講演「運慶のまなざし」山本勉先生を聴く②



平安末期最先端の技術、「玉眼(ぎょくがん)」

先生のお話で、まさに目からうろこなお話はそれこそ山のようにあったのですが、その中で「玉眼」についてのお話がまたすごかったです。

「玉眼」とは何か、と申しますと、仏像の目のところに用いられる技法のひとつですね。

人間の眼球と同じように見えるよう、水晶などを埋め込んで作った目。キラキラ輝いたりして、ほんとリアルなんです。

仏像ファンは、もし、その仏像に玉眼が入っていたらそれは多分平安最末期以降の仏像だな、と思うと思います。つまり、12世紀に出現した、新表現というか最先端技法なんです。
銘がある仏像で、玉眼が用いられている最古のものは、長岳寺の阿弥陀さんだそうで1151年の名だそうなので、だいたいこれくらいから以降に使われるようになっていく技法なわけですね。
20140216-1(『興福寺仏頭展図録』より。表紙転載)

前後してしまいますが、あまりにも有名な旧山田寺仏頭。こちらは、鋳造されたお像なので、「彫」眼というのとは違うかな、でも玉眼でない表現の参考として見ていただければと思います。 玉眼という技法が現れる前までの仏像は、木彫にしてもこのような表現だったわけですね。
#またまた「興福寺仏頭展」図録の表紙の転載、ということでお許しください。

運慶は表現として「彫眼」と「玉眼」を使い分けていた!
先生のお話は、この玉眼、という視点から運慶の表現に迫る、というものでした。

山本先生のお話ですと、どうも運慶は、玉眼と彫眼(彫っただけの目)という技法を、ものによって使い分けてるのではないか、とおっしゃるのです。

おおお!

な、なるほど!!!

いや、実際、使われてるものとそうでないものがあるのはなぜ?と思ってはいたんです。でも、少ない制作費で本を作ってきた人間のサガでしょうか「ひょっとして予算がなかったのかな…」なんて、せこいこと考えてたんです。

……そんなことはないっすよねw。

施主さん、大物ばかりですもんね^^;;。

先生のお話では、運慶は玉眼という技法を十分に使いこなし、表現の選択として用いていたのではないかというのです。

玉眼というのは、非常に生々しく、写実的な表現を可能にします。

ですから、人ではなくなった超越した存在である「如来」、またそれに届こうかとする存在「菩薩」には、あえて玉眼は使わず、怒りの表現でもって人々を導く「明王」、神様が仏法に帰依した姿である「天部」 、またお坊さんの姿である「羅漢」「祖師」像などには玉眼を用いる…と。

なるほど!
そういうことなんですかあ。納得!

しかし、見ていくとどうもこの単純なルールだけでもない、ようなんです、と言い出す山本先生。

え!
じゃあどんなルールが!?

(続く)

講演「運慶のまなざし」山本勉先生を聴く①


 

小学館さん90周年記念事業『日本の美術』シリーズ記念講演
先週末、小学館さん主催の講演会、「運慶のまなざし」by山本勉先生を聴きに行ってきました。20140130-1

もう説明するまでもないかもしれませんが、山本勉先生と言えば、日本仏教彫刻史の第一人者。おそらく今最も仏像についての著作をものされてますし、昨年は、平凡社さんから『仏像~日本仏像史講義~』も出されてますね。一般向け、仏像研究ともに影響力満点な大きなタイトルを立て続けに上梓されています。

今回の講演会は、小学館創業90周年記念企画として刊行されている『日本美術全集』の『第七巻 運慶・快慶と中世寺院』刊行記念として開催されたものです。
20140130-5

太っ腹なことに、記念公園ということで参加費は無料!場所は丸の内丸ビルの豪華なホールですよ。さらにメモパッドとボールペンもお土産にいただいちゃって、なんだかびっくり。

すごいですねえ。小学館さん!!

さて、この美術全集、これまでに7回配本がありまして、それらの一部がホールに展示されてました。チラ見しましたけど、まあ豪華な作り!!

小学館さんと言えば『原色日本の美術』シリーズという、大変有名な美術全集を出されてますが、なんとそれから46年が経つんだそうですよ。

今も、『原色日本の美術』は図書館には必ずありますし、私もたまに参照させていただく素晴らしい図鑑です。そう言う意味では、こういった図鑑的美術全集は、小学館さんのお家芸ともいえるものでしょう。それを90周年記念事業にされた、というのは、なるほど、と思います。
20140130-4このシリーズの特徴と言ったら、このパンフレットの絵の並びを見ていただければ一目瞭然でしょう。
黒田清輝さんの〔湖畔〕の横に、つげ義春さん〔ねじ式〕の冒頭原画ですよ!!そしてその横には村上隆さんの〔五百羅漢図〕が来て、写楽…と続きます。
こういう視界で日本美術をとらえていく、というわけです。革新的で面白いですよね!

運慶作の仏像って何体あるの??

さて、ちょっと前置きが長くなってしまいましたが、そんな革新的意気込みで制作されているシリーズの7巻目。それをご専門の「運慶」を中心に編集された山本先生のお話です。面白いに違ない、と思ってましたが、案の定めちゃくちゃ面白かったですよ!

「運慶作、という仏像は、意外に少ない…」

仏像ファンの間ではよくそんな風に言われますが、先生のお話によりますと、もはや「少ない」とは言えなくなってきました。先生のお話では近年の研究成果により、次のような「認定レベル」が考えられているとのこと。

1.名前の記されている作品

2.名前は記されていないが同時代の史料に運慶作品として記述され、明らかに該当する作品

3.後世の史料に運慶作であると記されていて作風も矛盾しない作品(→伝運慶、と表記)

4.作風・構造技法や、伝来状況に予感する現代の美術史研究により運慶作と考えられるもの

1.2は、疑いようがないもの、と言っていいでしょう。確定された作品として、7件(作品数としては18)とされてますが、今回、先生はここに浄瑠璃寺旧蔵十二神将像を加えたい、とおっしゃられてました。つまり8件(像数34)。
#この十二神将像は、浄瑠璃寺にはなく、静嘉堂文庫とトーハクで分蔵されてるそうです。

こちらの十二神将は、明治時代の調査で、胎内に運慶の銘文があった、という新聞記事が発見されたそうで、同時代の史料にも運慶は作ったとあるため、ほぼ間違いないだろうとのことでした。

その確定されているものに3.4のものを加えますと、現在先生としては14件、像数47と考えられているとのことでした。

けっこう多いですよね??
けっこうっていうかかなり多いですよね!?

12.3世紀に生きた人の作品がここまで確定されてるって、そもそもすごいですよ。世界的に見てもまれなんじゃないでしょうか。何度も言いますが12.3世紀ですよ?!

世界美術史からの運慶 という視点
さて、この認定レベルで4にあたる例として先生が挙げられていたのが、有名な「東大寺俊乗上人(重源上人)像」(国宝)でした。こちらです。
20140130-2こういうお像の絵を乗せるのは大変難しいのですが、こちらは先日開催されて展覧会の図録表1、ということで許していただきましょう。

このお像は、日本というか世界を見ても屈指の傑作と言っていいであろう肖像彫刻です。長らく運慶の兄弟弟子である快慶作と言われてきましたが、先生はこれを運慶作である、と言い切っておられました。

いや、でもなんかわかります。

以前から、快慶作と伺うたびに、なんか違和感があったんですよね。快慶さんも素晴らしい仏師ですけど、方向性が違いますもん。私は素人ですから的確に表現できませんが、シロウトゆえに、直観力はかなり強いと思います(野生の勘みたいなやつです)。

先生がこちらを運慶作である、と考えた理由は、研究者としてさまざま述べられてましたが、「直観的な」こととして、ピカソの彫刻「雌山羊」と比較されていたのが印象的でした。
この雌山羊の彫刻と共通するような、そぎ落とされた線、フォルム、そういったものをピカソ以外には作れないように、この重源上人像も運慶以外には作れないんじゃないか、とそのようなことをおっしゃられていました。

私は、そういう直観はとても大切な感覚じゃないかと、日ごろから思っているので、大きくうなずいてしまいました。
さすが山本先生だなあ、とため息をつくワタクシなのでした。

(続く)

 

『天上の舞 飛天の美』展@サントリー美術館にいってきました!


サントリー美術館で開催されている『天上の舞 飛天の美』展に行ってきました!

13日までの開催だったので、ほんっとーにギリギリ。行けてよかった~~!
あぶないあぶない。

天上の舞飛天の美展
「飛天」と言われると、はて?という方も多いかもしれませんが、仏教世界での天使、みたいな存在のこと。

「空を飛び、舞い踊る天人は「飛天」と呼ばれ、インドで誕生して以来、優美で華麗な姿で人々を魅了し続けてきました。本展覧会では、地域・時代を超えて展開 した飛天の姿を、彫刻・絵画・工芸の作品によってたどります。」(HPより抜粋)

ということですが、日本での仏教美術の表現では、この「飛天」は「迦陵頻伽(かりょうびんが、下半身が鳥、上半身が人の楽神)」として、または、中国の神仙思想風な「天女」として、または阿弥陀信仰の中で「雲中供養菩薩」として表現されたり、本当に多様です。

でも、いうなれば、名わき役なので、これだけ系統だってみられることはまずないと思います。そう言う意味でとてもテーマ性のある面白い展覧会だと思います。

さて。

仏像好き的に外せないポイントは、もちろん平等院鳳凰堂の飛天(国宝)さんと雲中供養菩薩(国宝)さんたちを、東京で間近にみられる、ということですね!

もっとも、実のところ平等院鳳凰堂に実際に行きますと、雲中供養菩薩さんたちは比較的間近で見られるんです。なので、この展覧会でがぶり寄りで堪能しなくてはいけないのは、「ご本尊の阿弥陀如来像の光背(後光を表現したもの。お像の背後にある光の束みたいな部分です)にいらっしゃる飛天さんたち」だ!と言えるんじゃないかと思います。

……あれ?
でも、ひょっとしてサービス精神旺盛な平等院さんは、ひょっとして光背のほうの菩薩さんも下におろして見せてくれてたりするのかな??

ちょっと自信ないですけど^^;、
すみません、未確認。

ともかく、そんな貧乏根性で、光背の飛天さんを中心に、とにかくがぶり寄りで見てまいりましたよ。
ちなみに、光背の飛天さんか、雲中供養菩薩(お堂のほうに取り付けられていた菩薩さん。楽器をもって音楽を奏でています)を見分ける簡単な方法あり!

光背の飛天さんは、金色ですっッ。

ポスターも、それでみますと簡単に分類できますよね!
#あああ、すみません、浅い見分けかたで…

平等院の素晴らしい飛天を間近に見られた、ということはもちろん感動しましたが、個人的におお!と思いましたのは、非常に初期のガンダーラ仏教美術(スワート、1~2世紀)のレリーフでも、すでにこの飛天が表現されていたことです。ギリシア彫刻の影響下で、ガンダーラ美術が発生した、というのはよく聞く話でしたが、この中に搭乗する飛天は、まさに『天使』そのもの、ってかんじでしたよ!

うーん新鮮!

結構見ているはずなんですけど、どうしても脇役まで気がまわらなかったですね、今回ので初めて気づきました。ちゃんと見てなかったなあ。

こういう気付きを与えてくださるのは、本当にありがたいですね。

あ、それからそれから。
法隆寺の飛天像(国宝)も必見。とても有名なお像で、いかにも飛鳥時代の大らかでかわいらしいお像です。
それから私は初見でしたが、有名な川原寺裏山で発見されたという「仏三尊塼仏(ぶつさんぞんせんぶつ)」が素晴らしかったです!このすごいレベルの塼仏が大量に発掘されたっていうんですから、川原寺ってすごかったんだなあ。

ちょっと話がまとまりませんが。
本展覧会は、『天使というモチーフが仏教、アジア世界でどんな表現に拡大され、発展していったか』と見たほうが、よりおもしろがれるかも、と思いました。

「天使モチーフのアジアでの展開文化史」みたいな。

『天使』というモチーフは、なんとなくキリスト教かな?という印象があるかもしれませんが、天使を「羽を持ち空を飛ぶ神のような存在」という意味では、実はとても古いモチーフなんだなあ、と改めて思います。

それにしても、「空を飛ぶ」ということに、いろんな民族が普遍的に憧れたんですねえ。
興味のある方はぜひお早めに!13日までですよ~!

 サントリー美術館(1月13日まで開催)
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2013_5/index.html

新潟で京都の秘仏に出会う②『京都清水寺展』@新潟万代島美術館へ!


 

一周年記念!
「ピア万代」から「朱鷺メッセ」へ
第二回目の新潟ブツタビレポートですが、前回では「廻転寿司 佐渡 弁慶」でイカを二貫食べたところで力尽きました。アオリイカの美味しさが、10年以上前の懐かしい思い出を喚起してくれちゃったりしたもんで、なかなか前に進めません。

それにイカは一番最初に食べたんですから、先は長いですよ。
しかし一つ一つレポートしていたら、なかなか仏像にたどり着けません。ここでは、「佐渡産」と銘打たれたネタの中から、私が頂いたもの三種を一気にご紹介!
佐渡産寿司ネタいちばん左は多分イサキ、中央は今回最も高価だったノドグロ、左はブリです。

ノドグロのお刺身は初めていただきましたが、ま~美味しいこと!!白身ですが、脂がのっていてまたその脂が上品でたまらんかんじです。
そして、もう一つの驚きは天然ブリでした。私、実は脂の多い魚は苦手で、ブリなんかはしゃぶしゃぶでいただきたい派です。でもこのブリは違った!臭みが全くなく、脂ものってますけど重くない!!美味しかったので、ついついもう一皿…と手が伸びてしまいました。これで126円だっけ??ううむ、お得だなあ。

実は私、食いしん坊の割に量はあまり食べられず。小腹べりでして回数分けて食べる派なのです。そのため、5皿+お味噌汁で打ち止め。おなかいっぱいです。結局4種類しか食べられなかったというていたらく…^^;;

すっかり満足して、いよいよ万代島美術館へと向かいます。
朱鷺メッセこののっぽな建物が、万代島美術館の入っている「朱鷺メッセ」。弁慶の入っている「ピア万代」という建物から歩いて10分弱。こちらの5階に美術館が入っています。
展望台から朱鷺メッセに入って、美術館に行く前にちょっと寄り道。最上階にある展望台に行ってみました。手前に見えるちょっと黄色い青の流れが信濃川、その先にあるのが日本海です。この万代島というのは信濃川の河口にある中洲なんですね、たぶん。

さて、一階に戻りますと…
案内案内板?発見。
おおお、いよいよ、清水寺の秘仏に会える瞬間が!!

それにしても、新潟の雄大なこの空間の中で、清水寺の秘仏に拝観することになろうとは。清水寺は観音さんですから、この場所にいるのは間違ってない気はしますけどね。

というのも、観音さんというのは、とても人気の高い菩薩さんで、さまざまなところで祀られてるんですが、その多くは、「水」に関係のあるところに祀られているのです。

それも「水源」にかかわるところが多いと思います。清水寺も、おそらくそうでしょう。

図録にある縁起によりますと、

「大和国武市郡に住んでいた高僧・延鎮(えんちん)という人が、ある日の霊夢に導かれ、淀川に流れる一筋の金色の水をたどってさかのぼっていたところ、東山の音羽の滝にたどり着き、そこで彼を数百年にわたり待っていたという仙人に会って託され、その土地に庵を営み…」(要約)

ということなんだそうですが、この文章を見ても、「金色の水をたどって」、とありますから、庵を営んだその音羽の滝というのは、水源、と考えられますね。

この音羽の滝、というのは現在もありまして、有名な「清水の舞台」と呼ばれる、本堂の正面下あたりにあります。

実はこの「音羽の滝」こそ、清水寺にとってものすごく大切なものなんじゃないかな、と思うわけです。このお寺がここにできる理由になった場所なわけですから。建物が燃えてしまっても、この滝がここにある限り、この水が枯れない限り、清水寺は再建可能なんじゃないかな、なんて思いますね。

(続く)

 

新潟で京都の秘仏に出会う①まずは新潟のお寿司に出会おう


一周年記念! 京都清水寺、243年ぶりの秘仏開帳が新潟で開催!?
少し時間はさかのぼります。

とある猛暑の日。ネットでちらちらニュースを見ていたところ、とんでもないニュースが飛び込んできました。

「『京都 清水寺展』新潟万代島美術館開催。奥の院ご本尊も登場します。」(要約)

な、な、な、
なんですとーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!

清水寺奥ノ院のご本尊が出開帳(しゅつかいちょう)!!?

まじでですか!??

私は仕事部屋でひとり叫びました。あんまり驚いたので、FBでも書いてしまいました。この驚きをだれかと共有したい、そんな気持ちでいっぱい…。

なぜ私がこんなに驚いているのかというと、清水寺、というのは、皆さんもよくご存じのあの三年坂とかのある「清水寺」なのですが、清水寺には有名な秘仏が二躰いらっしゃいます。

そのうちの一躰、奥の院のご本尊が、こともあろうに「出開帳」なんて!!本当に信じられない事態です。
*出開帳というのは、お寺さん内でご開帳するのではなく、どこが他の土地に出張してご開帳する、ということです。

まずこの奥の院のご本尊は、平成15年に「243年」!ぶりにご開帳され、仏像ファンの間では、一大ニュースになりました。

243年ぶりですよ?!!

前にあけたときは、1762年ごろってことですよね。徳川将軍10代目家治の時ってことですよ。えらいこと昔です。

実は、清水寺は、火事の多いお寺さんなのです。創建されたのは778年(奈良時代)のことですが、そのあと何度も何度も火事で焼けては、再建されているお寺さんです。

江戸時代にも全焼してますが、三代将軍家光公によって再建され、現在に至っています。243年前になぜご開帳されたのかはわかりませんが、本堂のご本尊のほうは、運営資金を集める勧進のために、江戸時代には何度も江戸に出開帳していることを見ると、そういった何か経済的理由があったのかもしれません。

今回の出開帳も、家光公による「寛永の再建」から380年を数えたことを記念して、とのことなのですが、それにしても、どうして新潟で??!また、このあと沖縄県立博物館を巡回します。新潟と、沖縄……。

正直言って、相当に不思議なことです。何か深いご縁がある、ってことなんでしょうか。

すみません、前置きが長くなってしまいましたが、これはもう、前回2003年の時には、仕事で京都に行くのを断念した私としましては、神の恵み、いや観音さんの恵みってやつじゃないですか。どうにかこうにか見に行かないわけにはいかん!…とスケジュール表とにらめっこです。

ちょうど、ありをりあるが一周年を迎えるので、その記念にちょっと出張したいと思ってましたので、この新潟へ清水寺の観音さんに会いに行くというのを、ぶっこむことにしました。

調べてみますと、高速バスで行くとすごくお安い!ホテルも平日だと半額で泊まれる!

…こうして、一周年記念取材旅行は新潟に決定したのでした。

国内では15年ぶりの高速バスでのブツタビ
10月1日。いよいよ待ちに待った新潟ブツタビに出発です!
朝8時池袋発の長岡バスに乗って出発!

実は高速バス、国内ですと学生以来の体験です。しかも新潟は初めて。バスってなんかワクワクしますね。電車もいいけど、バスもまたいい。不思議な旅情があって!!

約5時間の旅です。

高速バス

(写真:私が載った高速バス。途中PAにて)

時間があまりになかったので、新潟についてあまりよくわかっていない私は、バス内で一生懸命ガイドブックとにらめっこ。

一泊はするものの、時間はそんなにたくさんはありません。本当は新潟市内だけではなくて、村上市や長岡市やたくさん行ってみたいところはありましたが、現実を考えて、新潟市内だけにしぼりました。

新潟市内は、どちらかというと明治以降ハイカラな港町だった場所なので、古い仏像は見当たりません。そういう意味では、今回のブツタビはとにかくお目当ての『京都清水寺展』にしぼったほうがよさそうです。

後は市内を巡回しているバスに乗って、明治から昭和の名家のお庭など見ることにしよう、と決めました。こちらはどちらかというと「石部」の範疇……。
信濃川(写真:途中のPAで見た信濃川。だんだん気持ちが上がってきましたよ!)

それにしても、バスでの移動はとても楽しかった。景色もよく見えますし、また、バスの運転手さんもすごく親切なんですよね。

車内のパーソナルスペースもかなり広いですし。時間は新幹線よりかかっちゃいますけど、お値段3分の一くらいですから、この快適さも含め、本当にいいですね。

さて、そんなこんなで、予定より30分早く、新潟駅に着きました。時間はだいたい13時。

13時といえば、そうです。お昼ご飯食べないと!!

お昼ご飯は、お寿司お寿司お寿司!!!
新潟に行くと決めてから、到着して最初のごはんは「生もの」と決めてました。美味しい新潟の海産物をまずいただきたい!と。

ネットなどで情報収集してみると、意外とネガティブな情報も多く見受けられました。総合しますと、新潟市内(駅に近いエリア)ですと、お寿司は東京とそんなに変わらない…て感じの評価なんです。大きな都市ですから、しょうがないですよね。だけど、私はどうしても地の魚が食べたいのです!

そんなことで、またネットでいろいろ見ていると、私がこれから行こうとしている「万代島美術館」の近くに、評判の回転すし屋さん発見。佐渡の魚を食べさせてくれるというではありませんか!?

よし。ここだ!!

駅から歩いて20分ほどで到着しました。もうおなかはペコペコです。
弁慶

やっと着いた~!「回転寿司 弁慶」です!

幸いなことに、13時半ぐらいで時間も外れていたからでしょうか、待たずにすぐ座れました。普段は大人気なので、けっこう並ぶらしいですよ。

メニューを見て「佐渡産」と書いてあるものを、全部頼もう、と意気込むワタクシ。

佐渡といえば、イカですよ。イカイカ。すみませーんイカくださーい。
アオリイカ

見てください、このツヤを! アオリイカ最高~♪

佐渡。いいなあ、佐渡…。

実は、私にとって佐渡はとても懐かしい、大好きな場所なのです。

10年以上前の話ですが、仕事が大変すぎて壊れかけていた私と友人KとMは、このどうしようもない状況の打開策として、「これ以上ないってくらい落ちたら、もう上がるしかないってそう思うのはどうか」と思いいたりました。

その時、友人Mが、力強くつぶやきました。

「…流人だ。流人の気分を味わうべきだ」

日本史専攻の友人Mは、絶えず渋い打開策を提案してくれる力強き人物です。その時も、「流人」という力強いテーマを投げ込んでくれました。

なるほど、流人か…

それは、私とKにとって、思いもよらぬ投げかけでしたが、心境的にはばっちりはまりました。最初は隠岐の島が候補に挙がりましたが、さすがにちょっと遠すぎます。次に八丈島が上がりますが、南国な感じがして、なんかちょっと今回は違います。

そこで、残ったのが「佐渡」だったのです。

「行くぞ!佐渡に!!」
(←この辺りで、実はもうかなり復活していることに気付かない三人)

こうして訪れた佐渡は、「流人気分」なんてとんでもない。本当に素晴らしい場所でした。

宿も「一番人気がなさそうで、建物も崩れそうな、いけてなさそうな民宿」を、あえてセレクト。ところが、確かにその宿は建物はボロボロだったのですが、おかみさんはいい人だし、ご飯は美味しいし、海はきれいだしで「いけてない」どころか「いうことなし」だったんです。

そのお宿で食べた、イカの美味しかったこと!

夕ご飯はイカ尽くしって感じでしたけど、生で食べても焼いても煮ても、ま~間違いない旨さ。

どん底気分を味わうつもりだった三人でしたが、すっかり楽しくなってしまって、見事に復活を遂げたのでした。

………

……と(回想シーンが長すぎですけど)二貫のアオリイカをいただいた瞬間、この時の記憶が走馬灯のように駆け抜けました。

佐渡、今回はいけないけど、また行きたいな…。

(続く)

 

東京新聞ニュース『石仏5体の首折られる』!!!


信じられないニュースです!

埼玉県吉見町岩室観音にある石仏5体の首を何者かが折ったというのです。

『観音堂の石仏八十八体のうち、高さ約六十センチの五体が倒されて首の部分で折られていた。石仏の頭部は観音堂の周囲に投げ捨てられるなどしていた。観音堂手前の階段には折り鶴用の色紙が散乱し、記帳用の机の上に「おれの時代だ」などと書かれた色紙と石仏の頭部が置かれていた。』(東京新聞記事より引用)

石仏の頭部は観音堂の周囲に投げ捨てられ…って、えええええ!??
あらゆる意味で信じられません。そんなことする意味がどこにあるんでしょうか!!?

実は私にとってこの観音堂は子供のころからなじみの深い場所。よく遊びに行っていた場所です。小さな岩室の中にたくさんの石仏がいらっしゃるところで、普段は管理の方はいらっしゃらないながら、きれいにされていて気持ちのいいお堂があり、その周辺が岩の崖になっています。
お寺さんはもちろん周囲の皆さんが大切に守ってきたお像を、こんなに心無いことができるなんて、いったいどういうことなんでしょうか。

なんだかもう、腹が立ってしょうがありません。

詳しくはこちら↓
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20131009/CK2013100902000146.html?ref=rank

 

 

新プロジェクト「神仏探偵」、準備スタート!


 

よく日本には、『八百万(やおよろず)の神々』がいらっしゃるといいます。

日本人は、伝統的に木や岩、海、山…、すべてに神が宿っていると考えてきました。また、そういった日本古来の神さまと、外来の宗教(仏教など)の神仏が合体したりまた分身になったりして、習合しながらいろんな形でいらっしゃると考えます。

日本の文化は外来の文化を喜んで受け入れるというのが特徴かもしれません。新しく入ってきた神を受容し、一方でもともといた神も否定せずに形を変えて残し…、その「なんでもあり」が日本なんですよね。

私は個人的に、こういう多様性は大好きなんですけど、多様であるということは、一方でとても複雑な状況を生むことも意味します。ものすごく有名なのに、実はその正体がよくわからなくなっている神さまや、信仰がけっこうあるんですよね。

そんな「よくわからない」を、楽しみながら解き明かしちゃおうと、コラボプロジェクトを始動させるべく準備を始めました。その名も……

「神仏探偵」

プロジェクトです!

神仏の著作を多数執筆、編集されている本田さんと、本サイト代表のわたくしことむとうが始めるコラボ企画。手探りながらもワクワク、ドキドキです。
本田さんは、本カテゴリ記事で大プッシュさせていただいた『へんな仏像』の著者でらっしゃって、その記事をきっかけにお声掛けいただきました。ありがたいお話です、ほんと!

とはいえ、まだまだ準備段階。どんな風にコンセプトを固めていくかをつかむために、プレ取材をスタートしました。まだ皆さんにご報告する段ではないかもしれませんが、嬉しいので先走ってご報告です。

そんなわけで昨日は、記念すべき第一回プレ取材!東京都北区王子にいってきましたよ!

本田さんのご提案+ご案内で、有名な「王子稲荷社」「王子神社」を中心に、「お稲荷さん」についていろいろ取材しました。東京って、本当に奥深いですよね。王子ってサラリーマン時代に仕事で通っていた場所なんですけど、こんなに知らないことがあったなんてって感じです。
稲荷社(写真:装束稲荷)

とはいえ、謎は深まるばかりだったのですが、「わからないって面白い」主義なむとうとしては、大満足の一日でした。それにしてもお稲荷さんって、本当に謎な神仏ですわ…。

お稲荷さんと言ったら、狐を連想する方は多いと思いますが、お稲荷さんの本体がイコール狐、というわけでもないのです。キツネは本来、お稲荷さんのお使いとも乗り物とも言われます。
お狐さん(写真:王子稲荷社のお狐さん。「眉毛」があるとなんかおっさんぽい空気に)

 

……あれ??

じゃあ、お稲荷さんって神さまがいるの?それとも仏教の神さま??

それがですね。神さまでもあるし、仏教の神さまでもあるんです。
とにかく、お稲荷さんって複雑!ナゾの存在なのです!

こんなにも身近なのに、その正体がよくわからないっていうのは、よく考えてみたらおかしなことです。いったいどういうことなんでしょうか。

「神仏探偵」では、そんなナゾを探ってみたいと思っています。もちろん、尋ね歩く行程や、関係者の方、研究者の方にお話を聞く、そのこと自体を、皆さんと一緒に楽しめたらいいな、と思っております。

また詳細決まりましたら、ご報告させてくださいね。

寺社好きのみなさん、絶対手に入れたほうがいいです!!なガイドブック登場。


 

尊敬する大先輩・Wさんが、すごい本を上梓されました。
祈りの回廊をゆくこちらです!!『奈良大和路 祈りの回廊を歩く~奈良町・高畑界隈~』。

帯はこれまた尊敬してやまない、奈良博の西山厚先生が寄せていらっしゃいます。

本書の特徴は、先生の言葉に凝縮されています。
「小さなお寺や神社に向けられた温かいまなざし。こんな本がほしかった。ずっと待っていた。奈良がもっともっと好きになる本です」

奈良町・高畑のあたりといえば、奈良にいったらまず歩くところだと思いますが、本書を読むと、いかに自分がものを分かっていなかったということがわかります。

拝読しながら、こんなところに、こんなすごい歴史の神社があったんだ!お祭りもあるんだ!え、こんなきれいな仏像があったの??…と付箋たてまくりですよ。関東在住の割には結構知ってるほうだと思いますが、まだまだ浅かったああ、という心地よい敗北感が…。
祈りの回廊(P6-7より引用)

そしてこのページをご覧ください。

本編の一番最初の見開き、最も大きな写真は、元興寺(たぶん本堂)の屋根ですよ!!
く~~っさっすが~~Wさん~~~!
確かにこのシリーズの最初を飾るにふさわしい写真です。元興寺、そして「行基葺き」。

元興寺は、ちょっと特別なお寺ですよね。元興寺はもともと現在の飛鳥寺だったお寺です。えっと、そういうとちょっとわかりにくいですよね。

蘇我馬子によって、日本最古の本格的な仏教寺院として建立された「法興寺」というお寺が飛鳥にあったのですが、平城京へ遷都する際に、一緒に引っ越して、名前を元興寺と改めたんですね。
(それで、うつされたものの、法興寺自体も残りまして、これは現在〔飛鳥寺〕と呼ばれてるわけなんですね)。

つまり、仏教興隆の第一歩ともいえるお寺さんなわけで、このお寺がまず最初に来るのはとても納得しますし、そしてその屋根が大きく出ているのもとても納得してしまうのです。というのも、この本堂(国宝)自体は鎌倉時代のものですが、屋根の瓦は、飛鳥時代の瓦でもって、一部葺いてるんです。そんな古い瓦が現役なんて、すごいですよね!
まさに、トップを飾るにふさわしい写真です。はああ、さすがだなあ。
祈りの回廊(P18-19より引用)

また、本書の特徴は、お寺さんだけでなく神社も取り上げているところ。一見小さくみえる神社でもこんなにすごい特徴、歴史、物語が詰まってるなんて、と改めて驚かされます。

そして、通常のガイドブックではまずスルーされてしまうであろう石造物もきっちりフォローしてくれてますよ!石部の魂も騒ぎます。付箋付箋、と……。

これだけ、しっかりとした情報が満載なのに、文章量も適度で、そんなに重たいという感じもないのがまた…。ガイドブックとしてとても使いやすそうですよ。もちろん地図もわかりやすいし。

「奈良では『ありがたいものはみんなありがたい』という素直な祈りの心が数えきれないほどの人々によって伝えられ、守られてきた。今改めて、奈良は町全体が『祈りの回廊』なのだと称えたい」(前ソデより引用)

なるほど。

そうなのです。これだけの多くの寺社を、奈良の人たちは伝え、守ってきたのです。それは簡単なことじゃありません。戦渦にあっても、途絶の危機にあっても、その時の誰かが踏ん張って伝えようとした。その結果が、この豊かな「祈りの回廊」なのですね!!

……Wさん、西山先生、これが「愛」ってやつですね!?

すみません、ちょっと興奮しすぎですね。いやでもそれくらい感動してしまったんです。

とりあえず、今度このガイドブックをもって、奈良町と高畑を歩きます。間違いなく私はもう一歩前へ進める気がするのです。

皆さんも、ぜひお手に取ってみてくださいね!!

 

あの飛鳥大仏が、ほぼ造立当時のままだった!!?


日本最古級の仏像としてまずその名前が挙がる、飛鳥寺の飛鳥大仏(重文)。

ただ、この飛鳥大仏は、鎌倉時代と江戸時代に大幅に補修されていると説明されてきて、造立当時のままなのは、お顔の部分だけ、と説明されてきました。

ところが、早稲田大学大橋一章教授の調査によると、どうも全体が造立当時のままの可能性が高いという結果が出たというのです!

早稲田大学の記事!↓
http://www.waseda.jp/jp/news12/121020_daibutsu.html

ざっくり要約してしまいますと、お顔も体も銅などの金属組成が同じなため、同時期に作られたんじゃないかという、結果。これは、すごいことです!

現在、飛鳥大仏の造立は609年とされています。609年に日本で作られた銅製の仏像となると、名実ともに最古と名乗るにふさわしい仏像ってことですよね!

最古であってもなくても、補修されていてもなくても、あのお像の素晴らしさは変わりませんが(私は飛鳥大仏大好きなのです^^)、今後のさらなる調査が楽しみです。

【朗報】清水寺奥ノ院の観音さまと新潟で、ご本尊と沖縄で会えちゃいますよ!!


仏像好きの皆さんはもうとっくにチェックされてましたか?
私、すっかり後ノリになっております。情けなや…

なんと、京都清水寺奥ノ院の秘仏・「三面千手観世音菩薩像」が新潟万代島美術館にて。
また、秘仏は展示されませんが、そのほかの貴重な仏像や曼荼羅図などが沖縄県立博物館・美術館にて公開されるというではありませんか!!!

なぜ、新潟と沖縄…。何かご縁がおありなんでしょうか?

沖縄は私にとっても第二の故郷のような場所ですので、こちらにもいきたい気持ちでいっぱいですが、なんと言いましても、奥の院の秘仏「三面千手観世音菩薩像」は、2000年も2009年も見逃してしまっているが故に、思わず指が震えるほどに衝撃を受けました。

いや、だって33年に一度のご開帳が本来ですから、ね。もう、生きてるうちに一度でも拝観できたらいいか…とほほ……。と落ち込んでいたところ、まさかのこの特別開帳ですもの。いやもう、なんかご褒美もらったような嬉しさですよ!

これはいかねばなりますまい!

新潟は10月14日まで。
沖縄は11月2日~12月8日!!

(詳しくは清水寺のHPにて ↓)
http://www.kiyomizudera.or.jp/news/2013/08/post-3.html
20130909