪れたり…。遅ればせながら、武田家ゆかりの場所を訪ねてみたりしているわけですが。

実は、私の生まれた家「武藤」も、武田家と少々縁がございます。

うちは分家もいいところで、よくわからなくなってるんですけど、真田昌幸(幸村のお父さん)が一時養子に行った武藤の家に関わりがあるんだと聞いてます。

中村先生にそのことをお話すると、優しい先生は面白がってくださいました。先生は2012年に『真田三代風雲録』を上梓されてますので、そんな小さなつながりも良としてくださったのでしょう。

さて、前置き長くてすみません。本題に入ります。

武田信玄の末娘、松姫こと信松尼(しんしょうに)さんの生涯を描く「疾風に折れぬ花あり」も、いよいよ秀吉による天下統一仕上げの時期に入ってまいりました。

そうです。「小田原征伐」です。
20141001

「小田原征伐」という戦いは、「小田原評定」ということばで有名ですね。

当時、小田原城は、後北条家5代当主北条氏直(うじなお)が治めていました。天下の名城と言われた小田原城は難攻不落と言われ、伊豆・相模の雄として君臨し、関東八州にまで支配を広げていた北条家の象徴ともいうべき場所です。

また、北条家と武田家は、縁戚関係にもありました。

氏直さんのお母さんは武田信玄の娘、黄梅院という人なので、信松尼さんから見たら甥っ子にあたります。

また、信松尼さんのお兄さん、武田家最後の当主となった勝頼さんの後妻・北条夫人は氏直さんの叔母さんにあたります。

そんな濃い縁戚関係だったんですね。
当時の戦国大名は、同盟の証として婚姻関係を結んだりしますから、とても複雑です。

さて、この「小田原征伐」、我らが信松尼さんにも無関係ではないのです。

というのも、信松尼さんが住んでいる地域にあるお城は八王子城というのですが、このお城が、北条家にとって大切なお城なのです。

八王子城の城主は北条氏照(うじてる)という人で、氏直の叔父さんにあたります。たいへん優れた武将で、北条家を代表する人でした。

信松尼にとっても、勝頼の継室であった北条夫人の兄なので、氏照さんは義理の兄弟にもあたります。信松尼の存在を知ってからは生活を援助してくれ、頼れる人だったのですが…

いやはや…。

せっかく頼れる兄貴が出てきてくれた!とほっとしたのも束の間。

信松尼さんはどこまで行っても苦労しなくちゃいけない人なのです…。

詳しくは、ぜひ本編をご覧ください~!

(むとう)