イシブカツvol.8③古代に思いをはせつつ…うどんでしめる。


埼玉古墳群、でかい!
さて、大きな板碑を見たらいよいよ。埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)で古墳へゴー!

埼玉古墳群全図。(「ガイドブックさきたま」P2より引用。ピンク字はムトウの補足)

古墳となるとイシブ、とうかレキベンのテーマな感じですけどね。 実はこの埼玉古墳群にあるさきたま史跡の博物館で「原始・古代の職人集団」という講演会があり、それを聴講したい、というの

も今回の大きな目的の一つだったのです。

前回、聴講した栗島先生の講演会「古墳へと運ばれた石」の中で、大きな石を切り出したり、加工する専門的な技術を持った人たち(職能集団)が、縄文時代くらいからいたんだよ、とおっしゃられて、実際石を切り出したであろう集団の古墳の話などをしてくださっていたんです。

それで、ひょっとしたらそんなお話が聞けるかな?と思ってお邪魔したんです!せっかく講演会を聞くなら、やはり全国でも有数の古墳群を見ないわけにはいきません。もちろん、最初にご紹介した八幡山古墳の石室を見るとわかるように、石は重要な素材ですからね。

日本最大の円墳なんですよ~~! 

円墳のなかで日本最大なんですよ!!丸墓山古墳。もっと埼玉県民は誇ってもいいんじゃないかな~~^^;

丸墓山古墳。でかすぎて全体像が全く分かりません^^;。

さて、そんなわけで、まずは丸墓山(まるはかやま)古墳です。 この古墳、円墳(真ん丸な形の古墳)なんですが、何と日本最大なんですよ!! これってすごいことですよ。声を大にして言いたい!!

古墳とかそういうのは関西の方がすごそうじゃないですか。関東は後進国みたいな、ね。でも、必ずしもそうじゃないと思うんですよ。これだけ大きな円墳があるということは、これを作れるだけの文化、それを揺籃する富の集積=権力が、この地にあったということですもん。

「埼玉県民、ここ威張っていいとこだから!!」

説明板に小さく書かれた「日本最大です」の言葉に、石田さんも思わず突っ込んでます。いや、ほんとそうですよ。「日本一」って。それだけで商売になるってのに…(ブツブツ)。

実は、この埼玉古墳群のある行田は先日公開された映画『のぼうの城』の舞台になった場所です。 こちらの丸墓山は、その時に石田三成が水攻めをする際に本陣にしたんだそうです。確かに、周囲は平たいので、この古墳の上に立つと四方が見渡せます。正面に忍(おし)城天守閣も見えて、ばっちりですね。 きっと、これからは戦国武将マニアがたくさん訪れるんだろうなあ。

国宝・金錯銘鉄剣の出土した場所
さて、そんなでかい円墳のお隣にはこれまたでかい前方後円墳がありまして、これが有名な「稲荷山古墳」です。

稲荷山古墳。やっぱり大きすぎてよくわからない写真。

日本史をとってた人は覚えてると思いますが、あの有名な「国宝・金錯銘鉄剣」が出土した場所。 この鉄剣、なんでそんなにすごいかというと、115文字の文字が象嵌されていたんですが、それには、埋葬された年、埋葬された人の名前や略歴が記されていたんです。これは、あの古事記や日本書紀の成立よりも250年もさかのぼるんだそうで、記録としてとっても貴重。

鉄剣エンピツ!絶対つかえない!105円。

250年前って結構昔ですよ。私たちで考えたら江戸時代中期ですもんね。だから、もし日本書紀を作った人がこの鉄剣を見たとしても、おお、そんな昔の記録なんだなあ、と思ったんじゃないかな、と思うんです。ってくらい古い記録です。

ちなみに、その鉄剣は、こんなグッズもありました。もちろん買い! へた字系フォントって感じで味があっていいですよね。だれかこれフォントで作ってくれないかなあ。そしたら買うのに。

さて、そのまた隣にでかい前方後円墳があります。「二子山古墳」です。これもめっちゃでかい。なんか写真載せても意味わからない写真なので、写真はもういいやw。 実はこの古墳は、武蔵野国(現在の東京、埼玉、神奈川県一部)で一番でかい古墳です。全長134メートル。でかいなあ。

なんだか埼玉古墳群、古墳がでかいし出土品もすごいし、なんかも息切れしてきましたよ。だって、この狭いエリアに大小取り混ぜて40基も古墳があったことがわかってるんですって。現在は9基だけが保存されてますが、9基だって十分多い!

さて、最後にもう一基だけご紹介しましょう。

将軍山古墳。展示館があります。

将軍山古墳です。こちらは円墳部分にダイレクトに展示されていて、中に入って復原をみることができますよ。
石室の構造は、前にご紹介した八幡山古墳と同じような感じだったみたいですね。天井は大きな板石が乗ってて。
馬具や鎧など、いかにも武人らしいきらびやかな装飾品がたくさん出土したそうです。とにかくゴージャス。

さて、そんなこんなで、歩き回ってましたらそろそろおなかがすいてきました! イシブカツでは、「地のものを食べる」が基本です。 しかも、ゴージャスなものというよりは、そこに住んでいる人が普段食べているものを食べたいと思ってるんですね。そんなわけで、埼玉の石ものを見て廻ってる間は、当面「うどん」で決まり!

肉汁うどん。

調べてみると埼玉古墳には、埼玉では有名なうどんや『田舎っぺ』の支店があるではないですか。

午前中に、八幡山古墳→真名板板碑→埼玉古墳群をこなした私たちのおなかはぺこぺこ。

定番の肉汁うどんときんぴら、糧(かて)を注文しました!

すごいボリュームですが、一気に完食!美味しい!! こちらのうどんは、とっても正しい武蔵野うどんだと思います。麦粉の香りもいいし、こしもガッツり。うどんのつゆも甘すぎず、カツオだしが効いていて本当においしい! 埼玉古墳に行ったらぜひこちらのうどんを食べてみてください。埼玉以外の人は、おお!?と思うと思う。私もそうですけど、埼玉の人はこういう食べ方をしてるんですよ!当たり前すぎていわないんだけど^^:;。

すっかり満腹になった私たちは、本日の最大イベントの講演にいきました。わくわくしながら行ってみると… あれれ?? なんだか、告知されていた内容とちょっと違うぞ?まじっすか!? 結局、大変失礼ではありますが、途中で失礼していました^^;。ちょっとがっかり。

こうしてイシブカツ8回目は無事に終了。 帰り道に実はもう一基板碑を見ましたが、それはまたの機会にご紹介しますね。いやあ、やりきった!!
(「イシブカツvol.8」終り)

さきたま史跡の博物館・埼玉古墳群
http://www.sakitama-muse.spec.ed.jp/index.php?page_id=157

イシブカツvol.8②そして王道の板碑もね~


朝から、ガツンと石室の美しさにやられた二人。
しかし、その余韻も冷めやらぬまま、今度は中世の板碑の世界へゴー!

真名板薬師堂

行田市内で最も大きいという「真名板薬師堂板碑」をみにきましたよ。想像していたよりもなんだか大きなお寺さん。でも、現在はご住職はおらず、近隣の皆さんで管理してるとのこと。

おお!ありましたありました!
前方にある大きな銀杏の樹の間から覗いています。立派な板碑です。
どーん。
高さは3m51cmもあります!でかい!
紀名は建治元年(1275)といいますから、700年以上前に造られたものですよ。すごいですね~。
ちょっと表面に注目。
上に三つの丸みたいなのがありますが、これは「三弁宝珠」と呼ぶそうです。
仏教では「如意宝珠(にょいほうじゅ)」というめちゃくちゃパワーを持った玉(見た感じ桃みたいな形)があります。「思いのままに願いをかなえる宝の珠」という意味で、よく仏像が持っていたり、単体で祀られたりしています。

この板碑の場合、阿弥陀さんを表す梵字(種子)・キリークが真ん中にどんとあって、上に三弁宝珠が並んでますね。
石田氏のお話では、こうして三弁宝珠を刻むことで、ご本尊の阿弥陀さんを「おごそかに飾り付ける」という意味があるそうです。またこれを「荘厳(しょうごん)」するというんだそうですよ。ほほ~~。
その下の方を見てみると、なんか変なものがありますよ!

中央の左右、磨滅してしまってますが、中央の縦は、「南無阿弥陀佛と書かれていたのがわかります。でもその左右に謎のレリーフ。イラストのように、多分これ、「五輪塔」というスタイルの塔を刻んでるんですけど、なんか屋根の途中が離れてますよ?
たぶん、ここにも何か書かれていたんでしょうけど、まったく今はもう何が何だか…。何が書いてあったんでしょうね?w

そんな話をしていたら、石田さんが「フンフン」と鼻息を荒くしておられます。この「フンフン」はいつも穏やかで優しい石田さんが憤慨されているシグナルなのです。

「なんかさ、…うまかろうってかんじがしてこない?」
そう言って、鋭く種子とその下の蓮台を厳しく見つめています。
「確かにうまいと思う。でも『ほら、こんなにうまく彫れるんだぞ、どうだ』ってかんじじゃない?」
うんうん!
私も激しくうなづきました!わかる~!

そうなんです、すごい上手だと思うけど、なんか「どうじゃ~~」って威圧感があるような気がしちゃうんです。

あれ?気付かなかったけど…

やっぱなんていうんでしょうか。包まれたいっていうか。せっかく極楽浄土に一緒に連れてってもらえるんだったら、優しい阿弥陀さんにお願いしたいな、っていうか。そういう気持ちがあるわけなんですよ。
そう考えてしまう私たちとして、もうちょっと包容力のある空気感のがいいなあ、と思ってしまうわけです。

そんなこんなで、ちょっと落ち着いてみますと…。

なんか横にちっちゃいのがある。めっちゃ小さくて視界に入ってませんでしたが、こちらもなんかよく見るといい感じですよ。

こちらの種子は「バン」、「大日如来」です。
調べてみたら、なんとこちらは1265年に造られたものだそうで、隣の巨大板碑よりもっと古い!ゴメン気付かなくて!

小さいけど、とっても古い板碑。地味ですがなんかしみじみしていいかも。

こうしてみてみると、こちらの板碑のほうが、地味だしそれほど上手ではないかもしれません。でも、優しい感じがして結構好き。
言うなれば。
巨大な方は、「おれは優しいぞ!ついて来い!」と正面から言われてるみたい、こちらはふと気づいたらいつも隣にいて気遣ってくれてた、みたいな。さりげない優しさ、みたいな(考えすぎ)。

いやはや、こうしていろいろ考えたりするわけですよ。
余分なことも、ね(笑)。

(イシブカツvol.8③へ続く)

イシブカツ①石ものには古墳もね~


この一年にわたるイシブカツで、今回、8回目を数えます。実は。
よく考えたら、前回の『板拓』もイシブカツなので、あれがvol.7なんでした。余談ですが、イシブカツは石部活で、「イシブ+部活」の略です。あんまし略せてないけど。

イシブカツは、 できるだけ、月に一度開催。石田石造(女)氏と巡る、めくるめく石ものの世界なわけなんですが、このイシブカツにより、この一年でだいぶ積み重なるものがあったような気がしています。
以前のブカツもまたこちらでご紹介していきたいと思っています。さて、そんなわけでとりあえずライブなところから!

先週の土曜日、AM8:40。高崎線吹上駅に集合。
埼玉のイシブカツの際には、ムトウが車を出すことになってます。 車の中で、大体こんなところに行きましょう、と軽く打ち合わせを終えて、いざ、出発!

まずは、いきなり本日のハイライト、行田市藤原町にある「八幡山古墳」へ。

実は、不勉強なもので、こんなに大きな露出した石室が、埼玉にあるということを知りませんでした。
こちらの存在を知ったのは、イシブカツvol.5で、「古墳へと運ばれた石」@さきたま史跡の博物館という講演会を聴講した際。
講演されたのは栗島義明さん。縄文時代の交易などの論文を書かれている考古学者です。

栗島先生によると、こちらの八幡山古墳は7世紀前期の古墳。中からは、関東では唯一、また畿内でも王族クラスにしか用いられないタイプの棺が出土したそうで、とにかくすごいゴージャスで当時の最先端文化が埋葬されていたそうなんです。

また、問題の石室の建造にも新しい技法をふんだんに取り入れているそうですよ。当時のこのあたりの文化度の高さがしのばれます。

さて、ここでもちろん問題になってくるのは、そうです、「石」です。写真を見ていただくとわかるとおり、この石室に使われている石、めっちゃでかいです!
こんなでかい石、いったいどこから運んできたんだ??って思いますよね?

八幡山古墳の石室とわたし。写真でとるとなんか縮尺がおかしい感じになってしまいます。とにかくでかいのか!と思ってくださいw。

と申しますのも。このあたり(埼玉県中北部)には、山がないんです。見渡す限りの関東平野がドワ~っと広がっていて、めっちゃフラット。
たいして知識のない私にも、こんなに巨大な石はこの辺では取れっこないぞ、と思います。

素材に注目!この青っぽい石には見覚えが…。

それから、この青い石。そうです。板碑に多用される「秩父青石」ではありませんか!?
この石は、ここから車で一時間ほど行ったところの山の方でしかとれません。車で一時間って、結構な距離です。特に、人力ですべて行っていた時代に、こんなにでかい石をわざわざここまで運んだってことですよ?何と最も重い石は14トンもあるんですって!!でか!
切りだすのも大変だし、運ぶのも大変だし、組むのも大変!

そうなってくると、間違いありません。「プロフェッショナル」がいましたよ、これは。石を切り出すプロ、運ぶプロ、石を組むプロ。あ、あと細かいところを加工するプロも必要ですよね。

内部もきれい!人が住めるな…

内部もご覧ください。
ね?なんかすごいきれいでしょ?
柱や天井には青石の板石を使ってるんですよ。そして、壁面にはグレーの石(角閃石安山岩)の切り石を積んでます。ちなみにこのグレーの石は群馬県産なんですって。はるばるだなあ。

この石室を見て感じるのは、設計者の美意識ですよね。明らかに素材の使いやすさだけでなく、造形の美しさや色の組み合わせを考えてデザインしてます。これは相当に高度ですよ!

私も石田氏も、大興奮。石もの、というと中世以降のものが多いのですが、よく考えたら、縄文時代や弥生、古墳時代において、「石」は重要な素材です。こ、これはすごいところに足を踏み入れたぞお!と慄きながら、二人とも、びっくりするような会心の笑顔を浮かべていたのでした。わけわからないのって楽しいですからね!

(イシブカツvol.8②そして王道の板碑もね~続く)

 

 

板碑の拓本を取ってみよう~拓本をとるの巻~


さて、手作りタンポもできました。
後は、摺るべし、刷るべし!!

手順もそんなに難しくありません。でも、とにかく要注意なのは、とにかく板碑本体に墨がつかないようにするということ!墨は、一度ついてしまうと、なかなか落ちないというか落ちないんだそうです。

直接墨を付けずに、どうやって拓本を取るかというと…こんなかんじです。

① 板碑の上に和紙(裏面が板碑に触るように)を載せます。
② ①の上から、霧吹きで水をまき、全体を湿らせます。
③ タオルや脱脂綿などを使って、和紙がぴったりと板碑にくっつくようにたたいてなじませます。
④ 少し水気が落ち着いたら、練り墨をタンポにつけて、まんべんなくポンポン叩いて墨をうつします。

二つのタンポを使って、墨の塊がついたりしないように気をつけながら墨をのせていきます。

一気に濃くつけるのではなく、2,3回まんべんなく叩いて徐々に濃くしていくといいそうです。自分の好みの濃さに仕上げることができます。

さあ、できました!!
後はこれを板碑からはがせば出来上がりです!!

この方法ですと、間接的なので、墨が板碑に移るということもなく、拓本を取ることができますね。なるほどなるほど~。
教えてくださったボランティアの皆さんが、とってもおおらかでほめ上手なので、私はすっかり嬉しくなって、3点の板碑の拓本をとらせていただきました。

左は1365年、種子は「バン」(大日如来)、中央・右の種子は「キリーク」(阿弥陀如来)。

その板碑も、14世紀の本物の板碑です。デザインがそれぞれで面白いですよね!
摺りの仕上がりを見ますと、左はちょっと墨が濃かったみたい。中央の刷り上がりがいい塩梅かな、と思いました。これもやってみないとわからないことですね。

今回は、本当に貴重な体験をさせていただきました。
やはり、本物に触らせてもらうという体験は大きいです。石の質感を感じながら、じっくりと彫り筋を見たりできるのは、何よりの学習ですね。

また、博物館の皆さんが親切で、とても気持ちのいい時間を過ごさせていただきました。
来年も開催するとのことなので、ぜひ皆さんも体験してみてください!
おすすめですよ~~!

埼玉県立嵐山史跡の博物館
http://www.ranzan-shiseki.spec.ed.jp/
アクセス:東武東上線武蔵嵐山駅から歩いて13分くらい。

 

板碑の拓本をとってみよう~タンポ作りの巻~


突然ですが、「拓本」ってとったことありますか?
私はありませんでした。魚拓はとったことありましたけども。
そんな方は多いんじゃないでしょうか。…あ、女性はもっと率が下がりそうだけど。

これが板碑の拓本!

さて、板碑は石でできているんですけども、そこに彫られている文字や図なんかがちょっと読みにくいな~ということがあるんです。拓本は、その見ずらいものを印刷することによってわかりやすくする、という意味があります。
それから、これの拓本そのものを愛でる、という文化もあるみたいなんですね。

さて、しかしですよ。
「拓本、とってみたいの!」と叫んだところで、そんなこと一般人はそうそうできないですよね。
ところが、なんと、「拓本教室」を開催している貴重な場所があったのです!
それは、埼玉県立嵐山史跡の博物館
日本中世史の博物館として有名ですね。さっすが~~、と思いました。

今回は石田石造(女)氏ももちろん来場。二人で、周囲の板碑を見学したりしつつ(この辺りはまた後日ご報告します)、埼玉県・嵐山町へ!

講義室では、テーブルに本日の道具がセッティングされてます。むむむ。すごいです!
あっさりと小型ながら本物の板碑が、一人に一基、用意されています。

さりげなく本物の板碑がセッティング!

拓本に必要な道具は、意外とシンプル。
和紙、霧吹き(水)、練り墨、新聞紙、そして「タンポ」。
タンポは、水を霧吹きで吹きかけた後に、ぽんぽんと叩いて石に紙をなじませるための道具です。今日はこのタンポ作りから体験させてもらえるとのこと。
タンポも売ってるらしいのですが、自分で自分に合う硬さ、大きさのものを作ったほうがいいそうです。いきなりちょっと上級者な気分。
タンポは、綿・紅絹(もみ)・ひもで作ります。布団綿(手前左)を適度な大きさに切って重ね、生綿(手前右)でくるみ、それをさらに紅絹でくるんで糸できりりと縛ります。
お勧めに従い、大きいのと小さいのを作ってみました。タンポは適度な硬さが必要ということと、下の部分が平らなほうがいいそうですよ。我ながらなかなかうまくできたような気がします。

(~拓本をとるの巻へ続く~)