【山梨旅】武田氏ゆかりのお寺で仏像を観る①大善寺さんの「葡萄薬師」


「葡萄薬師」で有名な名刹・大善寺からスタート!
中村彰彦先生の連載を担当させていただくようになって、こうなったらどうあっても一度現地を訪れないと始まらない、…と思うようになり、先週末その願いをかなえることができました。

山梨を旅すると決めたとき、まず頭に浮かんだのが、「大善寺」さんでした。
というのも、以前私が編集させていただいた本『感じる・調べる・もっと近づく 仏像の本』(西山厚監修:仏像ガール著)の薬師如来をご紹介するページで、大善寺さんの有名なお像のお写真を貸していただいたんですね。その時に「かわいらしい薬師三尊さんだなあ」と感動した、という記憶があったからなのでした。

大善寺

また、中村先生の「疾風に折れぬ花あり」にも「大善寺」は登場します(2014年3月号)。
織田軍に追い立てられた武田勝頼が、愚かにも重臣小山田信茂の勧めを受け、本拠地の新府城を捨てて、信茂の本拠地・都留郡(つるごおり)を目指して脱出したのですが、その途上でこの大善寺に一泊しているのです。

この大善寺は、創建は9世紀ごろと伝わりますが、鎌倉時代のころから武田家と縁の深いお寺です。もともと、郡内(ぐんない)と呼ばれた都留郡と、国中(くになか)と呼ばれた甲州盆地とを結ぶ道の要衝にあり、軍事的にも重要な場所でした。

なので、武田信玄の叔父・信友はこの大善寺の境内を削って館を構えたようですし、信玄自身も、台風で被害を受けた大善寺の修繕を外護し、寺領も安堵しました。

また、大善寺には「理慶尼(りけいに)」という尼さんがいました。この人は信友の孫で、信玄からみると、従弟の娘にあたる人です。一説には勝頼の乳母も務めていたことがあったそうで、勝頼が逃げてきたときに、本堂にかくまった、という伝承があります。この人が書いた『理慶尼記』は別名「武田滅亡記」と呼ばれるもので、東寺の様子を知らせてくれる貴重な資料として、大善寺に今も所蔵されています。

仏像だけじゃなく、建物もすごい!
…ということで、武田家ともとてもご縁の深いお寺さんですから、歴史好きの皆さんにもたまらないと思いますが、仏像好きにもたまらないお寺さんです。

こちらでは何と言っても有名なのは、ご本尊の薬師三尊像。ほぼ創設当時のお像で、平安時代初期までさかのぼる名像(国指定重要文化財)です。
また、このお像のとてもユニークな点は、お薬師さんが葡萄の房を持っているということ。だから「葡萄薬師」と呼ばれるんですね。葡萄栽培とワイン醸造で高名な、勝沼町にある名刹にふさわしいお姿ですね!
大善寺どっしりとした山門をくぐり階段を上ると、本堂(薬師堂)が見えてきます。この本堂は鎌倉時代の建築で国宝。のびやかで気品あふれる佇まいが素晴らしい!!

大善寺

お寺のかたから後でうかがったところによりますと、東日本大震災でも被害がなく、また今年の大雪の際にも、こちらの本堂だけはびくともしなかったそうです。鎌倉時代の宮大工さんの腕って、本当にすごいですよね。

悲報!!葡萄薬師さんがいつの間にか「秘仏」になってた!!
さて、早速本堂に入りますと…

あれ?
嫌な予感…

なんか、本堂の中のお厨子に写真が貼られちゃってるけど!??

「ああ、すみませんねえ、数年前から5年に一度ご開帳させていただくように変更したんですよ。以前は毎日拝観していただけたんですけどね」

……呆然とする私に、衝撃の一言!

「昨年ご開帳したので、次回は30年になります。お客さん若いからまだまだ大丈夫。また来てくださいよ」

の~~~!!!

思わず白目むいたかもしれません。

同行の友人Kは、「い、いく??大丈夫?」と心配してくれましたが、お厨子の外にある12神将と鎌倉時代の日光・月光菩薩さんは拝観できるので、どうにか持ちこたえました。

ああああ、でも観たかったなあ。

こちらの三尊像は、本当にかわゆらしくてねえ。

ご本尊のお薬師さんが優しいお顔で、手に葡萄の房を乗せてるさまもかわゆらしいですが、特に、両脇時の手のかたちが可愛いのです。ピングーの手みたいな、というかなんというか。先がピョンと反っているんです。ううむ、ちょっと下手な絵で描いてみますと…

大善寺

普通は手のひらを前側にひらいているかたち(印相)や、もう一方の手で持っている蓮華の茎の下部分を持っていたり、そんなのが多いかなと思うんですけど、ここまで反り返ってるのは見たことないですね。「おしゃまさん」みたいなポーズに見えます。お顔も少女のようにかわいいので、見ていると思わずにっこりしてしまうようなお像です。

…ってここまで語ってますけど、結局本物観られてないですけどね。写真で見てここまで語ってますけどね(涙)。

(続く)

『天上の舞 飛天の美』展@サントリー美術館にいってきました!


サントリー美術館で開催されている『天上の舞 飛天の美』展に行ってきました!

13日までの開催だったので、ほんっとーにギリギリ。行けてよかった~~!
あぶないあぶない。

天上の舞飛天の美展
「飛天」と言われると、はて?という方も多いかもしれませんが、仏教世界での天使、みたいな存在のこと。

「空を飛び、舞い踊る天人は「飛天」と呼ばれ、インドで誕生して以来、優美で華麗な姿で人々を魅了し続けてきました。本展覧会では、地域・時代を超えて展開 した飛天の姿を、彫刻・絵画・工芸の作品によってたどります。」(HPより抜粋)

ということですが、日本での仏教美術の表現では、この「飛天」は「迦陵頻伽(かりょうびんが、下半身が鳥、上半身が人の楽神)」として、または、中国の神仙思想風な「天女」として、または阿弥陀信仰の中で「雲中供養菩薩」として表現されたり、本当に多様です。

でも、いうなれば、名わき役なので、これだけ系統だってみられることはまずないと思います。そう言う意味でとてもテーマ性のある面白い展覧会だと思います。

さて。

仏像好き的に外せないポイントは、もちろん平等院鳳凰堂の飛天(国宝)さんと雲中供養菩薩(国宝)さんたちを、東京で間近にみられる、ということですね!

もっとも、実のところ平等院鳳凰堂に実際に行きますと、雲中供養菩薩さんたちは比較的間近で見られるんです。なので、この展覧会でがぶり寄りで堪能しなくてはいけないのは、「ご本尊の阿弥陀如来像の光背(後光を表現したもの。お像の背後にある光の束みたいな部分です)にいらっしゃる飛天さんたち」だ!と言えるんじゃないかと思います。

……あれ?
でも、ひょっとしてサービス精神旺盛な平等院さんは、ひょっとして光背のほうの菩薩さんも下におろして見せてくれてたりするのかな??

ちょっと自信ないですけど^^;、
すみません、未確認。

ともかく、そんな貧乏根性で、光背の飛天さんを中心に、とにかくがぶり寄りで見てまいりましたよ。
ちなみに、光背の飛天さんか、雲中供養菩薩(お堂のほうに取り付けられていた菩薩さん。楽器をもって音楽を奏でています)を見分ける簡単な方法あり!

光背の飛天さんは、金色ですっッ。

ポスターも、それでみますと簡単に分類できますよね!
#あああ、すみません、浅い見分けかたで…

平等院の素晴らしい飛天を間近に見られた、ということはもちろん感動しましたが、個人的におお!と思いましたのは、非常に初期のガンダーラ仏教美術(スワート、1~2世紀)のレリーフでも、すでにこの飛天が表現されていたことです。ギリシア彫刻の影響下で、ガンダーラ美術が発生した、というのはよく聞く話でしたが、この中に搭乗する飛天は、まさに『天使』そのもの、ってかんじでしたよ!

うーん新鮮!

結構見ているはずなんですけど、どうしても脇役まで気がまわらなかったですね、今回ので初めて気づきました。ちゃんと見てなかったなあ。

こういう気付きを与えてくださるのは、本当にありがたいですね。

あ、それからそれから。
法隆寺の飛天像(国宝)も必見。とても有名なお像で、いかにも飛鳥時代の大らかでかわいらしいお像です。
それから私は初見でしたが、有名な川原寺裏山で発見されたという「仏三尊塼仏(ぶつさんぞんせんぶつ)」が素晴らしかったです!このすごいレベルの塼仏が大量に発掘されたっていうんですから、川原寺ってすごかったんだなあ。

ちょっと話がまとまりませんが。
本展覧会は、『天使というモチーフが仏教、アジア世界でどんな表現に拡大され、発展していったか』と見たほうが、よりおもしろがれるかも、と思いました。

「天使モチーフのアジアでの展開文化史」みたいな。

『天使』というモチーフは、なんとなくキリスト教かな?という印象があるかもしれませんが、天使を「羽を持ち空を飛ぶ神のような存在」という意味では、実はとても古いモチーフなんだなあ、と改めて思います。

それにしても、「空を飛ぶ」ということに、いろんな民族が普遍的に憧れたんですねえ。
興味のある方はぜひお早めに!13日までですよ~!

 サントリー美術館(1月13日まで開催)
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2013_5/index.html

新潟で京都の秘仏に出会う②『京都清水寺展』@新潟万代島美術館へ!


 

一周年記念!
「ピア万代」から「朱鷺メッセ」へ
第二回目の新潟ブツタビレポートですが、前回では「廻転寿司 佐渡 弁慶」でイカを二貫食べたところで力尽きました。アオリイカの美味しさが、10年以上前の懐かしい思い出を喚起してくれちゃったりしたもんで、なかなか前に進めません。

それにイカは一番最初に食べたんですから、先は長いですよ。
しかし一つ一つレポートしていたら、なかなか仏像にたどり着けません。ここでは、「佐渡産」と銘打たれたネタの中から、私が頂いたもの三種を一気にご紹介!
佐渡産寿司ネタいちばん左は多分イサキ、中央は今回最も高価だったノドグロ、左はブリです。

ノドグロのお刺身は初めていただきましたが、ま~美味しいこと!!白身ですが、脂がのっていてまたその脂が上品でたまらんかんじです。
そして、もう一つの驚きは天然ブリでした。私、実は脂の多い魚は苦手で、ブリなんかはしゃぶしゃぶでいただきたい派です。でもこのブリは違った!臭みが全くなく、脂ものってますけど重くない!!美味しかったので、ついついもう一皿…と手が伸びてしまいました。これで126円だっけ??ううむ、お得だなあ。

実は私、食いしん坊の割に量はあまり食べられず。小腹べりでして回数分けて食べる派なのです。そのため、5皿+お味噌汁で打ち止め。おなかいっぱいです。結局4種類しか食べられなかったというていたらく…^^;;

すっかり満足して、いよいよ万代島美術館へと向かいます。
朱鷺メッセこののっぽな建物が、万代島美術館の入っている「朱鷺メッセ」。弁慶の入っている「ピア万代」という建物から歩いて10分弱。こちらの5階に美術館が入っています。
展望台から朱鷺メッセに入って、美術館に行く前にちょっと寄り道。最上階にある展望台に行ってみました。手前に見えるちょっと黄色い青の流れが信濃川、その先にあるのが日本海です。この万代島というのは信濃川の河口にある中洲なんですね、たぶん。

さて、一階に戻りますと…
案内案内板?発見。
おおお、いよいよ、清水寺の秘仏に会える瞬間が!!

それにしても、新潟の雄大なこの空間の中で、清水寺の秘仏に拝観することになろうとは。清水寺は観音さんですから、この場所にいるのは間違ってない気はしますけどね。

というのも、観音さんというのは、とても人気の高い菩薩さんで、さまざまなところで祀られてるんですが、その多くは、「水」に関係のあるところに祀られているのです。

それも「水源」にかかわるところが多いと思います。清水寺も、おそらくそうでしょう。

図録にある縁起によりますと、

「大和国武市郡に住んでいた高僧・延鎮(えんちん)という人が、ある日の霊夢に導かれ、淀川に流れる一筋の金色の水をたどってさかのぼっていたところ、東山の音羽の滝にたどり着き、そこで彼を数百年にわたり待っていたという仙人に会って託され、その土地に庵を営み…」(要約)

ということなんだそうですが、この文章を見ても、「金色の水をたどって」、とありますから、庵を営んだその音羽の滝というのは、水源、と考えられますね。

この音羽の滝、というのは現在もありまして、有名な「清水の舞台」と呼ばれる、本堂の正面下あたりにあります。

実はこの「音羽の滝」こそ、清水寺にとってものすごく大切なものなんじゃないかな、と思うわけです。このお寺がここにできる理由になった場所なわけですから。建物が燃えてしまっても、この滝がここにある限り、この水が枯れない限り、清水寺は再建可能なんじゃないかな、なんて思いますね。

(続く)

 

新潟で京都の秘仏に出会う①まずは新潟のお寿司に出会おう


一周年記念! 京都清水寺、243年ぶりの秘仏開帳が新潟で開催!?
少し時間はさかのぼります。

とある猛暑の日。ネットでちらちらニュースを見ていたところ、とんでもないニュースが飛び込んできました。

「『京都 清水寺展』新潟万代島美術館開催。奥の院ご本尊も登場します。」(要約)

な、な、な、
なんですとーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!

清水寺奥ノ院のご本尊が出開帳(しゅつかいちょう)!!?

まじでですか!??

私は仕事部屋でひとり叫びました。あんまり驚いたので、FBでも書いてしまいました。この驚きをだれかと共有したい、そんな気持ちでいっぱい…。

なぜ私がこんなに驚いているのかというと、清水寺、というのは、皆さんもよくご存じのあの三年坂とかのある「清水寺」なのですが、清水寺には有名な秘仏が二躰いらっしゃいます。

そのうちの一躰、奥の院のご本尊が、こともあろうに「出開帳」なんて!!本当に信じられない事態です。
*出開帳というのは、お寺さん内でご開帳するのではなく、どこが他の土地に出張してご開帳する、ということです。

まずこの奥の院のご本尊は、平成15年に「243年」!ぶりにご開帳され、仏像ファンの間では、一大ニュースになりました。

243年ぶりですよ?!!

前にあけたときは、1762年ごろってことですよね。徳川将軍10代目家治の時ってことですよ。えらいこと昔です。

実は、清水寺は、火事の多いお寺さんなのです。創建されたのは778年(奈良時代)のことですが、そのあと何度も何度も火事で焼けては、再建されているお寺さんです。

江戸時代にも全焼してますが、三代将軍家光公によって再建され、現在に至っています。243年前になぜご開帳されたのかはわかりませんが、本堂のご本尊のほうは、運営資金を集める勧進のために、江戸時代には何度も江戸に出開帳していることを見ると、そういった何か経済的理由があったのかもしれません。

今回の出開帳も、家光公による「寛永の再建」から380年を数えたことを記念して、とのことなのですが、それにしても、どうして新潟で??!また、このあと沖縄県立博物館を巡回します。新潟と、沖縄……。

正直言って、相当に不思議なことです。何か深いご縁がある、ってことなんでしょうか。

すみません、前置きが長くなってしまいましたが、これはもう、前回2003年の時には、仕事で京都に行くのを断念した私としましては、神の恵み、いや観音さんの恵みってやつじゃないですか。どうにかこうにか見に行かないわけにはいかん!…とスケジュール表とにらめっこです。

ちょうど、ありをりあるが一周年を迎えるので、その記念にちょっと出張したいと思ってましたので、この新潟へ清水寺の観音さんに会いに行くというのを、ぶっこむことにしました。

調べてみますと、高速バスで行くとすごくお安い!ホテルも平日だと半額で泊まれる!

…こうして、一周年記念取材旅行は新潟に決定したのでした。

国内では15年ぶりの高速バスでのブツタビ
10月1日。いよいよ待ちに待った新潟ブツタビに出発です!
朝8時池袋発の長岡バスに乗って出発!

実は高速バス、国内ですと学生以来の体験です。しかも新潟は初めて。バスってなんかワクワクしますね。電車もいいけど、バスもまたいい。不思議な旅情があって!!

約5時間の旅です。

高速バス

(写真:私が載った高速バス。途中PAにて)

時間があまりになかったので、新潟についてあまりよくわかっていない私は、バス内で一生懸命ガイドブックとにらめっこ。

一泊はするものの、時間はそんなにたくさんはありません。本当は新潟市内だけではなくて、村上市や長岡市やたくさん行ってみたいところはありましたが、現実を考えて、新潟市内だけにしぼりました。

新潟市内は、どちらかというと明治以降ハイカラな港町だった場所なので、古い仏像は見当たりません。そういう意味では、今回のブツタビはとにかくお目当ての『京都清水寺展』にしぼったほうがよさそうです。

後は市内を巡回しているバスに乗って、明治から昭和の名家のお庭など見ることにしよう、と決めました。こちらはどちらかというと「石部」の範疇……。
信濃川(写真:途中のPAで見た信濃川。だんだん気持ちが上がってきましたよ!)

それにしても、バスでの移動はとても楽しかった。景色もよく見えますし、また、バスの運転手さんもすごく親切なんですよね。

車内のパーソナルスペースもかなり広いですし。時間は新幹線よりかかっちゃいますけど、お値段3分の一くらいですから、この快適さも含め、本当にいいですね。

さて、そんなこんなで、予定より30分早く、新潟駅に着きました。時間はだいたい13時。

13時といえば、そうです。お昼ご飯食べないと!!

お昼ご飯は、お寿司お寿司お寿司!!!
新潟に行くと決めてから、到着して最初のごはんは「生もの」と決めてました。美味しい新潟の海産物をまずいただきたい!と。

ネットなどで情報収集してみると、意外とネガティブな情報も多く見受けられました。総合しますと、新潟市内(駅に近いエリア)ですと、お寿司は東京とそんなに変わらない…て感じの評価なんです。大きな都市ですから、しょうがないですよね。だけど、私はどうしても地の魚が食べたいのです!

そんなことで、またネットでいろいろ見ていると、私がこれから行こうとしている「万代島美術館」の近くに、評判の回転すし屋さん発見。佐渡の魚を食べさせてくれるというではありませんか!?

よし。ここだ!!

駅から歩いて20分ほどで到着しました。もうおなかはペコペコです。
弁慶

やっと着いた~!「回転寿司 弁慶」です!

幸いなことに、13時半ぐらいで時間も外れていたからでしょうか、待たずにすぐ座れました。普段は大人気なので、けっこう並ぶらしいですよ。

メニューを見て「佐渡産」と書いてあるものを、全部頼もう、と意気込むワタクシ。

佐渡といえば、イカですよ。イカイカ。すみませーんイカくださーい。
アオリイカ

見てください、このツヤを! アオリイカ最高~♪

佐渡。いいなあ、佐渡…。

実は、私にとって佐渡はとても懐かしい、大好きな場所なのです。

10年以上前の話ですが、仕事が大変すぎて壊れかけていた私と友人KとMは、このどうしようもない状況の打開策として、「これ以上ないってくらい落ちたら、もう上がるしかないってそう思うのはどうか」と思いいたりました。

その時、友人Mが、力強くつぶやきました。

「…流人だ。流人の気分を味わうべきだ」

日本史専攻の友人Mは、絶えず渋い打開策を提案してくれる力強き人物です。その時も、「流人」という力強いテーマを投げ込んでくれました。

なるほど、流人か…

それは、私とKにとって、思いもよらぬ投げかけでしたが、心境的にはばっちりはまりました。最初は隠岐の島が候補に挙がりましたが、さすがにちょっと遠すぎます。次に八丈島が上がりますが、南国な感じがして、なんかちょっと今回は違います。

そこで、残ったのが「佐渡」だったのです。

「行くぞ!佐渡に!!」
(←この辺りで、実はもうかなり復活していることに気付かない三人)

こうして訪れた佐渡は、「流人気分」なんてとんでもない。本当に素晴らしい場所でした。

宿も「一番人気がなさそうで、建物も崩れそうな、いけてなさそうな民宿」を、あえてセレクト。ところが、確かにその宿は建物はボロボロだったのですが、おかみさんはいい人だし、ご飯は美味しいし、海はきれいだしで「いけてない」どころか「いうことなし」だったんです。

そのお宿で食べた、イカの美味しかったこと!

夕ご飯はイカ尽くしって感じでしたけど、生で食べても焼いても煮ても、ま~間違いない旨さ。

どん底気分を味わうつもりだった三人でしたが、すっかり楽しくなってしまって、見事に復活を遂げたのでした。

………

……と(回想シーンが長すぎですけど)二貫のアオリイカをいただいた瞬間、この時の記憶が走馬灯のように駆け抜けました。

佐渡、今回はいけないけど、また行きたいな…。

(続く)

 

12年に一度だけ会える女神さま(井の頭弁財天)③弁天さんはふくふく美人


弁天さんの紋章「三つ鱗」
狛犬さんや宇賀神さんのキュートさを堪能しているうち、45分余りあっという間に過ぎてしまいました。靴を脱いでお堂の小さな回廊で並んで待っていると、堂守のおじいさんがにこにこしながら、

「今回は皆さんよかったですね!お堂の中に入って弁天様のすぐ近くに来れるなんて、もう何十年もなかったことなんですよ」

と少々興奮気味におっしゃいます。こちらのご開帳は12年に一度行われてますが、内陣まで入れるというのはなかなかないみたいです。やったあ!
弁天さんの紋お堂の裏手のほうが入口になっています。弁天さんがいらっしゃるの祭壇の上の厨子。正面から見ると一番奥のほうにありますので、裏手から入ったほうがより近くに寄れるからでしょうか。

その後ろ扉のあたりにこんな紋章がありました。
そのおじいさんのお話では、これが弁天さんの紋だそうです。

この真ん中の三角三つは、結構有名なもので「三つ鱗(みつうろこ)」と言います。有名どころでは、鎌倉幕府の執権を務めた北条氏はこの「三つ鱗」です(「北条三つ鱗」と言います)。

調べてみましたら、そもそも北条氏が「三つ鱗」の家紋を用いるようになったのには、江ノ島弁天さんが関係してるんですね。
北条執権の祖、北条時政が、いまいち不遇だったころに家運興隆を江ノ島弁天にお祈りしたところ、満願の日の朝に高貴な女性が現れて「法華経をよく報じて非道なことをしないようにすれば栄えるだろう」とお告げをして、めちゃくちゃ大きい蛇に変化して海に姿を消したんですって。そしたらそのあとの床に、大蛇の鱗が三枚落ちていて、時政はそれを持ち帰って家宝にし、また家紋にもした、…というストーリーがあるんですね。

以来、北条氏ゆかりのところでもこの「三つ鱗」は目にしますし、弁天さんに関係あるところでもよくこの紋をみることができます。この写真のように「三つ鱗に波紋」のパターンが弁天さんの紋になってるみたいです。

井の頭の弁天さんにいよいよあえる!!
さて、そうしていよいよ内陣へ。
もうお気づきかと思いますが、秘仏ですので、写真撮影はNGです。(というか、そもそも仏像はほとんどが写真撮影不可です。申請などしたらまたお話は別ですが)

でも、ここで皆さんにそのお姿をご報告できないのは残念すぎるので、その時の記憶をたよりにちょっとイラストにしてみました。
弁天様(うろ覚え)腕は8本。持ち物は、ほとんど覚えてないんですが、剣と宝珠をもってた、と思うんですよね。
それから額の上にも宝珠があった、ような。
ンでたぶん頭頂部に宇賀神さんがいた、ような…。

正直言って、全部勘違いかもしれません。すみません。
だけど、拝観できた時間、たぶん10秒くらいなんですよ~~^^;。しかもその場でメモるなんて言語道断って雰囲気ですし。そんなわけで、ざっくりこんな雰囲気のお像だった、と思っていただけたら幸いです。

全体的な雰囲気をご報告しますと、彩色がよく残っていて、とっても美しいお像でした。造作も大変繊細で、上品です。
お顔は丸顔で、ふっくらとして優しいお母さん、といった感じです(顔はこのイラスト結構似てると思います)。

HPなどで明記されてませんので、時代はちょっとわかりませんが、創建当初からの、「最澄作」というのはちょっと難しいかな^^;。時代はもうちょっと下ると思います。鎌倉末期、または室町くらいじゃないかな、と。いや、でも、何の根拠もないあれです。雰囲気だけでは、そんな感じだった、と思ってください。

とはいえ、何より感じたのは「ああ、ここのあったかい雰囲気通りの弁天さんだなあ」ということ。拝観したくて集まってきた人々がにこにこして譲り合う感じ。お寺側でご奉仕している氏子の方々もみんな楽しそうだった。いらいらした人なんて一人もいなかったなあ。
そんな優しい雰囲気の中心にいるのが、こちらの弁天さん、というのが、ものすごく腑に落ちる感じでした。とにかく優しいのです。そしてなんだかおめでたいのです。

吉祥寺が文化度高いのにはやっぱり…
そもそも、弁天さんこと弁才天は、仏教の中の神様ですが、もともとはインドのヒンズー教に登場する川や湖の女神サラスヴァティーのこと。水と豊穣をつかさどる女神で、富・福をもたらす女神であり、芸術や言語の女神でもあります。

吉祥寺は、100年ほど前には山深い武蔵野の地でしたが、ここ数十年はまさに文化の街として発展しています。そんな街に、こちらの弁天さまがいらっしゃる、というのが何となくものすごく正しい気がします。

さすがだなあ、やっぱり吉祥寺だなあ、なんて思いながら拝観を終え、お堂の外に出ました。お堂の左わきには、「不動堂」があります。こちらには不動明王が祭られているとのことですが、こちらも秘仏みたいですね。
お堂の周りを一回りしてみると、こちらにもかわいらしい弁天さんがいらっしゃいました。
弁天さんこちらの石像の弁天さんも頭の上に宇賀神さんお乗せてるので、宇賀弁天さんです。江戸時代のものだと思われますが、こちらも優しい感じで素敵ですね!

境内には、こんな石像もたくさんありましたが、そのすべてにお花が供えられてました。そのお花が、なんだか妙にお洒落でね。ガーベラやユリを中心に、まるでフラワーアレンジメントって感じ。こちらの弁天さんにはこんなお花もまたよく似合います。
弁天さんこの頭頂部でとぐろを巻いてる宇賀神さんがまたいいですね!
お堂の中の弁天さんには12年に一度しかお会いできませんが、こちらの弁天さんにはいつでもお会いできます。それでも十分ありがたいなあ。

皆さんも、吉祥寺にいらっしゃる際には、ぜひこちらの弁天さんに足を延ばしてみてください!
なんだかとって和みますよ~!

井の頭弁財天
http://www.inokashirabenzaiten.com/welcome.htm

12年に一度だけ会える女神さま(井の頭弁財天)②ハッピー感が止まらない!


 

人面犬?
そんなこんなで和気藹々と行列で待ちながら、境内を眺めていますと、何やらこのお堂の境内には、ハッピー感を高めずにはいられないお像がたくさんあります。いわゆる仏像ではないですけど…
獅子吽形まずはこの獅子ですよ。なんでしょう、この見事なデフォルメ。極限までむだをなくしたこの体の表現。そして顔は……人間じゃん。これって人面犬みたいですよね。
素晴らしい尻尾表現そして、尻尾はこんな尻尾ですよ。なんだろうこのデフォルメ。かわいすぎる!
日本犬のような立尾の子たちって、なんかお尻の穴丸出しで無防備すぎて笑っちゃうんだけど、そんな感じの気持ちになります。
獅子阿形とお神楽そして、こちらが阿形のお獅子。わあ、なんかもうおっさんにしか見えない。
この写真見てると、お神楽とこのお獅子の顔があまりにも愛らしくて、ハッピー感垂れ流しですよ!

「まだ弁天様見てないけど、なんか楽しい!!」
Yさんがにこにこしながらおっしゃいます。ほんと!なんか楽しい!テンション上がります!

しかし散々笑ってしまったこのお獅子、帰宅してから調べてみたところ、実はこの手のものにしては結構古いお像で三鷹市の文化財でした。笑って済みません。

さて、私は先程から「お獅子」と読んでいて、「狛犬」と呼んでおりません。実はこれには理由がありまして、本来、狛犬というのは、犬みたいな動物で、頭部に一本の角のある神獣なのです。

ですが、鎌倉時代に有識故実などを記した書物に、「向かって右側には、口を開いている獅子、左側には口を閉じている狛犬を配す」とあり、その当時から、この両者を一セットとして「狛犬」と呼ぶようになりました。
ところが、その後、いろいろ簡略化されることが多くなり、狛犬の角がなくなり、江戸時代中期以降はついに両方とも獅子で表されることが多くなりました。

狛犬+獅子=狛犬

狛犬(角なし)+獅子=狛犬

獅子+獅子=狛犬

こんな感じ。いつの間にか狛犬いなくなっちゃったじゃん、みたいな。世の中結構いい加減にできてますよね。

ハッピー感が止まらない!!?
そんなこんなで人笑いして、目を転じると…おおおおお!これは!!!!
宇賀神さんでた~!宇賀神(うがじん)さん!!あははははは!!

いや、笑っちゃいけない。この神様はとても大切な神様なのです。
実は、今回拝観しに来た弁天さんは、「宇賀弁天」と聞いてます。宇賀弁天さんというのは何かというと、弁財天という女神さんなんですが、頭の上に宇賀神という神さまを乗っけてる、というスタイルの弁財天なのです。

この宇賀神さん、いったいどんな神様かと言いますと、その出自はよくわからない(諸説あります)のですが、ざっくりいうと穀物の神様です。体は蛇、頭が人というお姿です。
蛇というのは、水霊の象徴ですから、水に関係してる神さまともいえるんじゃないかと思います。弁天さんも水の神様ですから、天台宗の教理の中で、一緒にまつられるようになり、ついには合体パターンが誕生して信仰された、ということみたいです。

それにしても、こちらの宇賀神さん、ものすごくキュートです。まるっとしてるし。
宇賀神さん目の形がへにょんとしてて、笑いジワがあります。頬の筋肉が上に上がっていて、鼻の横にしわが入り、笑いをこらえてるような表情。
体のほうをみますと、尻尾の先がぴょんと上へ跳ね上がっていて、かわいらしいし。

なんだか見てるこちらも、含み笑いしちゃうって感じです。これだけ異形なのに、蛇におじいちゃんの合体型で不気味なはずなのに、なんか、すごい楽しくなっちゃうのが不思議です。

「なんか、なんか楽しいですね!」

私とYさんは、にっこりとほほ笑みあいました。

(続く)

12年に一度だけ会える女神さま(井の頭弁財天)①やっぱり大人気!



「秘仏」という存在

皆さん、「秘仏(ひぶつ)」という言葉はご存知でしょうか??
実は、日本ではなかなかそのお姿を見ることができない仏像、というのがありまして、それを「秘仏」と呼んでいます。

年に一回だけとか、春と秋の限られた期間だけ、とか。
普段は、奥ゆかしく扉付の厨子に収められていてます。ですのでその扉を開く、ということで、この秘仏を観られる期間のことを「秘仏ご開帳」と言います。

仏像好きとしては、この秘仏ご開帳は、ものすごく重要なファクターです。
いつそのお像に拝観できるかを毎年チェックしてます。とはいっても、どうしても見逃しがあって、「ああああ、この観音さん、次にあくのは32年後だああ!」なんてことになってしまうことも多々あります。
49年に一度とか60年に一度、なんて仏像もあって「生きてるうちにはもう会えないなあ」なんてこともよくあります。
さらにさらに。お堂に収めて以来、ご住職でさえ会えないという究極の秘仏もいます。これを「絶対秘仏」と読んだりします。有名なところでは、浅草寺のご本尊の観音像、善光寺の御本尊の阿弥陀三尊像は絶対秘仏。

さて、今回ブツタビで訪ねましたのは、12年に一度、巳年の巳の週の三日間だけ会えるおかた、井の頭公園の、「井の頭弁財天」です!!

正直言ってノーマーク!あの井の頭公園にこんな秘密が!井の頭公園内の弁天堂皆さんもよくご存じ、吉祥寺の井の頭公園です。
「住みたいまち」に必ずナンバー1とかで入ってくるあの吉祥寺。私も、お仕事ではちょいちょい訪れてきた街です。でも、埼玉の自宅からだとちょっと遠いので、用事がないとなかなか行けないエリア。
今回、この貴重な情報を教えてくださったのは、先輩フリー編集者のYさん!!
さすがの吉祥寺在住。ネットで探してもなかなか上がってこないレア情報です!

「小さなお堂ですから、あんまりみんなに知らせてしまうと、大変なことになっちゃいそう。だから大きくお知らせしなくていいと思ってるのかもしれませんね~」

とYさん。なるほどねえ。確かにそんな感じかも。
それにしても、正直言って井の頭弁天さん、盲点でした~。ノーマーク!!
弁天さんがあることはわかりますけど、「秘仏」だったなんて…!
ちょっと変な言い方ですけど、秘仏でも、文化財に指定されてるとチェックできるので、なんとなくわかるんですが、文化財になっていないお像は、なかなか情報をつかみきれないところがあります。

あ、そうだそうだ。

ちょっと誤解していただきたくないのは、文化財になっていない、ということが、イコール価値がないとかそういうことじゃないんですよ。文化財指定には調査が必要ですけど、その調査をするために秘仏を日の下にさらしてしまうことになります。仏像というのは、あくまでもお祈りするためのお像です。だから、調査のために決まりを破るというのは、それは違うでしょ、とお考えの方もいらっしゃるわけで、それはそれでなるほど、と思います。なので、一切調査をお断りされているお寺さんもいらっしゃるわけで、ひょっとしたらこちらもそんな感じなのかもしれません。逆に、お像を子々孫々まで伝えていきたい、と保存のことなども考えて調査を了承したり依頼される場合も多々あります。今はこちらの選択をされるお寺さんのほうがですが、どちらの場合も「大切にしたい」という目的は同じだと思います。

ちなみに、このお像に関する情報は本当に少ないです。
お寺のHPには「最澄作と伝わるお像」と書かれているだけです。最澄さんが作ったとなると、平安初期にまでさかのぼってしまいますが、さて、どうなんでしょうか。ワクワクしてきましたよ!
弁天堂入口それでも、やっぱり知る人ぞ知るなんですねえ。
私たちがお堂のあたりについたのは、12時ごろ。かなりの行列が!入口付近の張り紙で、待ち時間45分、と書かれてます。

いやいや、そんな。
待ちますよ~全然問題ないっすよ!
弁天堂とお神楽

お堂からは、獅子舞のお神楽がずっと聞こえています。途切れることのない笛と太鼓の音が、あったかいこの井の頭公園の空気にものすごく合う!
ならんでる人たちもみんな笑顔。和気藹々と弁天さんに会えるその瞬間を待ちます。

井の頭弁財天
http://www.inokashirabenzaiten.com/welcome.htm

フランスに渡った仏像たち(ギメ美術館@パリ)~その五~


日本仏教美術の混沌が…
そういえば、パンテオン・ブディックの展示は、あまり解説が付いていませんでした。しまいには…
pante-10こんな置かれ方(笑)。
お像の名前も時代も一切省かれて、日本の田舎のお寺の宝物館みたいな感じになってきました…。
たぶんこの写真のケースに収められているお像はかなり新しいもの…江戸中期以降のお像がギュッとまとまってる感じでしょうか。
かなり混沌としてますよ^^;。

美しすぎる阿弥陀さん!

しかししかし…。
やっぱりタダでは終わりませんよ~~~。
すごいお像がありました!!
こちらっ!

阿弥陀如来坐像。美しい!!

阿弥陀如来坐像。美しい!!

ひっじょーに美しい阿弥陀如来座像が!!!
阿弥陀如来座像流し眼!
まるで生きてるかのようなこの表情!
pante-9
美しい衣紋と指。
こちらの指の形は阿弥陀如来の印相のうち、「上品上生(じょうひんじょうしょう)」という印相です。

一つだけ特別にひろいスペースに置かれてましたので、多分特別扱いなのですが、解説も、ネームプレートもありませんでした^^;。

なので、素人考えで想像するほかないのですが、鎌倉末期から南北朝時代くらいのお像なんじゃないかなあという感じ。ひょっとして、もっと新しいのかもしれません。でも、いい意味で鎌倉時代の表現を感じさせてくれるお像です。

いずれにせよ、たぶん京都で造られたお像でしょうね。
ぴかぴかしてるのでわかりにくいですが、おそらく木製で漆を塗った上に金箔で加飾されているようです。

う~ん。美しい。
素晴らしい阿弥陀さんですね~~。

***

そんなこんなで、ギメ美術館編も終了です。

お気づきの方、いらっしゃるかわかりませんが、会いたいと思っていたお像(カレンダーで掲載した旧法隆寺の普賢菩薩像)は発見できませんでした^^;。
残念ですが、きっとまたおいでなされ、ということでしょう。
ええ、絶対また行きますとも!!

(終わり)

フランスに渡った仏像たち(ギメ美術館@パリ)~その四~


パンテオン・ブディック(仏教諸尊ギャラリー)へ
本館を出ると、歩いて5分ほどのところに日本の宗教美術を終結させた別館「パンテオン・ブディック」はあります。
paris-9こちらは、フランスにおける日本仏教研究の大家である、ベルナール・フランク氏の指揮により、1991年に創設されたとのこと。パンテオン・ブディックというのは日本語に訳すと「仏教諸尊ギャラリー」というそうですよ。

本館の方にも、あれだけ充実した仏像があったというのに、まだこっちに本体があるっていうんですから、驚いちゃいますよ。
しかも、こちらには日本庭園や、お茶室などもしつらえてあって、さすがヨーロッパにおける日本趣味の中心地・パリならではです。

特別展「お札」もすごかった

パンテオン・ブディックでは、特別展「お札」開催中でした。渋すぎる。

パンテオン・ブディックでは、特別展「お札」開催中でした。渋すぎる。

さて、ではその特別展も拝見しましょうか。

さすがの展示!まずお像が置かれていて、それに関連するお札を展示してます。

さすがの展示!
まずお像が置かれていて、それに関連するお札を展示してます。

規模としてはさほど大きな規模ではありませんが、この企画展を考えることができるという部分で、収集の層の厚さを感じます。

たとえば、写真左はちょっと定かじゃないのですが^^;、写真中央は、「聖徳太子」に絡んだお札、写真右は、元三大師絡みのお札を展示してます。

こんなに、突っ込んだ展示に、日本以外で出会うなんて思ってもみませんでした。ここの学芸員のどなたかが、お札を研究対象にされてるのかもしれませんね。この熱意はただ事じゃありません。

神仏習合モノもめちゃくちゃ充実してます
この特別展以外の場所では、江戸時代のちょっと民俗学寄りのものかなり見受けられました。
本館の日本コーナーはどちらかというと芸術的に優れたものが多かったですが、こちらはもっとコアで珍しいものや民俗学的なものが置かれているような気がします。

特に、神仏習合系のコレクションはかなりの充実っぷり。
「神仏習合」というのは、仏教の仏さんと、もともとそこにいた日本の神様(の要素)を合体してお祀りしたようなもので、日本独自のものです。

神仏習合の諸尊たち。

神仏習合の諸尊たち。

一番左は、蔵王権現(ざおうごんげん)ですね。蔵王権現は役小角が感得したという、日本オリジナルの仏さんです。
中央写真の左は馬に乗って錫杖(しゃくじょう)を持っていますね。これはおそらく、愛宕大神(あたごおおみかみ)。左のキツネに乗ってるのはたぶん秋葉権現(あきばごんげん)、かなあ^^;。
一番右の写真は、小さいお像が多分、飯綱権現(いづなごんげん)、大きいほうのお像はちょとわからない^^;。

これらのお像は、仏像、ときっぱり言い難いんです。「神」の像ともいえるし。でも、お寺にお祀りされてたことを考えたら、やっぱり仏像ともいえるんですね。

とはいえ、ちょっと前までは、日本人は神も仏もわけずにありがたくお祀りしてたので、分ける必要もないのかもしれません。

それにしても、こんなにこの手のお像がずらりと収集されてるのって、日本でも珍しいかもしれないですよ。ほんとすごいわあ。
(続く)

フランスに渡った仏像たち(ギメ美術館@パリ)~その参~


続々現れる仏像たち
中国ゾーンで早くも息切れる私。
たぶん、あのフロアにいただれよりも盛り上がって写真を撮りまくってましたが、いかんせんIphoneしかもってかなかったもんで、無理があります。
熱意があるなら、カメラ持ってきたらいいのに、と周囲の人は思っていたに違いない…。

日本ゾーンはぐるりと回って最後のエリアになります。本館の展示は日本コレクションの一部で、収蔵本体は別館「パンテオンギャラリー」にあるみたい。なので、さほど量はないだろうと思い油断してたどり着きました。

どーん!日本ゾーンに入るなりこの状態。

うわあ。すごい量の仏像が!
しかも、非常にクオリティが高いものばかりですよ!正直言って日本にあったら重要文化財だろうなあ、なんてお像も何体もありました。やばいでしょう、ほんと。こんなに揃ってますけど、ここパリですよ。日本じゃないですよ。どれだけ日本から流出しちゃったわけ!?と呆然となりました。

(右)菩薩像・10世紀末、(中央)菩薩像・10世紀、(左)観音菩薩像・12世紀。

たとえば写真の一番左のお像。900年代後半のお像だそうですが、衣紋も流れるようで美しいし、何よりいいお顔です。どっかで見たことあるなあ、と思ったら、室生寺の十一面観音菩薩像ですよ!こちらの方が面長ですが雰囲気かなり近い。年代もかなり近いので、何かしら関係のある来歴があるのかもしれません。
中央のお像も10世紀ごろのもの。体は失われていますがきらびやかでゴージャス。骨太な感じがしますね。
右のお像は12世紀藤原時代のもの。いかにも定朝様で、滋賀県あたりの天台宗のお寺でよくお目にかかる感じです。

もうどれもこれも素晴らしくて、めまいがしそうでしたが、そのなかでも、こちら!

仏陀坐像。11世紀初。

虫食いの跡が痛々しいですが、ほんと~~~に美しいお顔です!!ネームプレートには「仏陀坐像」とありましたが、仏陀、というと釈迦如来、ということになりますが、時代的に考えますと阿弥陀如来像かもしれませんね。うーん、でもお釈迦さんでもおかしくないなあ。

こんな風に、いろんな時代、いろんな様式の仏像が一堂に会してますと、自分の好みの仏像を発見しやすいですよね。

仏像は、時代によって、顔・身体の雰囲気、衣装などが違います。その時の流行や時代観みたいなものがそこには現れてくるのですが、これから仏像を観てみたい、という方にはまずその、「自分の好み」を発見してもらうといいんじゃないかなと思うのです。
その好みが、仏像を観るとっかかりになってくれると思います!

……そうこうしているうちに、時間はあっという間に過ぎていきます。
油断していると閉館しちゃう!ということで、別館へと向かいましょう。

(続く)