muto の紹介

ありをりある.com編集長。アウトドア系出版社を経て、ありをる企画制作所を設立。編集者・ライターとして活動中。気になる分野は歴史・伝統文化・仏教・いろんな国のいろんな考え方など。好きな食べ物はあんことなす。趣味は三線弾きと剣道。

イシブカツvol.10  あついぞ!熊谷&深谷①「関東石もの」の聖地へ


イシブカツ
記念すべき第10回目
またまたちょっと久しぶりになってしまいましたイシブカツ。前回の「東京真ん中編」から、ふと気が付いたら二か月以上経過。油断なりませんねえ。

そんなこんなで、今回はなんと記念すべき10回目だったりするのです。イシブカツ、感動の10回目は、やはり「熊谷」ですよ!!
実は、石部が愛してやまない「板碑」の最古は熊谷市にあるんです。そして第一回イシブカツも熊谷巡礼から始めたのでした。まさに「聖地」と言って過言でない場所!!

しかし、熊谷といえば数年前日本最高気温をたたき出し、「あついぞ!熊谷」キャンペーンで有名です。何もこの暑いさなかに行かなくてもいいような…

「いや、だからこそ行く。暑い熊谷をあえて味わいたい!」

熊谷のやばい暑さを知ってひよる私に、石田石造(女)センパイがこぶしを振り上げる如く言い放ちました。そこまで言われちゃあ私もこぶしを振り上げざるを得ません。熱中症にならないように、せめてかき氷「雪くま」を食べるぞ!といつも以上にリキをいれてリサーチを開始。そして今回は、熊谷の北部と深谷エリアの石ものを見て廻ろう、と予定を立てました。

深谷エリアの石ものもアツイ!
熊谷は、平家物語でも有名な「熊谷次郎直実」の出身地ですし、有力鎌倉武士の地だというのはよくわかっていました。なので、鎌倉時代の立派な板碑がたくさんあるのはよくわかっていたんですけど、そのお隣の深谷市は盲点でした。石部の根本教典(?)である川勝先生の『日本石造美術事典』に掲載されていなかったことも大きな理由です。

調べてみますと、確かに板碑はあまりないですが、立派な五輪塔が数基あります。私たちはまず、その五輪塔を見て廻ることにしました。

まず訪れたのは、「平忠度(たいらのただのり)の墓」。深谷駅から車で5分ほど。歩いても15分くらいの清心寺境内にあります。
清心寺立派なお寺ですよね!……いや、実は私たち、深谷駅周辺に来てちょっと驚きました。ほんとなめててごめんなさい、というかんじなんですけど、神社やお寺が多く、しかもとても立派なんです。
さらに少し車を走らせていると、美しい小川がそこかしこを流れていて、水が豊かなことがわかります。こういう環境は、間違いなく「豊かな土地」ってやつです。熊谷もそうですけど、こういう土地に鎌倉時代有力ご家人がいたというのはとてもわかりやすい。納得の地勢です。
清心寺そしてきよぎよしく立派な本堂。ドドーンとしていて「武士!」ってかんじ。かっこいいですね。こちらのお寺は、室町時代、深谷を領していた深谷上杉氏の有力家臣だった岡谷氏創建だそうです。

平忠度さんと岡部六弥太さんの因縁
お寺の門をくぐってすぐ左にお目当ての五輪塔はありました。でも、本堂でまずはご挨拶…というわけで、お参りを済ませてから改めて入り口付近に戻ります。
平忠度の墓標はいこちら!
立派な看板もあります。「平忠度公墓」。

さて、この「平忠度」さんですが、どんな人と申しますと、平清盛の異母弟です。弟と言っても26歳も年下。紀伊半島の熊野で生まれ育った人らしい。

武人としても見事な人だったらしいですが、歌人としても有名だったそうで、一ノ谷の戦いで、源氏方のご家人、岡部六弥太忠澄(おかべろくやたただすみ)に討ち取られた時も、敵味方なくとても惜しまれたんですって。

実は、この五輪塔も「墓」となってますけど、実際には骨が入ってるわけではなく「供養塔」なのです。平忠度を打ち取った張本人である岡部六弥太が、その死を悼み、供養のために自分の領地の一番景色のよい場所に、この五輪塔を建てたんだそうですよ。いやあ、なんかいい話ですよね。
平忠度五輪塔こちらがその五輪塔です。火輪(笠)や水輪(丸い真ん中の部分)の様子を見るとそれほど古くなさそうに見えます。古くても鎌倉後期くらいじゃないかな…。市の文化財資料をみますと「鎌倉~室町」とあります。定かでないんですね。

この塔を建てたという岡部六弥太は、1197年(鎌倉初期)に亡くなってますので、時代が合わなくなっちゃいますね。ううむ。しかし、この塔は鎌倉初期まではいかないですよねえ。ううむ。

とはいえ、この塔のすっきりとさわやかな印象はいいかんじです。伝承にある「平忠度」の文武両道な人物像と、それを悼む武人・岡部六弥太の印象ととてもよく合ってます。

さて、そしてその横には、板碑もありましたよ。
板碑こちらは、深谷市指定文化財になっていますが、詳細不明。資料によると「鎌倉」とだけありますね。上部分が欠けてしまってますが、残っている蓮台の様子なんかを見ますと、キリッ&スパっなかっこいいかんじ。鎌倉中後期、かな~。ううう、わからない。
#どなたか、ご存知の方、ぜひ教えてください!!

(続く)

file.27 糸屋製菓店の「翁羊羹」


 

いちにちいちあんこ

私の中で、豊島屋さんの「鳩サブレ」と同じぐらい思い出深いのがこの、糸屋さんの「翁羊羹」です。
豊島屋さんの鳩サブレは、神奈川の親せきがよく買ってきてくれましたし、糸屋さんの翁羊羹は父が、仕事で深谷市に行った帰りに買ってきてくれた、お馴染みのお菓子です。

鳩サブレは、社会人になって一人暮らしを始めても自分で買ってよく食べてましたし、関西の取引先へのお土産に買ったりして、その後も馴染み深いのですが、糸屋の翁羊羹は、深谷に行かないと買えない羊羹なので、ずっと「食べたいけど手に入らない」お菓子でした。

なので、月曜日に『石部』で深谷市に行くことになった時、真っ先に思い浮かべたのが「翁羊羹」!これはぜひとも手に入れなければ!!

そして念願の、「杉箱入り 翁羊羹」です!!20年ぶりの邂逅。
翁羊羹

杉の箱に入ってるもので、2100円。もう少し小さな紙箱入りもありますが、テンション上がってるので、大きいのを購入!
翁羊羹

そうそう、これですよ~!この絵、覚えてます。懐かしい!
翁羊羹中はこんなかんじ。
翁羊羹これを切って食べます。

翁羊羹はい、できあがり!!

翁羊羹は、こしあんの羊羹です。寒天が強めで、下のほうには砂糖の塊がゴツゴツしてるような、昔ながらの羊羹。

……いや。

ちょっと迷いますが、やっぱり正直に言います。

記憶の「翁羊羹」とは、かなり違うものでした。私が思い込みすぎていたのかな、と思いますけど、家族全員が「……あれ?」と言って黙ってしまうくらい。

「夏だから、よく火を入れて、甘味も強めてるのかもね」と母。

そうかもしれません。

もちろん、ちゃんと美味しいんですよ。とても丁寧に作られている羊羹だと思います。

でも、昔食べたとき、「ああ、丁寧に作ったこしあんってこんなに美味しいんだ!」と衝撃を受けたんですが、今回はそこまでの衝撃は味わえませんでした。

でも、まあ、美味しかったから、いっか!

そして、私は「せっかくだから」ともう一つの名物「翁最中」も買ってきました。こちらは明日ご紹介しますね。

糸屋製菓店
http://tabelog.com/saitama/A1105/A110503/11004209/

 

file.26 慈げんの「雪くま」


いちにちいちあんこ
「あついぜ!熊谷」のカキ氷!
夏は暑いし大変ですけど、やっぱり夏ならではの楽しいこともたくさんありますよね!夏休み、海水浴、スイカ、カキ氷…。

そう!カキ氷! 暑い中で食べるカキ氷、最高ですよね~!

そんなわけで本日ご紹介するいちあんこは、カキ氷でございます。しかも「熊谷市」のカキ氷「雪くま」です!!

皆さんもよくご存知と思いますが、埼玉県熊谷市は「日本一暑い」ということで、この季節は特によくニュースに登場します。
実は、私、熊谷市内にある高校に通っていました。自宅のあった東松山市からは車で40分ほどかかります。かなり遠いです。なので、気候も文化も結構違うんです。
熊谷に通うようになって驚いたのは、夏の暑さと冬の寒さです。内陸性の盆地気候なので、とにかく寒暖の差が激しい。京都みたいな感じですね。過酷です。

しかし、そんな気候も、受け取り方を変えたらこんなに楽しくなっちゃうんですね。

熊谷市では、日本一の気温を記録したことをうまく利用して、「日本一あついまち」としてプロモーションし、全国の皆さんにアピールしています。イベントをしたり、グッズを作ったり。今回ご紹介する「雪くま」もその流れででてきたもののようです。

「雪くま」は、「熊谷市内のおいしい水で作った氷を使い、氷の削り方に気を使ってふんわりとした食感で、オリジナルのシロップや食材を使っている」ことを条件としてるそうです。これらをクリアしたお店には「雪くま」のフラッグがあって、一目でわかります。

たくさんのお店があってよくわからないので、高校時代の友人N@熊谷在住にお勧めを教えてもらいました。

「慈げん」さんです。

熊谷駅から車で10分ほど。熊谷市民が愛してやまない百貨店〔八木橋〕の裏あたりにありました。

イシブカツ、オアシスに出会う
実は、この暑い時になぜあえて熊谷…というかんじですが^^;、『石部』のイシブカツ(注:石造物をみる会)で、熊谷と深谷を取材したのです。熊谷エリアは、今も鎌倉武士の遺跡を多く残している、重要エリアなのです。同行の石田石造(女)センパイが「どうせ行くならものすごく暑い熊谷に行きたい」と勇気のあることをおっしゃるので、あえてこの時期に出かけてきました。

7月頭より、風もありますしだいぶ過ごしやすかったとは思いますが、やっぱり暑いものは暑い。石もの(石造物)はたいがい外にありますから、二人とも暑さでよれよれになりました。

そこでたどりついた「慈げん」さん。

よれよれな私たちにとって、そこはまさにオアシスでした!

メニューは、魅力的なものがこれでもかと目白押し。どれにしようか悩みに悩んで決めたのがこちら!
煎茶+しろあん私は「煎茶+しろあん」!!そして、石造センパイは「和三盆+小豆あん」!!
和三盆+小豆あん甘い蜜を好みでかけながらいただきますよお!
おおお、本当に氷がふんわりしてます。さらっと溶けて軽い!なるほど、これが「雪くま」ですね!

私のオーダーした、煎茶+白あんは、濃く出した煎茶が爽やか。蜜をたっぷりかけても甘みほんのりです。
しろあん!氷の下に、丁寧に炊いた白いんげん豆がたっぷり入ってます。皮もやわらかくて、豆本来の良さをとてもよく感じます。美味しい!
あずきあん!石造センパイのほうの小豆あんもたっぷりです。
私もいただきましたが、この小豆あんも素晴らしい!こんなに美味しいあんこ、なかなかないわってくらい美味しいです。
和三盆の蜜もとっても上品。和三盆は本当に角がなくて、爽やかにおいしい砂糖ですけど、その良さを存分に味わえます。

いやあ、本当に美味しかったです。
暑い熊谷で美味しいかき氷を食べる。これ以上正しいことってないですよねえ。
絶対また行きます!

慈げん
http://www.city.kumagaya.lg.jp/kanko/meibutsu/yukikuma.html

file.25 五十鈴の「華車」


いちにちいちあんこ 私は現在埼玉県民ですが、サラリーマン時代は10年ほど神楽坂に住んでおりました。

一人暮らしを始めてから、初めて入居したマンションにずっと住み続けたんですよね。
狭くて小さな部屋でしたが、芸者新道沿いの静かな環境と、奇跡的な日当たりのよさ、大家さんは親切、そして何より神楽坂という町の住みやすさが心地よく、離れられなくなってしまったのでした。

そんな神楽坂生活の中で、よく、大切な人へのおみやげ品として、また自分へのご褒美として利用していたのが『五十鈴』さんです。

ちょっとだけお値段は上目。材料にこだわる昔ながらの和菓子屋さんです。でも、京都などとは違った、あくまでも江戸・東京らしい和菓子屋さんって感じ。 こちらは、看板商品が「甘露甘納豆」で、これまたおいしいのですが、私がよく買っていたのはこちら…
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「華車」です。なんだか風流なお名前でしょう??御所車をイメージして命名されてるとのことですが、こちらは最中なんですけども、
華車このように、三つに分かれておりまして、
華車栗あん、ゆずあん、小倉あんの三種類のあんこを一気に楽しむことができてしまうのです!
これは、あんこ好きにとってはたまらなないようですよ!
しかも、写真だと分かりにくいかもしれませんが、かなり大きいのです。このひとかけらで小さな最中一個分くらいのボリュームがあります。
華車こちらは、ゆずあん。ゆずの風味がちゃんとしてきます。あんこはよく練れている感じでねっとりとしてますね。栗あんもそう。小豆餡が一番あっさりしてるかも?

五十鈴さんのHPを拝見しますと、「甘さ控えめ」と書かれてますが、私的にはかなりしっかりとした甘さを感じます。この、味がしっかり強めなところも何となく江戸っぽいなあ、なんて私はいつも思うのですが…
#とはいえ、今は夏なので、ちょっと甘くしたりしてる可能性もあるかも…

これ一個で283円なので、一瞬、お高い?と思いますが、ほぼ3個分のインパクトがありますので、納得のお値段です。私はこれを、ちょびちょび三回に分けていただきました。

いやあ、満足です!

五十鈴
http://isuzu-wagashi.co.jp/

 

file.24 梅林堂の「汐水ようかん」


いちにちいちあんこ

7月初めに比べたらだいぶましな暑さですね。7月半ばくらいにこのくらいの暑さというのは例年通りなのかなと思いますけども…

さて、そんな暑いときには??

……そうですよねえ。水ようかんですよねえ!

そんなわけで、いただきものの水ようかんを朝冷蔵庫に入れて冷やしておきましたので、そろそろいただきましょうか。
汐水ようかん熊谷を中心に店舗展開している「梅林堂」の「汐水ようかん」です。梅林堂といえば、子どものころから馴染み深い和・洋菓子屋さん。もとは和菓子屋さんだったんだろうと思いますが、ケーキやクッキー、また和洋折衷なオリジナルお菓子など販売しているお店です。

そんな懐かしのお店ではありますが、この「汐水ようかん」は今回初めていただきますよお。
汐水ようかん少し白みがかったあんは、原材料名を見ると白インゲン豆も入ってるみたい。小豆100パーセントのこしあんよりもちょっと軽い感じ。そこにちょっと塩味が効いてまして、甘味が際立って感じられます。

口どけはゼリーのようで軽いんですが、後味はかなりずっしり来ます。ちょっと濃い目に入れた熱い緑茶が合いますね。

そして、改めて、健康になってきてよかった!と喜びをかみしめました。あんこものはカンペキ復活宣言、と言っていいでしょう。

いや~、今日も美味しゅうございました!

梅林堂
http://www.bairindo.co.jp/

セマルハコガメに会いたい



突然ですが、亀も好き

爬虫類の中で断然好きなのは、「亀」です。
トカゲも好きですが、…いや、でもやっぱ断然「亀」ですね。うん。

突然な思い付きのようですが、ついこないだ、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター研究員の方々の発表で「亀の甲羅はあばら骨(肋骨)から背面に広がってできることがわかった」といったニュースを見て、そんなことをふと思ったわけなんですが。

亀と言っても本当にさまざまな種類がいますよね。
たとえば世界最大の亀は「オサガメ」です。甲羅の長さが何と約2m、900㎏ほどにもなるというんですから驚きます。すごすぎますよね!!!かっこいい!!!!

日本では、以前は名古屋湊水族館で飼育されていたらしいのですが、現在はいない様子。ネットでいろいろ検索してみても、亀マニアの皆さんが、ぜひ見てみたい、とおっしゃられているので、やはり自然環境下でないと見ることが難しいんですね。

さて、一方、日本では、どんな亀がいるのかというと、よく見られる外来種も含めて「6科11属13種(2亜種)」が確認されているようです。

オサガメも上陸はしてないですけど近海には来たりしてるみたいなので、それもオサガメ科としてカウント。
ウミガメ科のアオウミガメ、アカウミガメ、タイマイ、スッポン科の二ホンすっぽん、イシガメ科のクサガメ、二ホンイシガメ、ミナミイシガメ、セマルハコガメ(ヤエヤマセマルハコガメ)、などがいます。

セマルハコガメに会いたい
さて、そんなカメさんたちの中で天然記念物に指定されている「セマルハコガメ」が今回の主役です。「セマルハコガメ」は、日本だと、石垣島・西表島に生息している「箱亀」です。

なんというか、亀というと「頭と手足をひっこめる」っていう印象ですよね? この箱亀さんたちは、さらに一歩攻めてる(いや守ってるというか;)んですよ。
胸とおなかの間に蝶番(ちょうつがい)みたいなのがあって、ひっこめるだけじゃなく、腹甲でビッタンと閉めちゃうんです。蓋したみたいに。結果、箱みたいにきっちりした感じになるので「箱亀」とよばれてるんですね。

以前から、ぜひ現地で会いたいなあ、と思っていたんですが、残念ながら会えずじまい。石垣島、そこそこ回数行ってるのになあ。
石垣島によくいく友人や在住の友人が言うには、「その辺でよくみる」そうですけど、タイミング外してなかなか会えなかったのです。
セマルハコガメの焼き物

(余りに会えなくて悔しくなって、衝動買いしたセマルハコガメの置物。「内臓までちゃんと作ってるさ」と言われてついつい3000円で購入した。)

ところが(もう二年前になっちゃいますが;)、久しぶりに上陸した西表島で、ついに出会うことができました!!
セマルハコガメおおおお!!いた~!!!
本当に草むらに普通にいました!

見てください、この甲羅の美しいこと。写真の色でちょっとあれですけど、ほとんどオレンジのような輝きのある茶色と、深いこげ茶色のコントラスト。

あんまり、うれしくて私が興奮しすぎたせいでしょうか。
居心地が悪くなったみたいで、もっと深い草むらへと逃げて行ってしまいました。ううむ。草むらであんまり写真がうまく撮れなかった。何しろ突然のことで携帯しか持ってなかったし。ううむ無念。
セマルハコガメの焼き物おそらくこんな感じでした!たぶん!

実はそのあと、石垣島の宿に戻ってから、庭にいるのを発見しました。そして、散歩してても発見しました。わあ、「その辺にいる」って本当だ。いったい私はこれまで何を見ていたんだろう…。節穴…。

それはともかく、こんなに美しい亀がいる場所って最高ですね!
また石垣島に行きたいなあ。次回行ったらかなり発見できる自信ありますよ…。

 

 

 

『本所おけら長屋』/畠山健二著


入院前に、校正読みをお手伝いさせていただいた一冊をご紹介します。入院してしまったために校了作業のお手伝いまでできず、N編集長にはとてもご迷惑をおかけしてしまったので、個人的には申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、なんといっても素晴らしい作品ですので、こちらでもご紹介させていただけたらと思います。

*        *        *

私は、ちょっと元気がないときに「時代小説」を好んで手に取ります。

最大限弱っているときには、山本周五郎さん。
人間関係に嫌なことがあったりして元気が出ないときは、池波正太郎さん。
センチメンタルな気持ちになっているときには藤沢周平さん。
自分に元気(喝)がほしいときには隆慶一郎さん。

時代小説を書かれる小説家の先生というのは、どうしてこんなに「人間」に詳しいのでしょうか。人生の厚みみたいなものを教えてくださいます。

さて、今回ご紹介する『本所おけら長屋』も、そんな時代小説の一つです。

著者の畠山健二さんは、もともと演芸作家としてご活躍されている方だそうなので、台詞回し、掛け合いが絶妙に楽しい。下町・本所の江戸っ子たちの人情溢れるお話の数々は、「人間賛歌」に満ちています。

細かく好きなセリフなど書いてしまうとネタバレになってしまうので、控えますが、たくさん好きな言葉があります。そして何と言っても、かけあいの呼吸が絶妙。空気感と言いましょうか。
うううん。たまりません!

そうですね、これは…。「いやなことがあってしょぼんとしている時」に読む本に決定!
この本を読めば、きっと、私も頑張ろう、と顔をあげてにっこり笑えるんじゃないかと思います。

ぜひ、お手に取ってみてください!

埼玉で発見された「三角縁神獣鏡」!!


リハビリもかねて、近場で公開中の「三角縁神獣鏡」を観に行ってきました。
三角縁陳氏作四神二獣鏡『三角縁神獣鏡』というのは、古墳時代前期(3~4世紀ごろ)の古墳から出土する鏡で、全国で約560面発見されています。神事に使われた鏡で、当時の大和王権から、各地の支配者へ配られたもの。この鏡が出土したということは、当時の大和朝廷とその地域の支配者の間に結びつきがあったことを示しています。

近畿地方、九州地方に圧倒的に多く出してますが、関東でも茨城県1面、千葉県2面、群馬13面、神奈川2面が発見されていますが、この発見は埼玉県下では初でした!!

こちらの鏡には、4柱の神と竜と虎が描かれていたのと、銘文に「陳氏が作った」と会ったことから『三角縁陳氏作四神二獣鏡(さんかくぶちちんしさくししんにじゅうきょう)』と名付けられたとのこと。
裏面いや~、それにしても立派なものでした!
自分の生まれ故郷である東松山市から、まさかこんなものが出てくるとは…。ちょっと感動。

実際、東松山市は派手な観光資源があるわけではないですが、実は古墳は500基近くありますし、鎌倉時代の遺跡などもかなり多いんですよね。渋い歴史マニアには結構お勧めなんですけども…。

ともかく。この鏡が出たことで、この地域に、大和王権とつながりのあるなかなかの力を持つ支配者がいたことは、改めて実証されたような感じです。

ちょっと、渋すぎるので、なかなかぜひにと言い切れませんが、関東の考古学の興味のある方はぜひ!
東松山市埋蔵文化財センターにて8月14日まで公開してます♪
#でもそ日祝日は休みって…^^;。普通の人いけないですよねえ。ううむ。

*こちらの毎日新聞の記事もご参考に!
http://mainichi.jp/feature/news/20130522ddlk11040231000c.html

戦国期、日本の最大輸出品は「傭兵」「奴隷」だった!!?



英雄たちの戦場」ではなく「雑兵たちの戦場」から見る戦国時代の実像!
入院中というのは、体力と同様に思考能力が落ちてるので、ひたすらただその世界を楽しめるような「小説」が向いています。私はひたすら池波正太郎さんの『剣客商売』『鬼平犯科帳』を貪り読んでおりました。

名人・池波さんの小説は、まったく読者に負担を与えません。読者はただその世界に遊べばいいのです。何の心配も思考も必要なく…。

二週間の入院を終え退院したものの、正直言って体はまだもとどおり、というかんじではないので、無理は禁物。原稿を書いたり、企画書を書いたりはちょっと無理だろう、と思って、ここ数日は「本読み」に徹しようと決めました。
入院時よりはだいぶ頭もクリアです。ちょっと「お勉強」な本、テーマは「戦国期」。普段ですとなかなかじっくり読めないような本。こういう時にこそがつっといっとくといいですよね!

そんなわけで、かねてから気になってはいたものの、ちょっと手が出ていなかった名著『雑兵たちの戦場~中世の傭兵と奴隷狩り~』(藤木久志著)から。
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うお~~!なんでこの名著をもっと早く読んでおかなかったんだろう!!私のバカバカバカ!と叫びたくなるような素晴らしい一冊でした。

すごくざっくり言ってしまうと、戦国時代を、「武将」という視点からでなく、実際には絶対多数であった「雑兵」から読み解く、という本です。
#雑兵というのは、武士(士分)ではなく、その武士に奉公している若党・足軽と呼ばれる「侍」、またその下で中間・小者・あらしこと呼ばれる「下人」、夫(ぶ)・夫丸(ぶまる)と呼ばれる百姓、また得体のしれない商人・山賊・海賊のこと、と著者は定義しています。

これがまあ、目からうろこなわけですよ!

戦国時代というと、下剋上の時代というイメージで、戦に明け暮れる武将たちの時代、という印象ですが、一方で、天災が相次ぎ、凶作と飢饉が恒常状態になっていた時代でもあるんですね。というか、飢餓状態が普通という時代だったからこそ、社会システムが崩壊し下剋上が可能になった、というべきなんでしょう。

つまり、「天下取り」「領土拡大」のための戦、という側面はもちろんありますけど、特に雑兵たちにとって「生きるため」「食う」ための戦だった、と言える、というのです。

まず、著者は、当時戦場ではヒトやモノの略奪が盛んであったことを明らかにします。そしてそれは戦争の目的であり、また正当な行為として見られていたことを、豊富な事例をもとに示唆します。

なるほど、「人や物の掠奪」があったのは、なんとなく想像範囲内でしたが、公的に認められている「正当な行為」だとは知りませんでした。
特に、「人の掠奪」。つまり「奴隷狩り」です。このことも正当な行為として認められていました。こうして奴隷となった人たちはどうなったかというと、身代金を払ってくれて、元に戻れる人もいれば、そのまま奴隷として生涯を終える人も多くいました。

また、日本人奴隷は盛んに東南アジアなどに輸出されていたという衝撃的事実も描かれます。その奴隷の中でも武術に優れた男たちは、傭兵としてアジア諸国、ヨーロッパ列強の間で重宝されていたそうなんです。

えええええええ!
本当に知らなかった!!!

いや、確か昔日本史の授業で、秀吉がキリスト教を禁教しようと思ったきっかけが、教会が日本人を奴隷として海外に連れ出していることを知って、まずいと思ったから…みたいな話を聞いたことがありましたけど、それどころの話じゃないわけですよ。

第一、秀吉という人は、明らかにこの「雑兵」階層出身の人です。身の回りにも人攫い(人取り)や掠奪の被害に遭ったことはあったでしょうし、自分でもやったことがあったでしょう。

うう~ん。目からうろこだなあ。

なんていって、実は、上記のようなことは、本書の内容の発端でしかありません。

しかし、これだけ違う土台から、戦国時代を見るとがらりと見えてくる風景が変わってしまいます。新鮮です。

一度読んだだけではちょっと頭が追い付かない感じなので、また何度か読まなくちゃ。

 

 

お久しぶりなのは…


 

みなさま、大変お久しぶりです。
実は、本サイト編集長ことわたくし・むとう、きっかり二週間入院しておりました!
19日に腹痛で救急に駆け込みそのまま入院。どうにか昨日退院して現在自宅療養中です。

何しろ二週間も入院したのは初めての経験です。後半はだいぶ回復して検査待ちも含めて入院続行という感じだったのですが、それでもほとんど動いてませんから、筋肉が落ちてます。ちょっと動いただけでも、かなり疲れちゃいますね。
今週中は、徐々に体調をみながら仕事復帰したいと思っております。

本サイトの更新もちょいちょい再開したいと思いますので、みなさま、どうぞよろしくお願い申し上げます。

むとう 拝