2017年は「慶派イヤー!」③東大寺大勧進・重源と「アン阿弥陀仏」


希代のカリスマ・俊乗房重源さん
快慶さんを語るときに、絶対にはずせない重要人物に「俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)」さんという傑僧がいます。快慶さんを語るときに…だけではないですね。運慶さんもそうですし、石造美術系でいえば宋人石工・伊行末(いぎょうまつ)もそう、宋人鋳物師・陳和卿(ちんなけい)もそう。
鎌倉時代初頭は各分野において、その後の日本文化の礎となるエポックメイキング的なすごい作品がつくられましたが、そのほとんどが重源さんの仕事、「東大寺再興」に関わるもの(関わった人々によるもの)といえるでしょう。

源平の戦いの中、東大寺は平家に急襲され、焼け落ちてしまいました。その翌年、法然房源空(ほうねんぼうげんくう)の推挙により、重源は東大寺再興の責任者になります。この時すでに61歳だったそうですから、当時としては十分に高齢者でしょう。しかし、重源さんはそこから、苦節22年。83歳にして見事に東大寺大仏殿を再興しました。

とにかく、詳細は端折りますが、スーパーすごいお坊さまです。(重源さんについては、こちらもご参照ください!

ものすごいカリスマであった重源さんは「南無阿弥陀仏」と号した阿弥陀信仰者でした。そんな彼に帰依した同行衆に、重源さんは「阿弥陀仏」号を与えました。

「アン阿弥陀仏」という名乗り
快慶にも「アン阿弥陀仏」という号を与えたのですが、それからしても、快慶は単に仏師としてではなく、東大寺再興を目指す勧進集団に加わった同行衆の一人だったということが分かります。

快慶は、仏像の内部などに銘を記しているのですが、

1192年以降は、「巧匠 アン阿弥陀仏」と記銘しているそうです。
上の写真は、「快慶」展の図録の裏側ですが、「アン」のところは、梵字なんですね。この梵字を一字で「アン」と読みます。

ちなみにこの梵字、どんな意味があるんだろ、と思いまして、『梵字必携』児玉義隆著(朱鷺書房)を開いてみますと…

おおおお、これですね!?
そして…

んんん?
漢字音訳が「闇」!?
字義が「辺際」!?

音訳は、音をうつしているはずですので、あえて「闇」という言葉の意味はスルーしますが、「辺際」を『仏教語大辞典』(小学館)で調べてみますと。「はて。きわ。時間・空間・程度など、これ以上ないという限界」という意味だ、とありました。

快慶のスタイルの阿弥陀仏を「安阿弥様(あんなみよう)」というように、漢字で書くときには「安」という字をあてるのを見てきました。なので、「アン」という梵字そのものの意味を見てみると、びっくりするくらい印象が違って驚いちゃいました。

重源さんが梵字の「アン」を冠した「アン阿弥陀仏」という号を快慶さんに与えたということ、それは快慶さんという人の人となりを示しているようにも思えますし、重源さんが快慶さんに期待した役割を意味してるんじゃないか、とそう思わずにはいられません。

(続く)

2017年は「慶派イヤー」!②快慶は、まさに「祈り」の人


運慶と快慶、どちらが好きですか

以前、N山先生の講演会を聴講した際のこと。N山先生が、
「皆さんは運慶と快慶、どちらが好きですか? 好きなほうに手を上げてみてください」
と質問されました。

……こ、これは!
難しい質問ですよ…!!

(これだけすごい二人の仏師、正直言ってどちらがいいとか好きとか、そういう次元じゃない。ううう、どうしよう、でも私が仏像を大好きになったきっかけは、願成就院の運慶仏だし、うううううう……)

ほんの一瞬だと思いますが、こんなに悩むことはないってくらい悩んで、結局、私は「運慶」に手を上げました。

一般的風潮として、運慶を天才と呼び、いわばスーパースター的扱いをします。一方、快慶は秀才的な、というかおとなしい感じの作風で捉えることが多い気がするので、(あくまでも運慶と比較したらですけど)少々影が薄い印象です。ですから、この時も、きっと運慶に手を上げる人が多いだろう、と思ってたんです。

ところが。
なんと、その場にいた人のおそらく7割が、「快慶」に手を上げたのでした。

私は、心底びっくりしてしまいました。

――本を作る人間としても、これは看過できない結果だぞ。

仏像の本をつくるときに、慶派といったらまず運慶の仏像を、と考えるのが普通の編集者でしょう。でもしかし。それは思い込みだったのかもしれない…

快慶は「祈りの人」

講演会の後、N山先生にこの驚きをお話すると、先生はにっこりと微笑まれて、

「快慶の仏像は、その後多くの人が真似をしました。今では『安阿弥様(あんなみよう)』と呼ばれるほど、ひとつの様式となっていった。それだけ多くの人に愛されたということじゃないかな」

あ。そっか~~!
そうですよね!?

運慶の仏像は、唯一無二。その作風を継承しようとしても、肉薄するようなレベルにまでは誰もできなかったんだろう……そう思っていましたが、それを違う角度から見ると、継承しなかったともとれるんですね。
人々の好みは、むしろ快慶の仏像にあった。そうもとれるわけです。

「快慶という人は、祈りの人だから。その「祈り」が、多くの人に共感されたんでしょう」

なるほど、そうですよね。
快慶の仏像は、優しい。
それは、快慶が阿弥陀信仰の篤い信者であったことと関係しています。

阿弥陀如来への篤い信仰
運慶・快慶が生きた鎌倉時代初期は、正に怒涛の時代でした。
院政、そして平家の繁栄、源平の戦い……、そして平家が滅び、源氏・北条氏の時代になりました。
世の中には戦乱だけでなく、飢饉や災害も相次ぎ、あまりに多くの命が失われてしまいました。そんな中、人々のこころをとらえたのは「浄土信仰」、「阿弥陀信仰」だったのです。

「この世で悲しい目に遭ってひどいことになっても、阿弥陀さんに帰依すれば、極楽浄土へ迎えてくれる」

愛する人が死んでいくのに何もできない、不条理な理由で簡単に死んでしまう、そんな現実を前に、人々は、魂の救済をこころから願い、阿弥陀如来に祈ったのです。

快慶が、どんな家に生まれ、なぜ仏師になったのかなどは、わかっていないようなのですが、祈り続けなくてはいられないような深い理由があったのかもしれません。

(続く)

2017年は「慶派イヤー」!①『快慶』展@奈良国立博物館(6/4まで開催中)と『運慶』展@東京国立博物館(9/26-11/26)を見逃すな!


「今年は、慶派イヤーだね」

今年は、年賀状でそんな言葉を書いてくださった先生がいらっしゃいましたが、仏像ファンにとってはまさにたまらない「慶派イヤー」、到来中ですね!

春は奈良博さんで「快慶」展。
秋は東博さんで「運慶」展。

昨年作成されたチラシは、裏表でその二つを印刷されていて、そりゃもうかっこよくて、ワクワクしちゃいました。
どちらが裏表、というわけではありませんが、一面はこの快慶展。そして…
もう一面は、「運慶」展、と!

いずれを飾るお像のセレクトも、むむむむ~、さすが、そうですよねえ、というお像です。
快慶さんならではのいかにも「安阿弥様(あんなみよう)」の阿弥陀如来立像@遣迎院。
そして、
あまりに有名な運慶さんの無着(むちゃく)菩薩立像@興福寺。
か~!たまりませんよね!

……そしてあっという間に2017年。
奈良博さんの「快慶」展が始まってしまいました。
会期はあまり長くないですよね。もう行かれましたでしょうか。油断してると見損ねてしまう!と焦りながらもなかなか日程が定まらず、ひやひやしましたが、私も先週ようやく拝見することができました。

「慶派」とは?

ところで、改めて「慶派」とは何かについて、少しおさらいしておきましょう!
すごくすごくざっくり言ってしまえば、鎌倉時代初頭に活躍した奈良仏師・康慶(こうけい)を始まりとして活躍した一派を言います。
運慶は、康慶の実子で弟子、快慶も康慶の弟子の一人なんですね。

康慶は、奈良仏師の中でも傍系でしたが、南都焼討(治承・寿永の乱)で燃えてしまった東大寺・興福寺の復興造像を、息子や弟子たちとともに請負い、大活躍。幕府要人の仕事もを多く手がけました。
そして、さらに運慶や快慶は、その仕事をさらに発展させ、それぞれが、より本質的でかつ斬新な彫刻様式を確立しました。

それにしても鎌倉時代というのは、すごい時代です。

動乱の時代そしてその後の安定期――こういう時代の転換期には、あらゆる分野で天才が出現するんですね。
仏教も、今も日本仏教の多数を占める多くの宗派がこの時期に誕生しました。この時代の凄い人を並べてみると、「え?この人とこの人が同時期に生きてたなんて、いったいどんなすごい時代なの?」と驚いてしまいます。鎌倉時代とはそんなすごい時代です。

そういう意味でも、仏像造像分野もその例にもれません。

「運慶」と「快慶」。

この二人の巨人が同じ時代を生きた、しかも同じ師匠をいただき、さらに一緒に東大寺や興福寺の造像をしたなんて、ほんとすごいことです。

立場から言うと、運慶のほうが師匠の息子で、跡を継いでますので、快慶は一歩下がっている感じではありますが、それはそれ。
二人の巨人が目指す方向ははっきり違いますから。

今回のこの二つの展覧会は、まさにそのことを明らかにする、という意図もあったのではないかと思います。

(つづく)

【ご開帳情報】所沢・金乗院の千手観音さん、33年に一度のご開帳!


行基菩薩創建との由来のある古刹・金乗院(放光寺)@所沢のご本尊・千手観音菩薩像が、33年ぶりのご開帳だそうです!
4/29~5/1の3日間だけ!

関東でも、行基さんの名前が絡んでくるような古いお寺さんには、平安初期くらいのお像が伝わっていますね。
今回のお像は、地方仏師によるもののようですが、鉈彫りだったりしないかなあ。
手元の図録やら本やら見ても、お像の写真、掲載されてません!
ううむ、本当にきっちりかっちり秘仏です。
関東近郊の方、これは必見ですよ~!
私も30日にどうにかいけたらいいな、と調整中です!

■東京新聞の記事

■所沢市の記事

謎多き仏像大集合!!神仏探偵が推理する日本文化の真相とは?!『ミステリーな仏像』/本田不二雄著(駒草出版)


私は、物心ついてからずっと、我ながらちょっと不思議なほど仏像に惹かれてしまっていて、時間があるとブツタビに出てしまいます。よく考えたら、飽きっぽい私が唯一ずっと続けていることかもしれません。それぐらい仏像は私にとって、格別に大切なものなのです。

なんでこんなに仏像に惹かれてしまうのかというと、私にとって仏像は、「歴史と日本文化の結節点」だからなんです。
なぜその仏像がそこにあるのかーーなぜ、いつ、だれがその仏像を作ったのかを考えると、たとえそこが今は野原のような場所であっても、かつてその仏像がつくられた時代に、仏像をつくれるだけの文化が花開いていたということを、想像できます。
そして、このお像がここにあるということは、誰かが一生懸命守り祀ってきたということです。まさに「文化の結晶」、さらには「こころや願いの結晶」とも言えますよね。

私はそんなことを考えるのが堪らなく好きなのです。
そして、その仏像を通じて、同じようにこの仏像を拝観していたであろう歴史上の有名無名の人々と、繋がるような気がするんです。その瞬間、私は時空を越えるのです。

ーーさて。ちょっと自分の思いを語り過ぎましたが(照)、そんな私にとって、まさに尊敬するセンパイ、「神仏探偵」こと、本田不二雄さんが満を持して新刊を上梓されました!!

『ミステリーな仏像』、そのタイトル通り、ルールだけではどうしても解けない謎を秘めた仏像が、全国からなんと120体も、しかもオールカラーで掲載されていますよ~~!!

この驚きのラインナップは、仏像好きの人であったら、「え!こんな仏像があったなんて知らなかった!」と夢中になってしまうと思いますし、もし仏像はそんなに知らないけどちょっと興味がある、と言う人であれば、その仏像の多様なお姿にびっくりしてしまうんじゃないかと思います。

がりがりに痩せおとろえ、まるでミイラみたいな仏。
体内に臓器だけでなく、骨格まで入っている仏。
生きている木「生木」に彫られた仏。
目が彫られていない仏……。

なぜそんなことに……?
自由過ぎる~!

これぞ、日本!!

そう。
これこそが、日本なのです!!

こんなにいろんな種類の仏像がある、ということは仏教、と言うよりも、日本で独自に発達した「日本仏教」ならではの特徴なんです。
たとえば、上座部仏教の中心地の一つ・ミャンマーに行くと、とにかく仏像はたくさん祀られています。しかし、そのお像は、釈迦如来がほとんどで、材質もスタイルもそれほどバリエーションはないんです。

なぜこれほどの多様性を持つことになったかというと、日本では〔仏〕と〔神〕が、どちらかを排除してしまうということにならず、共存共栄したからといえるでしょう。

本田さんは「神仏探偵」と称されていますが、まさにその日本の特性を踏まえておられるんだ、と思います。「仏探偵」では、片手落ちなのです、「神仏」でないと。

本田さんは、本書でその多様で複雑で謎に満ちた「仏像」を捜査し、摑んだ手がかりからその謎を推理してみせてくれます。なるほど、そういうことなのかあ、と思わず膝を打ちっぱなし。厳密に積み上げていかれる研究者の皆さんにはなかなかできない領域まで踏み込んでおられると思います。いくつかの点を想像力で補って、ひとつの物語を紡いでみる……。これぞ、プロの書き手の理想的な仕事なんじゃないか、と思います。
いいなあ。私もいつかそんな文章を書いてみたいです。

そして、本書を拝読すると、とにかく旅に出たくなります。
各地にそれぞれ個性的で、歴史の塊をその身に隠したような仏像が、こんなにもたくさんある……

何と日本は豊かなんでしょう。

本田さんのご本を拝見してますと、そんな気持ちでいっぱいになります。本書を私はこれからも何度も拝読するでしょう。
あ、それから、本田さんのその前のご本『へんな仏像』も。ですね!

皆さんも、ぜひお手に取ってみてくださいね~!
絶対観に行きたくなりますよ~!

(むとう)

あまりにもすごい白鳳仏ラインナップ。必見です!!『白鳳』展@奈良国立博物館(7/18-9/23)


「白鳳(はくほう)」と聞いて、何のこと?と思われる人もいらっしゃるかもしれません。

奈良博さんHPによりますと、「白鳳は7世紀の半ばから710年に平城京に遷都するまでの間の文化や時代を指す言葉として、美術史学を中心に用いられてきました」とあります。

国史大辞典によりますと、もともと「奈良時代の公年号『白雉』(650-654)の異称」とのことなのですが、650年から平城京に都を移すまでの間、つまり大化の改新後即位した孝徳帝、斉明帝、天智帝、天武帝、持統帝、元明帝、元正帝が遷都するまでの期間の文物全般の様式を示す時などに、好んで用いられる名称なんですね。

特に仏像好きの世界で「白鳳」といえば、「そう、あれ!!」と即座に答えが返ってくる、非常に特徴的で美しい表現の仏像が造られた時代なのです。

白鳳仏といえば、2013年に東京藝術大学美術館で開催された「仏頭展」も、それを意識した展示になっていました。関東が誇る白鳳仏・深大寺さんの「釈迦如来倚像(しゃかにょらいきぞう)」も一緒に展示されてたりしてね。

仏頭展の主役、「興福寺仏頭」も、以前は「旧山田寺仏頭」とも呼ばれていましたが、もともとは山田寺と言う蘇我氏ゆかりのお寺さんにあったお像で、天武帝の頃の造像ですから「白鳳仏」です。「白鳳仏」の代表的なお顔、と言ったらあのお顔、ってくらいのびやかで美しく、また若々しいお顔が特徴的ですね。

さてさて、また前置き長いですね。
そんな白鳳仏を一度に観られてしまうという、奈良博さんならではの展示が7月18日から開催されています!

hakuhou

出品物一覧を拝見してますと、関東からは深大寺さんはやっぱり行きますね、あ、あと千葉の龍角寺さんも!
有名どころはだいたい拝見したことがあるのですが、鳥取など遠くの県のお像は拝見したことがないものもたくさんあります。こりゃまた垂涎!
有名どころと言っても、何度拝観してもまた会いたくなるお像ばかりです。大好きな薬師寺さんの聖観音さんに、お外で会えちゃうなんてなああ。うふうふ。

それから、ちょっとマニアックかもしれませんが、個人的には川原寺裏山から出土したという塼仏(せんぶつ)が出ていることに気付き、静かにコーフン!
以前写真で拝見してすごく美しくて、ぜひ一度拝見してみたいと思っていたんです。嬉しいなあ。

そんなわけでして、これは奈良へといかなくてはなりません!
8月の奈良は、死にそうなほど暑いので、ちょっと二の足を踏みますが、どうにか時間を作っていきたいと思います!
皆さんもぜひ足を運んでくださいね~!

奈良国立博物館
http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2015toku/hakuhou/hakuhou_index.html

仏教美術の源流に触れる!/「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏」展@東京国立博物館(~5/17まで)


東京国立博物館表慶館にて行われている「インドの仏」展に行ってまいりました~!

表慶館と言われてもピンとこない方も多いかもしれませんが、本館の左側にあるこの美しい西洋建築でございますよ。

大正天皇(当時皇太子)のご成婚を祝して建築されたこちらは、日本初の本格的な美術館建築だそうで、重要文化財です。関東大震災にあっても倒壊しなかったといいますから、きらびやかなだけでなくとてもしっかりとした造りなんでしょうね。

好みはともかく、日本ではなかなかお目にかからないバロック様式の建築物です。貴重ですね。
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思い起こしても、なかなかこちらで展覧会というのは開催されていなかったと思います。私もそこそこトーハクさんにお邪魔してますが、昔、スリランカの仏像を招へいした時、メディア向けの説明会か何かでこちらに入ったことがあった、かな?という程度。

今回は全面的に使って、インドの仏像を見せていただけるということで、建物を見るという意味でもとても楽しみでした。

今回の展示で、とにかく印象深かったのは、非常に良質な初期仏教のレリーフや仏像を一堂にみられたことです。

すごくざっくり言ってしまえば、仏陀こと、ゴータマ・シッダールタが亡くなってからしばらくは、仏陀を「人」で表現することはなされませんでした。

最初期は、仏陀の遺骨を納めるストゥーパ(塔)を建立することで表現されました。

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(写真、左は「法輪の礼拝」、右は「菩提樹の礼拝」。法輪と菩提樹は仏陀を象徴的に表している)

そして、その後、ストゥーパとその周囲を荘厳(しょうごん)するために、周囲に彫刻がなされるようになったのですが、そこに彫刻されたのは本生話(釈迦の前世譚)、仏殿(釈迦の生涯)といった教化的なもので、仏陀そのものは仏足石、法輪といった象徴的なもので表現されていました。

そして、仏陀が亡くなってから500年ほど経ってから、ほとんど同時期に人体表現がされるようになります。AD1世紀ごろ、マトゥラー(インド北部)とガンダーラ(アフガニスタン東部からパキスタン北西部)です。

両方ともイラン系王朝「クシャーン朝」の支配下にありました。クシャーン朝は仏教を篤く庇護していたんですね。

20150423-2こちらの見開きだと分かりやすいですね。(図録P56-57より引用)

左の仏像がマトゥラー、右側がガンダーラのもの。日本では圧倒的にガンダーラが有名ですが、図録で見る限り左の仏像はAD1世紀ごろで、ガンダーラの仏像よりも1世紀ほど先行してますね。
クシャーン朝と言えば、仏教を庇護したカニシカ王が有名ですが、マトゥラーの仏像が出現したのは、彼の在位より前ということになります。ほほ~~。

こんなことを書きながら世界史の地図なんかを見直したりしてましたら、無性になつかし楽しい。ちょっと忘れがちでしたけど、私高校時代、世界史専攻だったんですよ。だから日本史はあんましちゃんとやってない。日本史は趣味でやってたんだよなあ。だからどうしても史料なんかを読めないんですよね。

とと、話しを戻しますけれども…。

このような初期仏教の流れをつぶさに見つつ、14世紀くらいまでの大きな流れを見ることができます。一部ミャンマーの仏像は16~19世紀のものが出ていますが、もうちょっと古いものはなかったのかな~。コルカタ博物館蔵、ということで仕方がないかな。

そういう意味では、スリランカの早い時期の仏像も少し出てるとよかったかな~。
いや、だからコルカタ博物館蔵なんだから仕方ないですよね。

と、私の個人的希望はともかく、とても面白い展覧会でした!

ぜひ、足を運んでみてくださいね。

東京国立博物館
コルカタ・インド博物館蔵 インドの仏展
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1701

仏教美術の源流を観る!「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏」展開催(3/17~5/17)


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ちょっと先の話になりますが、東京国立博物館さんでは「みちのくの仏像」展のあとに、こちらが開催されますね!

インドと言えば、お釈迦さんの生誕地と連想する人は多いんじゃないでしょうか。
もうちょっと詳しく言うと諸説あるそうで確定されていませんが、ネパールとインドの国境辺りに生まれたということなんだそうですが…。

ちなみに『仏像』が作られるようになったのは、ブッダが亡くなってから5世紀ほど後、発祥地は、ガンダーラ地方(現・アフガニスタン東部とパキスタン北部周辺)で一世紀半ごろ。そして少し遅れてマトゥーラ地方(現インド北部)で作られるようになりました。

今回の展示は、そのあたりの流れをコルカタ博物館所蔵の逸品でもって、観ることができるようです。楽しみですね!

個人的には貝葉経のコレクションが観られるのも楽しみ♪

「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏」展
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1701#top

 

東博にて「みちのくの仏像」展、明日(1/14)から開催!!


東博さんは、今年も必見が目白押しですね!

まず、幕開けはこの「みちのくの仏像」展。
本館の特別五室での開催ですので、平成館でやるよりも小規模ですが、内容はとても濃ゆいですよ!

なんと言っても、「東北三大薬師」そろい踏み、がまずすごい!

国宝・勝常寺さんの薬師三尊、重文・双林寺の薬師さん、同じく黒石寺の薬師三尊、が一堂に会しますよ~!

さらに、鉈彫と言えばこちら、という有名な仏像、天台寺さんの「観音菩薩像」(重文)も!

天台寺さんは、別の意味でもすごく有名ですね。
奈良時代創建とされるまさに名刹なお寺さんなのですが、明治の廃仏毀釈以降様々な災難に遭い、衰退の一途をたどっていたそうなのです。

昭和も半ばを過ぎたころ、作家としても高名で、中尊寺貫主も務めた今東光(こん とうこう)さんが、天台寺復興のため奔走。しかしガンになってしまい、後事をお弟子の瀬戸内寂聴さんに託されました。その後は寂聴さんが住職をされ、説法を行って多くの人を集められました。ドキュメンタリーなどにもなりましたからご存じの方は多いのではないでしょうか。

寂聴さんも、師である今東光さんの導きで中尊寺で得度されてますから、今回中尊寺さんから出品がないのは、すごく寂しい気がしてしまいますが、何か事情ごありなんでしょう。

ちょっと話外れてしまいましたが、規模は大きくありませんが、仏像好きにはたまらない展覧会ですよね!

また、同じく1/14から、お隣の特別四室で「3.11大津波と文化財の再生」も開催されます。こちらも必見です。「3.11オ歩津波と文化財の再生」展は、一般入館料で見ることができるみたいですね。
ちなみに「みちのくの仏像」は1000円ですが、収益は東北の被災文化財の修復に充てられるとのこと。ぜひ、皆さんも足を運んでくださいまし!

「みちのくの仏像」展@東京国立博物館(1/14~4/5)
http://michinoku2015.jp/index.htm/

「3.11大津波と文化財の再生」(1/14~3/15)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1692&lang=ja

福井県「平成26年度みほとけの里 若狭の秘仏特別公開」がすごい!


20141028

若狭の国こと福井県小浜市周辺は、仏像好きにはたまらないエリアです。
私も大好きで、一人旅で2回、友人と2回、計4回プライベートで訪れています。
#写真は前回たずねたときの羽賀寺さん。なんと8年前の写真でした。

でも、このエリアで特に有名な秘仏で、高浜町にある中山寺さんと馬居寺さんというお寺の馬頭観音さんは、写真で見る限りぜひとも生で拝観したい素晴らしいお像ですが、まだ一度も拝観できていません。

中山寺さんは33年に一度(17年に一度中開帳)、馬居寺さんは25年と午年に開帳と、かなり限られたご開帳のため、相当にハードルの高い秘仏なのです。

それがなんと、この秋、特別開帳しているというではありませんか!!
気が付いたのがちょっと遅いですけど、11月24日まで土日のみではありますが、ご開帳、とあります!これは行きたい!

福井県「平成26年度みほとけの里 若狭の秘仏特別公開」(詳細は以下↓)
http://www.pref.fukui.lg.jp/doc/bunshin/wakasa-hibutsu-26.html

とはいえ、関東から、福井県小浜市のあたりまで行くのは、かなりの気合が必要です。片道約7時間かかりますからね。

今回もどうしようどうしよう…と悩んでおりましたが、やはり、死ぬまでに一度は拝観しないと死んでも死に切れん!
……と思い切って、二泊三日か三泊四日で若狭に行くことを決意しました。

8年ぶりの福井県です。いやあ、楽しみです!!