【関西旅2015】①東大寺のお水取りに行ってきました!!


先週土曜日から3泊4日で、奈良と大阪に旅してきました。

今回のお目当ては2つ。

奈良で念願のお水取り@東大寺をWさんとご一緒して拝観することと、大阪でH山先生の親友でいつもたいへんおせわになっているAさんにお目にかかること。結果的に天候にはかなりやられましたが、とても実り多き旅になりました。

東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は別名「お水取り」と呼ばれ、とても有名ですね。
この行事は、選ばれた僧侶11名が(練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれます)、すべての人々に代わって1年の罪を十一面観音菩薩に悔い(悔過)、国家の安泰、五穀豊穣などを祈る法会(ほうえ)をいい、今年で1264回目を数えます。
なんと「1264年」もの間、一度も途絶えることなく続けられてきた行法なんです。まさに奇跡です!世界でもほかにこのような例はないと思います。「不退(ふたい)の行法」と呼ばれるのはごもっとも…

さて、まず、私が奈良を訪れた3月7日。お水取りは、本行が14日間行われるのですが、この日はそのちょうど真ん中、7日目にあたります。

7日のお昼頃奈良市に到着し、さっそく春日大社にお勤めのWさんと合流。
めちゃくちゃ美味しいおうどんをいただき、その後車で柳生の古社をご案内いただきました。

20150314-4(ランチはおいなりさんサービス。知らずにきつねうどんにしちゃったので、おあげ祭りになってしまいましたw)

さすがWさん、一人では決していけないような古くてパワフルなお社を見せていただきましたので、この詳細はまたあらためてご報告したいと思いますが、まずはお水取りに話は戻しまして…

7日目は、後半7日間ご本尊となる小観音(こがんのん)さん出御(しゅつぎょ)の日で、ぜひともその様子を拝見したいと意気込んでました。ところが、もう、ものすごい大雨(涙)。

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おたいまつは19時から始まるというので、17時20分ごろ早めに出向きましたが、もう時を逸してしまったようで、お堂の中に入れません。たまたま一緒になった隣の方の話では16時半くらいに来ていないとお堂の中には入れないんだそうですよ。

……ううう。この段階で小観音さんのお神輿は見られないこと決定。

雨は弱まるどころがますます激しさを増しますが、このまま宿に帰るのはあまりにも口惜しい。歩いてきただけでも、もう足下はびしょ濡れ。もうここまで濡れたら一緒だわ!とばかりにこのまま2時間余りここで踏ん張ることに……。

こんな雨ではたいまつの火が消えてしまうんじゃないか?そんなことさえ考えてしまうほどでしたが、お松明はそんなヤワなものではありませんでした。

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おおおおおお!!!

すごい迫力です!

向かって左側にある廻廊からお松明が登っていき、二月堂のテラスをなめるように走り抜けます。

以前、大分の国東(くにさき)半島の寺々で行われる修正鬼会(しゅじょうおにえ)を観に行った時も、その松明の大きさと、歴史ある本堂の内部で松明を振り回すありさまに、思わず言葉を失いましたが、今回もまったくその時と同じ心境です。

木製のお堂に火が燃え移らないか、ハラハラし通しですが、しかし粛々と巨大なお松明は10本も通り抜けます。あとで調べましたら、一本の重さは約40キロ、長さは約6メートルもあるそうです。これを一人で担いで走り抜けるんですから、それがまたすごい。

IMG_0206お松明を持って走り抜ける人(童子)もかなり個性があります。テラスの角で大きくお松明を突き上げるのですが、大きく振る人と、静かに振る人がいます。大きく振る人だと、観衆からは思わず感歎の声が上がります。この火の粉を浴びるととても縁起がいいそうなんですね。残念ながら私のいるところは遠すぎて、火の粉は飛んできませんでしたが、まあ、観るだけでもきっとご利益はあると信じましょう!

お松明、始まってみましたら約30分。あっという間でした。

行自体はこの後も午前2時までお堂の中で続きますが、雨でびしょ濡れ、気温も下がってきて寒くて寒くてここで限界。Wさんと合流し、Wさんの車に乗せていただいて、いつもお世話になっております、居酒屋「鬼無里」さんに避難しました。

いやあ、それにしてもすごかった。
しかし、体はびしょびしょで、足は寒くて感覚がありませんが、なんとなく気持ちが高揚して結構大丈夫な気分!これぞ非日常!

でも、鬼無里さんに入った途端、もう足が気持ち悪くて仕方なくなるわたし(我に返ったとも言いますね)。
おトイレでストッキングを脱ぎ靴下を脱ぎ、タオルを貸していただいて足を拭き…。久しぶりにお会いした大将に甘え放題甘えさせていただいちゃいました。

そして、Wさんと、Wさんのお友達Kさんと美味しいお食事をたくさんいただき、たくさん楽しいお話しをして、びしょ濡れながらも心は晴れやかに初日は終わりました。

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(とくにこのブリ大根が冷えた体と心に沁みました~~!大将、ありがとうございます!)

(続く)

 

【若狭旅】⑤観る者を無碍自在へと導く美しさ!中山寺ご本尊、秘仏・馬頭観音菩薩坐像


秘仏・馬頭観音菩薩坐像!!

さて、今回の旅の、最大の目的である中山寺のご本尊を拝観しましょう!

実際に拝観したのは11月ですからもう三ヶ月くらいたちますが、あの感動は今見たかのようによみがえってきます。

中山寺の山門で、えらいこと感動したわたしでしたが、またこちらの本堂を前にして思わず震えました。

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かっこいいです!!!!

1343年に建立されたという本堂は、重要文化財に指定されています。この穏やかながらもすっと伸びた屋根の反りの美しいこと。

そして由緒正しいお寺にふさわしい、正面一基の金燈籠。灯籠自体は新しいものですが、このスタイルを選ばれているところが、さすがという感じです。

この中に、あの白洲正子さんも絶賛した馬頭観音さんが居られるとは。なんと相応しいんでしょうか。

文化財に指定されますと鉄筋コンクリートで耐震構造のある建物で保管しなければならなくなったりします。どうしても、法律上しょうがないことなのですが、やはり本来祀られている場所に、そのままある、というのすがたに出会いますと、本当に嬉しくなってしまいますね。

観る者の意識を解き放ってくれるような!?

そしていよいよ、ご対面です。

山門の仁王さんでまずはひと感動、さらに本堂でも感動を重ねて、そこからの馬頭観音さんですよ。期待は否が応にも高まります。

年を経て美しい茶色になった階段を踏みしめ、ほの暗い本堂の中へと入ります。

そして、いつになくいそいそしずしずと、お厨子の中にあるご本尊で秘仏の馬頭観音坐像を拝観しますと…

……

………うっ。

美しい!!

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ご参考までにパンフレットに掲載されてました写真をご紹介させていただきますが、正直言って、この10倍美しいです。

不思議なことなのですが、まさにこのお姿なんですけど、ナマで拝見するとなんか違うんです。気配っていうか。なんと言えばいいのか…。

例えば、腕や手の柔らかく優しい線、写真でもお分かりになるかと思いますが、実際にはその優しさが限りない感じなのです。限りないというか、はてしない、といった表現のほうが合うかもしれません。

また、お顔は憤怒相をとられてますが、男性的に見えて男性的でない。かといって女性でもない。いや、でも女性のもつ美しさ、強さ、そういったものも感じさせてくれるのですよ。それが同時に男性的な力強さをも帯びている、といった感じ。

ううむううむ。

何でしょう、この美しさは!

ちょっともう、どうにも説明できませんよ!

それでも、あえて言うならば……。

圧倒的に美しく、まさに人界を超えた世界を現しておられるので、果てしないイメージの広がりや可能性を、観る者に与えてくれるお像、といったかんじ。

今回私は、このお像に拝観して、すごく「認められてる」ような気持ちがしました。

「よくきたな。そうそう、それでいいよ」

そんなかんじです。肯定されるようなあたたかい感じをいただきました。

でも、また違う精神状態の時には、まったく違う印象を感じるかもしれないと思います。実際、一緒に観た方たちにも、コワイと思った方もおられたようですし、まさに千差万別です。

人によってその姿を変える、まさに「観音」さんそのものではないですか!
無碍自在(むげじざい)、この言葉は禅の世界で妨げるものなく自由である境地のことを言うそうですが、そんなふうに、その美しい変幻自在なお姿でもって導いてくださるような、ものすごいお像だと思います。

こちらのお像は秘仏ですから、生きている間に再び拝観できることはないかもしれません。次は17年後……。

…あれ。50ン歳か。いけるかも??!

また、来たいな。その時にはどう思うんでしょう。自分がどう思うのかすごく気になりますね。

念願の秘仏ツアー、大満喫!
さて、こうして、無事長年の願いであった、中山寺と馬居寺の秘仏・馬頭観音さんにお参りすることができました。

中山寺さんでは、美味しい和菓子とお抹茶の接待もしていただき(ツアーの中の一環です)、とても心地よい時間を過ごすことができました。

あいにくの雨でしたが、とても晴れやかな気持ちになる、いい一日でした。

やっぱり、本物を見るのが一番楽しい!

そしてそのために、はるばる来るのが、またたまらなく楽しいんですよね。たいへんですけど!

(むとう、了)

 

 

仏教美術の源流を観る!「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏」展開催(3/17~5/17)


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ちょっと先の話になりますが、東京国立博物館さんでは「みちのくの仏像」展のあとに、こちらが開催されますね!

インドと言えば、お釈迦さんの生誕地と連想する人は多いんじゃないでしょうか。
もうちょっと詳しく言うと諸説あるそうで確定されていませんが、ネパールとインドの国境辺りに生まれたということなんだそうですが…。

ちなみに『仏像』が作られるようになったのは、ブッダが亡くなってから5世紀ほど後、発祥地は、ガンダーラ地方(現・アフガニスタン東部とパキスタン北部周辺)で一世紀半ごろ。そして少し遅れてマトゥーラ地方(現インド北部)で作られるようになりました。

今回の展示は、そのあたりの流れをコルカタ博物館所蔵の逸品でもって、観ることができるようです。楽しみですね!

個人的には貝葉経のコレクションが観られるのも楽しみ♪

「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏」展
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1701#top

 

【若狭旅】④青葉山の東南を守る中山寺。伝湛慶作の金剛力士像がカッコよすぎる!


神仏習合の世界
日本人にとって「山」は神そのものでした。でした、というか今もその感覚は健在ですよね。

けっこう無条件に、拝みたくなっちゃいません?

空気の澄んだ冬の午前中などに、ふとビルの合間から富士山の姿を見かけちゃったりしたら、立ち止まらずにはいられません。ラッキー!って感じでテンション上がっちゃいますよね。

こうした、自然への親近感、畏敬の念というのは、自然豊かな日本の風土に根差した文化ならではのもの。私の中にもこの土地に生まれたものとして、インプットされている感覚です。

そして、そうしたお山には、その山の神を祀る神社仏閣が多く建立されました。仏教は外来の宗教ですけど、もともとあった日本の信仰とうまく融合し、神を敬い、慰め、仏としても奉りました。
この「仏としても」というとこが日本的なうまい処理ですよね。
「もともと拝んでいたうちの神さま、実は、仏教の仏さんが姿を変えて現れたものだったんだって」。そんな風に、つじつまを合わせちゃった、というのが「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」という考え方です。

青葉山の信仰の中に

さて、今回見仏して廻っている、この中山寺・馬居寺も、このお山信仰の構造の中にあるといえます。
福井県と京都府の境に「青葉山(あおばさん)」という山がありまして、「若狭富士」とも呼ばれます。「ナントカ富士」と呼ばれる山は、単独で三角形に立ち上がっている(みえる)山で、古くからこの手のお山は聖なる山として崇敬されてきました。
20150127-3(写真:湾を挟んだ半島にある城山公園から撮影。尖った山頂が見えます。たぶんあれだ!)

また『日本歴史地名大系』によりますと、ほかに「弥山」とも呼ばれていたようなんですね。この「弥山(みせん)」という名前は、「御山」の同音同義語で、聖なる山を意味してるんじゃないかと思います。宮島の弥山、なんかと同じです。意味としては御岳とも同じでしょうね。

つまりこの青葉山、この呼び方だけ見てもわかりますね。古くから聖地だったわけです。
お山を開いたのは、白山信仰で有名な泰澄さんと由来にありますが、おそらく泰澄さんが現れる前から信仰の場だったんだと思います。ちなみに泰澄さんは8世紀に生きた偉人。この小浜を中止としたエリアに何かと縁の深い、天武帝・持統帝系譜の皇族の方々にこれまたとても縁の深い人です。

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(写真:城山公園をおりて、漁港から撮影。しつこいですけどたぶんあれですよね?!)

そんな宗教宇宙なお土地柄なんですが、何より際立って珍しいのが、この聖地を祀るべく建立されているお寺さんのほとんどのご本尊が「馬頭観音」さんだということです。

その中で廃寺になってしまったお寺さんもありますが、南東側を守護する大寺がこの中山寺と、西南側には現在は京都府に位置する松尾寺(まつのおじ)があります。がもちろんご本尊は馬頭観音さんです。

今回は、松尾寺にはいきませんが、中山寺に拝観しますよ。まさに念願の中山寺、いよいよです!

湛慶作の仁王像がお出迎え!

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それにしても雨はやみません。でもツアーバスなので、なんの苦労もなく馬居寺からあっという間に中山寺に着いちゃいました。いつもの私なら、かなり苦労してたどり着くところです……。文明のリキってすごいです。

こちらの山門に何気なく収まっているお像が、まずすごいですよ!

なんと、湛慶さん作と伝わる金剛力士像なんです。

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ふお~~~!素晴らしい~~!!!

かっこい~~~~~!!

この感動を皆さんにお伝えしたいですが、私の撮影では、お像を美しく撮ることができませんでしたので、こちらにて…。

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こちらはお寺さんにいただいた由来書きの表紙です。

いやあ、ほんとにかっこいいわあ。

湛慶さんは、皆さんもご存じ、運慶さんの長男で、運慶さんのあとを継いだひとです。
有名なお像をたくさん造像してますが、中でもとくに有名なのは、三十三間堂(蓮華王院)再興を大仏師(総監督・総指揮者のような立場)として取り仕切り、中尊の千手観世音菩薩坐像を製作しました。

三十三間堂の再興は晩年の仕事ですが、若いころにも有名な金剛力士吽形像を作ってますね。
父・運慶が惣大仏師として取り仕切った東大寺南大門の再興の時には、父の指揮のもと吽形像を伯父弟子の定覚とともに造像しています。奇しくも、この掲載されている写真も吽形。おそらくこの写真を選んだご住職はそのことも踏まえて選ばれたんじゃないかと思います。

それにしても、素晴らしいお像です。

しかし残念ながら、伝・湛慶作とされてるんですが、詳しい情報がよくわからない。なにをもとに出ている情報なのか…(どなたか、ご存じでしたらお教えください!)

しかし、これだけのお像を造像できる力量は、ただ事ではない。慶派の中でも特別な人でしかありえないと思います。

これは、想像以上ですよ!

今回、最も期待している秘仏、ご本尊の馬頭観音坐像は、ものすごいんじゃないか、…私の期待はマックスまで高まります!

(続く)

【若狭旅】③大らかでやさしい馬頭観音さん@馬居寺。写真だけではやっぱり仏像はわからない!


仏像好き必携の書『コロナブックス98 日本の秘仏』(平凡社)

さて、そして念願の馬居寺さん、中山寺さんのご本尊で秘仏の馬頭観音さんにようやくお会いできるわけなんですが…。

ここで、なぜ私がそれほどまでにこちらの馬頭観音さんにお会いしたい、と念願していたかについてなんですけども。その存在を知ったのはこの『日本の秘仏』(平凡社)という本と出合ったからです。

奥付見ますと2002年となってますから、もう13年も前なんですねええ。

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本書が出た時の喜びときたら!日本の秘仏すべてが網羅されているわけではありませんが、これぞというものは美しい写真とともに掲載されています。そしてさすが平凡社さん、印刷がまた美しい!情報を得る、というだけではなく写真集としても大変美しい本です。

私はにやにやしながら、「日本の」ってつけなくてもええんちゃうかな、などとぶつぶつ言いながら、喜び勇んで購入。

そして、秘仏のご開帳タイミングをチェックしておりましたところ、特に心惹かれたのがこの二体の馬頭観音さんだったのです。

そのお姿の美しいことときたら!
私の目は釘付けです。

そしてさらに夢中になってしまったのは、白洲正子さんの「賛」が添えられてたからかもしれません。
本書はところどころに高名な作家さんの文章がまるで「賛」のごとく入っているのですが、この馬頭観音さんあたりには、憧れの白洲正子さんの文章(おそらく『私の古寺巡礼』からの引用)が入っているのですね。

うわあ、私も拝観してみたいなあ。

そう思いましたけども、中山寺さんは33年と17年に一回、馬居寺さんは25年と午年に一回と書かれています。おいそれと拝観できるお像ではないです。「死ぬ前に一度見れたらいいな」、私はそう思い、チェックの付箋をたてたのでした。

まずは馬居寺さんの馬頭観音さんから!

さて、前置き長いですが、それほどの思い入れのある今回の旅。
最初の目的地、馬居寺さんに到着しました(ツアーとしましては、長楽寺さん、おおい町郷土資料館を経て三ヶ所目ですが、端折らせていただきます。長楽寺さんの阿弥陀如来坐像もそれはもう素晴らしかったのですが!)。

さて、大雨の中バスでの移動ですので、周囲の様子ははっきり体感できていないのですが、とにかく山を登っていきます。

実際にはご本堂にまずお参り、が正しいですが、大雨ということで、ご本堂の上の山道までバスで送ってくださいました。とはいえ、そこからも少々歩きます。
20141213-12こちらがそのお堂。

位置関係からしますと、神社なんかで言うところの奥の院、のような感じでしょうか。ご本尊がいらっしゃるのにふさわしい場所です。

そしてさらにこのお堂の奥の保管堂にいらっしゃいます。
20150117-3重要文化財に指定されていますので、鉄筋コンクリートのお堂にお納めしないといけないんですね。

さて、この馬居寺さんですが、今でこそ普通の大きさのお寺さんですが、大変由緒正しい古いお寺さんです。お寺さんにいただいたパンフレットによりますと、開基は聖徳太子、飛鳥時代のことだそうで…、

「聖徳太子が秦川勝を伴い、甲斐の黒駒にまたがり諸国遍歴の折、若狭の和田浜を通られ休憩中に愛馬が見えなくなり捜しておられると、南の山上よりいななきが聞こえ、光明が輝いたので此処ぞ観音の霊地であるして、太子は堂塔を建立され、栴檀の香木をもって一刻三礼して馬頭観世音菩薩坐像を刻み安置されました」(パンフレットより引用)

とあります。

史実と寺伝というのは必ずしも一致しません。

こちらも、ご本尊の観音さんは平安末期の作だそうですから、聖徳太子が作ったとするには時代的に400年以上の大きな隔たりがあります。その点だけ取っても、すでに史実とは異なってるわけですね。

でも、こうした寺伝、または言い伝えというのはやはり大きな意味が込められていると思います。

こちらのお寺さん及びお像を語るとき、「聖徳太子」「秦川勝」「甲斐の黒駒」というキーワードを使っている、つまりこのワードはとても重要な要素なわけです。そこのところの意味を読み取るべきですよね。

まるで神像のようなしっかりとした存在感とかわいらしさ
さて、早速お堂の中へ。小さなお堂は、ツアー全員入りきりません。
ちょっとずつ譲り合って、しかし私は図々しくもお像の真ん前に陣取りました。

おおお…。

写真ではもう数えきれないほど拝見しているお姿です。
しかし、なんと言ったらいいのか……。

写真とはちょっと印象が違います。

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こちらの写真(パンフレットを一部拝借して掲載させていただきます)をご覧ください。

馬頭観音さんならではの憤怒相、髪は逆立ち(怒髪)、少々いかめしい印象がありますよね。

でも実際のお像は、確かにいかめしくもあるのですが、それ以上に、大らかで優しいのです。

いわゆる地方仏、とされるものだと思います。京都で正当な教育を受けた仏師が丹念に造ったというよりは、地元の仏師がていねいに思いを込めて造った…、という感じがします。
このお像を造仏した仏師はかなり上手な方だと思います。しかし、なんとなくおもちゃのようなおかしみ・軽みがある…、あるというかそういう表現を選んでいる、という気がします。

仏さんというよりは、もともとこの土地におられた神さまの像を見ているような……。

何となく「ええよええよ、それでええ」、そんな風に温かい肯定のことばをいただいてるような気持ちになってきました。

それにしまして、ちょっとこの感想は予想外。自分としては、正直もっとおどろおどろした重たいものを感じるのではないか?と想像していたのです。むしろその逆でしたね。

これだから、写真だけではわからないんですよね。実際に拝観してみないと!

こうなってくると、中山寺さんのお像も楽しみです。どんなふうに感じるんでしょうか。

(続く)

東博にて「みちのくの仏像」展、明日(1/14)から開催!!


東博さんは、今年も必見が目白押しですね!

まず、幕開けはこの「みちのくの仏像」展。
本館の特別五室での開催ですので、平成館でやるよりも小規模ですが、内容はとても濃ゆいですよ!

なんと言っても、「東北三大薬師」そろい踏み、がまずすごい!

国宝・勝常寺さんの薬師三尊、重文・双林寺の薬師さん、同じく黒石寺の薬師三尊、が一堂に会しますよ~!

さらに、鉈彫と言えばこちら、という有名な仏像、天台寺さんの「観音菩薩像」(重文)も!

天台寺さんは、別の意味でもすごく有名ですね。
奈良時代創建とされるまさに名刹なお寺さんなのですが、明治の廃仏毀釈以降様々な災難に遭い、衰退の一途をたどっていたそうなのです。

昭和も半ばを過ぎたころ、作家としても高名で、中尊寺貫主も務めた今東光(こん とうこう)さんが、天台寺復興のため奔走。しかしガンになってしまい、後事をお弟子の瀬戸内寂聴さんに託されました。その後は寂聴さんが住職をされ、説法を行って多くの人を集められました。ドキュメンタリーなどにもなりましたからご存じの方は多いのではないでしょうか。

寂聴さんも、師である今東光さんの導きで中尊寺で得度されてますから、今回中尊寺さんから出品がないのは、すごく寂しい気がしてしまいますが、何か事情ごありなんでしょう。

ちょっと話外れてしまいましたが、規模は大きくありませんが、仏像好きにはたまらない展覧会ですよね!

また、同じく1/14から、お隣の特別四室で「3.11大津波と文化財の再生」も開催されます。こちらも必見です。「3.11オ歩津波と文化財の再生」展は、一般入館料で見ることができるみたいですね。
ちなみに「みちのくの仏像」は1000円ですが、収益は東北の被災文化財の修復に充てられるとのこと。ぜひ、皆さんも足を運んでくださいまし!

「みちのくの仏像」展@東京国立博物館(1/14~4/5)
http://michinoku2015.jp/index.htm/

「3.11大津波と文化財の再生」(1/14~3/15)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1692&lang=ja

【若狭旅】②高浜町周辺、「馬頭観音」集中地帯へ


「おおい・高浜の秘仏めぐり」ツアーに参加できました~!
さて今回の旅は、順序で言いますと…

一日目、二日目⇒小浜市内のお寺さん
三日目⇒今回のメイン目的地、高浜町の「馬居寺」と「中山寺」

といった流れで計画しました。
小浜市内のお寺さんは、もう何度もお邪魔していますので、なんといっても今回のお目当ては三日目の二か寺。
しかし、この二か寺ともに駅からも離れていて、ちょっと自力で行くのはきついところにあります。

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こちらの地図は、観光協会でいただいたパンフレットの地図から一部拝借!

調べてみましたら、最寄り駅からレンタサイクルで15分くらいで行けそうなんですが、お天気崩れたらアウト。いろいろ考えて、今回は観光協会が主催するツアーに参加させていただくことにしました。このツアーに参加しますと、とてもレンタサイクルではとてもいけなさそうなお寺さん(長楽寺)にも行けちゃうし、お食事もついてる!一人旅にはもってこいです。

しかし、この「おおい・高浜の秘仏」ツアー、募集人数も少ないためか、私が気付いた時にはもう定員埋まってました。でも、ダメもとで、キャンセル待ちリストに名前を入れていただいたところ…。なんと! 出発の二日前にキャンセルが出たと連絡が入り、無事参加させていただけることになりました。

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(これ↑、このツアーです!!)

いや~、本当についてました!

これで、馬居寺さん、中山寺さんはもちろん、長楽寺さんにも行けることになりました。結果的に、これはもう大正解!!

というのも当日は大雨。もし一人だったら、タクシーをお願いするにしても、タクシーがつかまらないとか、雨宿りする場所がないとかで、泣きたい気持ちになっていたと思います。

馬頭観音像が集中している「丹後富士」こと「青葉山」周辺
さて、今回、「馬頭観音」さんということばを何度も使っておりますが、馬頭観音さんがよくある仏像かというと、違う、と言っていいと思います。

江戸時代以降になりますと、民間にも広く広がり、馬の守り神、蚕の守り神などなど、様々な形で信仰され、親しみ深い観音さんになりますが、江戸以前からご本尊として馬頭観音さんを祀っているところはそう多くないのです。

それなのに、今回たずねるお寺さん二か寺は、ご本尊が馬頭観音さんです。これは相当に珍しい。

そしてこの二か寺の共通点としては、「丹後富士」と呼ばれるお山、青葉山(あおばさん)近くにある、ということ。

また、今回は福井県ではないため特別開帳などしていなかったのでいきませんでしたが、青葉山南西麓(京都府サイド)に、松尾寺(まつのおじ)さんという、大きなお寺さんがありまして、こちらもご本尊は馬頭観音さんだ、と。

この三か寺、すべてご本尊が馬頭観音さん、…ってことは、めちゃくちゃ珍しい、ってことなんですね。おそらく、全国一の「馬頭観音さん集中地帯」といってもいいんじゃないでしょうか。

20141213-12さて、そんなこんなで、馬居寺さんにやってきました。ツアーとしては、長楽寺さん、おおい町郷土史料館を廻ってから、三番目の場所です。

もし、個人で行くなら、小浜線若狭和田駅をおりて、から約1.5キロ、徒歩で20分ほどみたい。いいお天気なら歩いていけますが、大雨の中ではちょっと無理、かな。

さて、いよいよご対面です!

写真では何度も拝見してますが、実物はどうなんでしょう!?

(続く)

【若狭旅】①秘仏界の超有名仏像、馬居寺と中山寺の馬頭観音さんに会いたい


福井県、若狭の国エリアは関東から6時間かかります
8年ぶりに訪れた、福井県小浜市を中心としたエリア。昔風の言い方をすれば「若狭国(わかさのくに)」。

仏像の里としてあまりにも有名な場所ですが、関東在住の人間にとってはなかなか足が伸ばせないエリアともいえると思います。

理由は、……シンプルに、遠い!!

若狭のあたりというのは…
20141213-2ここです!

関東からいくとなると、東海道新幹線で米原へ、そこで北陸本線に乗り換えて、敦賀で小浜線に乗り換えて、ようやく到着。そんなかんじです。電車の本数が少ないということもあり、結局6時間弱かかります。

なかなかな時間ですよ。ほんと。
いきたくても、ちゃんと時間をとれないといけない場所ですよね。

今回は三泊四日、時間をとりました。
けっこう強引にとりました!

それはなぜかと言いますと、この、「特別開帳」に行きたかったからなのです!

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馬頭観音像界の超有名人(仏?)、中山寺と馬居寺の秘仏二体が!
毎年、福井県が行っている秋の特別ご開帳ですが、今回の目玉は、なんといってもこのチラシにあります二体の仏像です。こうしてチラシに知れっと掲載されていますと、なんとなくシレッとしてしまいますけど、実際にはシレッとしている場合じゃない仏像なんです。

右のお像は、中山寺(なかやまじ)さんの御本尊で33年と、17年に一度のご開帳、
左のお像は、馬居寺(まごじ)さんの御本尊で、25年と、12年に一度の午年にご開帳、
という拝観者にとってものすごくハードルの高い秘仏なのです。それが一気に同じ時期にみられちゃうっていうんですから、そりゃもう、浮足立っちゃうような話なわけです!

両尊ともに、「馬頭観世音菩薩(ばとうかんぜおんぼさつ)」という、いわゆる「観音(かんのん)」さんです。

「え?菩薩なのに、こんな怖そうな顔なの?」

と思われる方も多いかもしれませんが、馬頭観音さんは、このようなこわいお顔で表わされるのです。

『日本仏像事典』真鍋俊照編(吉川弘文館)を見てみますと…、

「慈悲を本誓とする菩薩であるにもかかわらず、この観音像に限って常に恐ろし気な忿怒相に表現され頭上に白馬の首をつけている。もちろんこの忿怒形はあらゆる魔障を消滅するための方便で、いわゆる衆生の六道四生といわれる生死すべての苦しみを断つことを内容とするものである。(中略)」

とあります。

また、この馬頭さんは、かなり時代は下りまして江戸時代以降は特に、ですけども、馬の守り神としてもとても人気があります。江戸時代の石仏の中にはこの馬頭観音さんがよくありますね。

しかし、この若狭のあたり、特に上のチラシにある二尊があるエリアは、そんな風にポピュラーな存在になる、もっと前、飛鳥時代くらいから始まる信仰の場所。少なくとも平安後期には「馬頭観音信仰」があったようで、「青葉山」という小高い山の周辺には、馬頭観音さんを本尊とするお寺が集中しているのです。

(つづく)

福井県「平成26年度みほとけの里 若狭の秘仏特別公開」がすごい!


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若狭の国こと福井県小浜市周辺は、仏像好きにはたまらないエリアです。
私も大好きで、一人旅で2回、友人と2回、計4回プライベートで訪れています。
#写真は前回たずねたときの羽賀寺さん。なんと8年前の写真でした。

でも、このエリアで特に有名な秘仏で、高浜町にある中山寺さんと馬居寺さんというお寺の馬頭観音さんは、写真で見る限りぜひとも生で拝観したい素晴らしいお像ですが、まだ一度も拝観できていません。

中山寺さんは33年に一度(17年に一度中開帳)、馬居寺さんは25年と午年に開帳と、かなり限られたご開帳のため、相当にハードルの高い秘仏なのです。

それがなんと、この秋、特別開帳しているというではありませんか!!
気が付いたのがちょっと遅いですけど、11月24日まで土日のみではありますが、ご開帳、とあります!これは行きたい!

福井県「平成26年度みほとけの里 若狭の秘仏特別公開」(詳細は以下↓)
http://www.pref.fukui.lg.jp/doc/bunshin/wakasa-hibutsu-26.html

とはいえ、関東から、福井県小浜市のあたりまで行くのは、かなりの気合が必要です。片道約7時間かかりますからね。

今回もどうしようどうしよう…と悩んでおりましたが、やはり、死ぬまでに一度は拝観しないと死んでも死に切れん!
……と思い切って、二泊三日か三泊四日で若狭に行くことを決意しました。

8年ぶりの福井県です。いやあ、楽しみです!!

『仏像のお医者さん』/飯泉太子宗著(PHP文庫)


いつもお世話になっているPHP文庫のN編集長から「仏像の本でたから進呈するよ~」といただいたのが本書。

タイトルと著者のお名前を見て「あれ?これはひょっとして…」と思ってまえがきを拝見したら、…やっぱりそうだ! 『壊れても仏像』という単行本を改題して文庫化したのが本書、とあります。そういうことだったんですね!

わあ、懐かしいな~。
20140610かつて働いていた出版社で、仏教美術ものをがっつりやらせていただいていた時に、『壊れても仏像』が出版されたのです。もちろんいそいそと購入いたしました。
出版社を退職し、引越しをする際に手放してしまったので、思いがけずちょうだいしてとても嬉しい!

仏像を実際に修復されている方が、一般読者に向けて「仏像」について書かれる、というのは当時も今も、とても珍しいことですし、貴重です。

しかも、著者である飯泉さんは、当時まだ34歳とお若くて、その点でもとても珍しいことでした。内容も実はとても真面目なんですが、かなり砕けた表現をとられていて読みやすく、お人柄がしのばれる文章です。

ちなみに、余談ですが。
飯泉さんは独立される前、文化財の修復など行う美術院で長らくお勤めされておられたとプロフィールにあります。

……美術院さんか~。

これは全く私の個人的な思い出なのですが、美術院さんは何度かお写真を借りるなどのお願いで、お電話することがあったのですが、そのたびに応対してくださる方がみなさん丁寧・親切で、こころが洗われるような思いをしたものでした。

仏教美術にかかわらず、文化財掲載関係のお仕事してますと、たらいまわしにされたり、忘れられたり、ごくまれにですが関係のないことでお叱りを受けたり、…と、お電話して切ない気持ちになることもありましたが、美術院さんにお電話した中でそんな気持ちになったことはありません。

「こういう優しい方々が、仏像を修復してるんだな~、それはいいなあ~。正しいなあ~」

と一人頷きながら、悦に入ったものでした。飯泉さんもきっとそんな方なんじゃないかな、と勝手に想像してみたりして。

さて、僭越ですが、本書の特徴を私なりにご報告いたしますと。
やはり何より貴重なのは、仏像の基本的な知識はもちろんですが、仏像の修復がリアルタイムでどのようになされているか、というお話が掲載されていることです。こういったお話はなかなかうかがう機会はありません。
国指定の文化財なんかですと、まだそういうことを伺うチャンスはあるかもしれませんが、文化財になっていないもの、でも集落の皆さんが大切に守ってこられたお像についてなんかのお話は、なかなかうかがえないですよね。そんなお話もご披露されていたりして、とても面白いです。もちろん修理する当事者ならではのお話もこのご本ならではですね。

文庫化されるにあたって『仏像のお医者さん』というタイトルにされたのも、いいですよね!この新しいタイトルのイメージ通り、わかりやすく読めるように配慮された、「仏像そして修復」について書かれた貴重な一冊と思います。
仏像好きな皆さんには、特にお勧めです。もしまだ読んでいらっしゃらない方がいらしたら、ぜひ。文庫になってお手軽になりましたし!