muto の紹介

ありをりある.com編集長。アウトドア系出版社を経て、ありをる企画制作所を設立。編集者・ライターとして活動中。気になる分野は歴史・伝統文化・仏教・いろんな国のいろんな考え方など。好きな食べ物はあんことなす。趣味は三線弾きと剣道。

file.43 d47食堂の「おはぎ」


いちにちいちあんこ台風がどうにかそれてくれて、昨日は晴れ間も見えましたね。

私は、昨日は100パーセント休日!という一日。午前中には新宿区が主催する「国際都市新宿 踊りの祭典2013」を見て、午後からは太田美術館で『笑いの浮世絵』展を堪能しました。

同行者は、いつものメンバー。

元同僚のS氏、ドキュメンタリー系TVディレクターのKさん、フリー編集者の先輩・Yさん。面白がりチーム集結!です。

『笑いの浮世絵』はまたあらためてご紹介したいと思いますが、今日はとにかくいちあんこ。

いつもおしゃれな情報に詳しいS氏とKさんが、夕ご飯にとおすすめカフェに連れて行ってくれました!渋谷ヒカリエにある「d47 食堂」さんです!

こちらは、「d design travel」という、新しいスタイルの旅行雑誌の編集部が提供する「食堂」。ヒカリエの8階にありますよ。

d design travelさんというのは

【「ロングライフデザインをテーマに活動する私たち D&DEPARTMENT PROJECT が、47都道府県それぞれにある、その土地に長く続く「個性」「らしさ」を、デザイン的観点から選びだして、観光ガイドとしてまとめたものが「d design travel」です。】(HPから抜粋)

という、なんだか素敵なムーブメントおこしつつあるデザイン集団さんのようです。

編集部セレクトの食堂のほかに、d47 museumというギャラリーも併設されてらっしゃるとのこと。
d47 museum今季のテーマは「富山県」なんだそうです。富山の名物が様々並んでいて、その一部は買うこともできます。

このギャラリーと連動して、「食堂」のほうでも、限定の定食が「富山県」となってました。こんなかんじで食堂は、各都道府県の名物を食べさせてくれる、というわけなのです。
大分・りゅうきゅう定食定食は、各都道府県のものが毎月登場。10種類くらいの種類の中から、私が選んだのは「大分県」。大分の名物「りゅうきゅう」をメインとしてお定食です。

「ぶりの刺身をタレに漬け込み薬味をのせた、郷土料理の「りゅうきゅう」。茄子とゴーヤを味噌で炒めた「おらんだ」と、クロメ豆腐の小鉢。」(HPより抜粋)

りゅうきゅうは、大分に行ったときにもいただいてとても美味しかったのですが、こちらのりゅうきゅうも負けず劣らず。ごはんも美味しいお米で、夢中になっていただいちゃいました。

さて、そして、ここで終わるわけにはいきません。

デザートです。そうです。「あんこ」でございます!

デザートメニューを見ると、「おはぎ」がありますよ。

でも、おなかがいっぱいなので、お萩はちょっと重い気がすると思って、思わず和栗のブラマンジュを頼んでしまいました(栗も大好き)。Yさんが頼んだおはぎを見ると…

おはぎおおおお!これがおはぎ??
桝の中にあんこがぎっしりですよ!?

これを見て、はた、と我に返りました。ブラマンジュとか頼んでる場合じゃないよ、私のあんこ者としての誇りはどこに行ってしまったの?

「…よかったら変えてあげようか?」

Yさんが、そんな私の気持ちを察してすっと助け船を出してくださいました。

「そうだよ、あんこ好きとか言ってブラマンジェたのんでるのは、むとうさんらしくないよ」

とSさん。そ、そ、そうだよねえ。私のバカバカバカ!!

そんなこんなで、やさしいYさんのお心遣いにより、無事、あんこ道の道から外れなくて済みました。…というわけで実食!
Yさん、ありがとうございます~!
おはぎぎっしりみっちり桝の中にあんこともち米が入っています。

あんこは…わああ、おいしい!この小豆すごい!すごくボトムが強いというか、かなりコクの強い味。でもすっきりとしてるんです。もたれない。
メニューをもう一度見ると、なるほど小豆もこだわりの逸品。北海道旭川産の「しゅまり小豆」なんだそうです。福居製餡所さんのあんこだそうですよ。うまひ・・・

そしてこのもち米のほうにも少し塩見があって、すごくいいコンビネーションです!
おはぎ掘り進めていくと、したのほうにもあんこが入ってますよ!嬉しいなあ!
一見重たく見えるかもしれませんが、すごくすっきりとしてるので、デザートとして全然ありです!

おなかは一杯だったはずなのに、ぺろりと平らげてしまいました。
渋谷に行ったら、絶対また食べにこよーっと。

d47 shokudo
http://www.hikarie8.com/d47shokudo/menu/2013/10/10.shtml

file.42 阿闍梨餅本舗・満月の「阿闍梨餅」


いつも超多忙なN編集長。本当にすごい八面六臂ぶりです。今年は担当されていた本が賞をとられたり、映画化されたり、とさらに多忙を極めておられます。まさに「嬉しい悲鳴」ってやつですよね。

わたしも、そんなN編集長のご多忙の一部を一緒にお仕事させてもらってます。少しでも私がお手伝いして、N編集長のお仕事が楽になったらいいなあ、と願いながら…。

さて、昨晩は夕方お邪魔して、ミーティングルームをお借りして作業。

N編集長が「京都のお土産」と言ってくださったのがこの「阿闍梨餅」です。
阿闍梨餅阿闍梨餅!!!

美味しいですよねえ。京都にいったら必ず買います。ちょっとあっためても美味しいんですよねえ、という私に、

N編集長「阿闍梨餅作ってる和菓子屋さんって、満月って名前だって知ってた?」

あ!そうなんですか~?
…ていうか、よく考えましたら、阿闍梨餅のお店、としか認知してませんでしたが、そりゃ、お店の名前がありますよね。

N編集長「でも、この阿闍梨餅がとてもよく売れて有名になったから、阿闍梨餅本舗って名乗ってもいるらしいよ」

なるほど。そういうことですか。さっそくググってみましたら、なるほど「阿闍梨餅本舗 京菓子 満月」というお名前になっております。
阿闍梨餅さあ、いただきますよお!

嬉しそうに食べようとする私の横で、N編集長がうんうん言いながら、先生からの直しを読み下そうとしておられます。かなりの赤字に相当体力を奪われているご様子……。

こんなときこそ、N編集長もあんこを召し上がればいいように思うのですが、編集長は完璧な酒党で、甘いものはいけない口なのです。
阿闍梨餅阿闍梨餅のあんこ、美味しいですよね!
本当に京都らしい上品なあんこです。これだけメジャーになって一般的なお土産品となっても、このあんこの品の良さは変わりません。すっきりとした後味です。

そして、またこの皮が美味しい!餅粉で作ったあんは、しっとりと、少しだけ伸びる感じがしますが、卵の入った焼き皮である、というそこのところは揺らぎません。美味しいなあ。

お蔭さまで、ちょっと元気になったので、うんうんうなって独り言を繰り返すN編集長のお仕事を少しお手伝いしました。

もう一個阿闍梨餅をいただいていたら、さらにもうちょっとお手伝いしたかもしれない、というのは内緒です……^^;。

N編集長、ご馳走様でした!

阿闍梨餅本舗 満月
http://www.ajyarimochi.com/

 

 

 

新潟で京都の秘仏に出会う②『京都清水寺展』@新潟万代島美術館へ!


 

一周年記念!
「ピア万代」から「朱鷺メッセ」へ
第二回目の新潟ブツタビレポートですが、前回では「廻転寿司 佐渡 弁慶」でイカを二貫食べたところで力尽きました。アオリイカの美味しさが、10年以上前の懐かしい思い出を喚起してくれちゃったりしたもんで、なかなか前に進めません。

それにイカは一番最初に食べたんですから、先は長いですよ。
しかし一つ一つレポートしていたら、なかなか仏像にたどり着けません。ここでは、「佐渡産」と銘打たれたネタの中から、私が頂いたもの三種を一気にご紹介!
佐渡産寿司ネタいちばん左は多分イサキ、中央は今回最も高価だったノドグロ、左はブリです。

ノドグロのお刺身は初めていただきましたが、ま~美味しいこと!!白身ですが、脂がのっていてまたその脂が上品でたまらんかんじです。
そして、もう一つの驚きは天然ブリでした。私、実は脂の多い魚は苦手で、ブリなんかはしゃぶしゃぶでいただきたい派です。でもこのブリは違った!臭みが全くなく、脂ものってますけど重くない!!美味しかったので、ついついもう一皿…と手が伸びてしまいました。これで126円だっけ??ううむ、お得だなあ。

実は私、食いしん坊の割に量はあまり食べられず。小腹べりでして回数分けて食べる派なのです。そのため、5皿+お味噌汁で打ち止め。おなかいっぱいです。結局4種類しか食べられなかったというていたらく…^^;;

すっかり満足して、いよいよ万代島美術館へと向かいます。
朱鷺メッセこののっぽな建物が、万代島美術館の入っている「朱鷺メッセ」。弁慶の入っている「ピア万代」という建物から歩いて10分弱。こちらの5階に美術館が入っています。
展望台から朱鷺メッセに入って、美術館に行く前にちょっと寄り道。最上階にある展望台に行ってみました。手前に見えるちょっと黄色い青の流れが信濃川、その先にあるのが日本海です。この万代島というのは信濃川の河口にある中洲なんですね、たぶん。

さて、一階に戻りますと…
案内案内板?発見。
おおお、いよいよ、清水寺の秘仏に会える瞬間が!!

それにしても、新潟の雄大なこの空間の中で、清水寺の秘仏に拝観することになろうとは。清水寺は観音さんですから、この場所にいるのは間違ってない気はしますけどね。

というのも、観音さんというのは、とても人気の高い菩薩さんで、さまざまなところで祀られてるんですが、その多くは、「水」に関係のあるところに祀られているのです。

それも「水源」にかかわるところが多いと思います。清水寺も、おそらくそうでしょう。

図録にある縁起によりますと、

「大和国武市郡に住んでいた高僧・延鎮(えんちん)という人が、ある日の霊夢に導かれ、淀川に流れる一筋の金色の水をたどってさかのぼっていたところ、東山の音羽の滝にたどり着き、そこで彼を数百年にわたり待っていたという仙人に会って託され、その土地に庵を営み…」(要約)

ということなんだそうですが、この文章を見ても、「金色の水をたどって」、とありますから、庵を営んだその音羽の滝というのは、水源、と考えられますね。

この音羽の滝、というのは現在もありまして、有名な「清水の舞台」と呼ばれる、本堂の正面下あたりにあります。

実はこの「音羽の滝」こそ、清水寺にとってものすごく大切なものなんじゃないかな、と思うわけです。このお寺がここにできる理由になった場所なわけですから。建物が燃えてしまっても、この滝がここにある限り、この水が枯れない限り、清水寺は再建可能なんじゃないかな、なんて思いますね。

(続く)

 

file.41 夢・菓心工房かめまんの「生きんつば」と「芋ようかん」


 

 

いちにちいちあんこ

いつもお世話になっている小説家・H山先生が、慰労にお寿司屋さんに連れて行ってくださいました。

お寿司をごちそういただく、というだけでも過分ですのに、待ち合わせ場所に現れた先生は、すっとおしゃれな包みを差し出し、

「いくちゃんは、どうも甘いものが好きみたいだから…」

…と!!

なんというお心づかいでしょう!
本サイトでもあんこが好きだということを熱く叫び続けてまいりましたが、先生もそれをみてくださっていたようです。

あああ、「糖尿になるからやめろ」という声にめげずに続けてきた甲斐がありましたw。

そんなわけで、自宅に帰ってきてからウキウキしながらあけてみましたら……
生きんつばと芋ようかんおおおお、なんだかいっぱい入ってる予感!
生きんつばと芋ようかん出た~~~!
詰まってる~~~~!

説明書きを拝見すると、どうもこれは「生きんつば」(右)と「芋ようかん」のようですよ。
生きんつばというのは、焼いてない金鍔のことだそうです。ほうほう。
生きんつばと芋ようかん早速パッケージから外して、並べてみました。

綺麗ですね~~!ツヤツヤです!
間違いなく美味しい!って色してますよ!
生きんつばさて、まずは「生きんつば」のほうから。

お店のHPを見てみると、100%十勝産小豆を使っているんだそう。

なるほどなるほど。これは小豆の美味しさをダイレクトに味わうにはもってこいのスタイルかもしれません。あんこと鹿の子の間、というか、あんこと小豆寄せの間、というか。もっと言えば、水ようかんとあんこの間、ってかんじ。非常に緩やかに寄せてあるんですよ。でも、食べるとほろっとあんこになる感じ。

そして、とにかく甘さ控えめです。小豆の味がすごくよくわかります。美味しいです!

芋ようかん「芋ようかん」、も私の中では広義に「あんこ」の中に入れちゃいますよ!
芋あん、なんてのもありますからね。

こちらの芋ようかんは、とにかくあっさりしています。甘さはちゃんとありますが、とにかくサラり。舟和さんのとはまたちょっと違うなあ。とにかく素材そのままにという感じ。「生きんつば」と同じ方向性なのです。なるほど。。。

ところで、このお店、よく見たら福島県須賀川市にあるみたいです。

私たちが待ち合わせたのは東京の上野だったのですが、先生はいったいどちらでこの和菓子を買われたんだろう!?と遅ればせながら驚いてしまったりしております。

家族にも分けてあげて、二日間で完食!
小豆と芋を堪能しました。

H先生、本当にありがとうございました!

菓心工房かめまん
http://kameman.net/kintuba.html

 

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)、連載第二回掲載!!


中村彰彦先生の「疾風に折れぬ花あり」、第二回目掲載の文蔵が発売されました!
文蔵は毎月17日発売の文庫型雑誌です(雑誌型文庫というべき?)。
20131019第二回は、いよいよ、武田家がのっぴきならない状況になっていく様子が描かれています。武田信玄は戦国の雄であり、また、代々関東の名家であっても、滅ぶ時にはこんな風になってしまうのか…というそんな風に思ってしまう展開…。

武田信玄の末娘・松姫が主人公の本作品。滅びに向かって転げ落ちていくようなお話の中で、今回も匂い立つような美しさです。
なんといいましょう、浮世離れしているというか、過酷な運命を背負わされる人の、ただ人ではない気配……とでも申しましょうか。滅びの中の光と申しましょうか、いや、泥の中の蓮花というほうがあっているかも…。

彼女の同母兄の五郎盛信もまた、美しい。信玄の死後統領になった異母兄・勝頼の愚行が滅びを引き寄せたと理解しながら、しかし、武田家の男として、武将として、信念を貫くことを決めてしまいます。そして妹には「生き延びてほしい」と後事を託すのです。

歴史に「もし」はあり得ないのはわかっていますが、「もし」、五郎盛信が武田信玄のあと、武田家を継いでいたら、歴史は大きく変わったことでしょう。そんなことを強く強く思ってしまう今回のお話。
ぜひ、皆様もお手に取ってみてください!

(むとう)

新潟で京都の秘仏に出会う①まずは新潟のお寿司に出会おう


一周年記念! 京都清水寺、243年ぶりの秘仏開帳が新潟で開催!?
少し時間はさかのぼります。

とある猛暑の日。ネットでちらちらニュースを見ていたところ、とんでもないニュースが飛び込んできました。

「『京都 清水寺展』新潟万代島美術館開催。奥の院ご本尊も登場します。」(要約)

な、な、な、
なんですとーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!

清水寺奥ノ院のご本尊が出開帳(しゅつかいちょう)!!?

まじでですか!??

私は仕事部屋でひとり叫びました。あんまり驚いたので、FBでも書いてしまいました。この驚きをだれかと共有したい、そんな気持ちでいっぱい…。

なぜ私がこんなに驚いているのかというと、清水寺、というのは、皆さんもよくご存じのあの三年坂とかのある「清水寺」なのですが、清水寺には有名な秘仏が二躰いらっしゃいます。

そのうちの一躰、奥の院のご本尊が、こともあろうに「出開帳」なんて!!本当に信じられない事態です。
*出開帳というのは、お寺さん内でご開帳するのではなく、どこが他の土地に出張してご開帳する、ということです。

まずこの奥の院のご本尊は、平成15年に「243年」!ぶりにご開帳され、仏像ファンの間では、一大ニュースになりました。

243年ぶりですよ?!!

前にあけたときは、1762年ごろってことですよね。徳川将軍10代目家治の時ってことですよ。えらいこと昔です。

実は、清水寺は、火事の多いお寺さんなのです。創建されたのは778年(奈良時代)のことですが、そのあと何度も何度も火事で焼けては、再建されているお寺さんです。

江戸時代にも全焼してますが、三代将軍家光公によって再建され、現在に至っています。243年前になぜご開帳されたのかはわかりませんが、本堂のご本尊のほうは、運営資金を集める勧進のために、江戸時代には何度も江戸に出開帳していることを見ると、そういった何か経済的理由があったのかもしれません。

今回の出開帳も、家光公による「寛永の再建」から380年を数えたことを記念して、とのことなのですが、それにしても、どうして新潟で??!また、このあと沖縄県立博物館を巡回します。新潟と、沖縄……。

正直言って、相当に不思議なことです。何か深いご縁がある、ってことなんでしょうか。

すみません、前置きが長くなってしまいましたが、これはもう、前回2003年の時には、仕事で京都に行くのを断念した私としましては、神の恵み、いや観音さんの恵みってやつじゃないですか。どうにかこうにか見に行かないわけにはいかん!…とスケジュール表とにらめっこです。

ちょうど、ありをりあるが一周年を迎えるので、その記念にちょっと出張したいと思ってましたので、この新潟へ清水寺の観音さんに会いに行くというのを、ぶっこむことにしました。

調べてみますと、高速バスで行くとすごくお安い!ホテルも平日だと半額で泊まれる!

…こうして、一周年記念取材旅行は新潟に決定したのでした。

国内では15年ぶりの高速バスでのブツタビ
10月1日。いよいよ待ちに待った新潟ブツタビに出発です!
朝8時池袋発の長岡バスに乗って出発!

実は高速バス、国内ですと学生以来の体験です。しかも新潟は初めて。バスってなんかワクワクしますね。電車もいいけど、バスもまたいい。不思議な旅情があって!!

約5時間の旅です。

高速バス

(写真:私が載った高速バス。途中PAにて)

時間があまりになかったので、新潟についてあまりよくわかっていない私は、バス内で一生懸命ガイドブックとにらめっこ。

一泊はするものの、時間はそんなにたくさんはありません。本当は新潟市内だけではなくて、村上市や長岡市やたくさん行ってみたいところはありましたが、現実を考えて、新潟市内だけにしぼりました。

新潟市内は、どちらかというと明治以降ハイカラな港町だった場所なので、古い仏像は見当たりません。そういう意味では、今回のブツタビはとにかくお目当ての『京都清水寺展』にしぼったほうがよさそうです。

後は市内を巡回しているバスに乗って、明治から昭和の名家のお庭など見ることにしよう、と決めました。こちらはどちらかというと「石部」の範疇……。
信濃川(写真:途中のPAで見た信濃川。だんだん気持ちが上がってきましたよ!)

それにしても、バスでの移動はとても楽しかった。景色もよく見えますし、また、バスの運転手さんもすごく親切なんですよね。

車内のパーソナルスペースもかなり広いですし。時間は新幹線よりかかっちゃいますけど、お値段3分の一くらいですから、この快適さも含め、本当にいいですね。

さて、そんなこんなで、予定より30分早く、新潟駅に着きました。時間はだいたい13時。

13時といえば、そうです。お昼ご飯食べないと!!

お昼ご飯は、お寿司お寿司お寿司!!!
新潟に行くと決めてから、到着して最初のごはんは「生もの」と決めてました。美味しい新潟の海産物をまずいただきたい!と。

ネットなどで情報収集してみると、意外とネガティブな情報も多く見受けられました。総合しますと、新潟市内(駅に近いエリア)ですと、お寿司は東京とそんなに変わらない…て感じの評価なんです。大きな都市ですから、しょうがないですよね。だけど、私はどうしても地の魚が食べたいのです!

そんなことで、またネットでいろいろ見ていると、私がこれから行こうとしている「万代島美術館」の近くに、評判の回転すし屋さん発見。佐渡の魚を食べさせてくれるというではありませんか!?

よし。ここだ!!

駅から歩いて20分ほどで到着しました。もうおなかはペコペコです。
弁慶

やっと着いた~!「回転寿司 弁慶」です!

幸いなことに、13時半ぐらいで時間も外れていたからでしょうか、待たずにすぐ座れました。普段は大人気なので、けっこう並ぶらしいですよ。

メニューを見て「佐渡産」と書いてあるものを、全部頼もう、と意気込むワタクシ。

佐渡といえば、イカですよ。イカイカ。すみませーんイカくださーい。
アオリイカ

見てください、このツヤを! アオリイカ最高~♪

佐渡。いいなあ、佐渡…。

実は、私にとって佐渡はとても懐かしい、大好きな場所なのです。

10年以上前の話ですが、仕事が大変すぎて壊れかけていた私と友人KとMは、このどうしようもない状況の打開策として、「これ以上ないってくらい落ちたら、もう上がるしかないってそう思うのはどうか」と思いいたりました。

その時、友人Mが、力強くつぶやきました。

「…流人だ。流人の気分を味わうべきだ」

日本史専攻の友人Mは、絶えず渋い打開策を提案してくれる力強き人物です。その時も、「流人」という力強いテーマを投げ込んでくれました。

なるほど、流人か…

それは、私とKにとって、思いもよらぬ投げかけでしたが、心境的にはばっちりはまりました。最初は隠岐の島が候補に挙がりましたが、さすがにちょっと遠すぎます。次に八丈島が上がりますが、南国な感じがして、なんかちょっと今回は違います。

そこで、残ったのが「佐渡」だったのです。

「行くぞ!佐渡に!!」
(←この辺りで、実はもうかなり復活していることに気付かない三人)

こうして訪れた佐渡は、「流人気分」なんてとんでもない。本当に素晴らしい場所でした。

宿も「一番人気がなさそうで、建物も崩れそうな、いけてなさそうな民宿」を、あえてセレクト。ところが、確かにその宿は建物はボロボロだったのですが、おかみさんはいい人だし、ご飯は美味しいし、海はきれいだしで「いけてない」どころか「いうことなし」だったんです。

そのお宿で食べた、イカの美味しかったこと!

夕ご飯はイカ尽くしって感じでしたけど、生で食べても焼いても煮ても、ま~間違いない旨さ。

どん底気分を味わうつもりだった三人でしたが、すっかり楽しくなってしまって、見事に復活を遂げたのでした。

………

……と(回想シーンが長すぎですけど)二貫のアオリイカをいただいた瞬間、この時の記憶が走馬灯のように駆け抜けました。

佐渡、今回はいけないけど、また行きたいな…。

(続く)

 

早いもので一周年!本当にありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします~!のごあいさつ。


isyuunenkinenaisatsu
記念すべき10月は、特集「唐突ですが一周年を記念して新潟に行ってきましたスペシャル」としてブツタビにて「京都清水寺展」についてアツく語ってまいります。ぜひ、ご注目くださいますよう、よろしくお願いします!(むとう)

東京新聞ニュース『石仏5体の首折られる』!!!


信じられないニュースです!

埼玉県吉見町岩室観音にある石仏5体の首を何者かが折ったというのです。

『観音堂の石仏八十八体のうち、高さ約六十センチの五体が倒されて首の部分で折られていた。石仏の頭部は観音堂の周囲に投げ捨てられるなどしていた。観音堂手前の階段には折り鶴用の色紙が散乱し、記帳用の机の上に「おれの時代だ」などと書かれた色紙と石仏の頭部が置かれていた。』(東京新聞記事より引用)

石仏の頭部は観音堂の周囲に投げ捨てられ…って、えええええ!??
あらゆる意味で信じられません。そんなことする意味がどこにあるんでしょうか!!?

実は私にとってこの観音堂は子供のころからなじみの深い場所。よく遊びに行っていた場所です。小さな岩室の中にたくさんの石仏がいらっしゃるところで、普段は管理の方はいらっしゃらないながら、きれいにされていて気持ちのいいお堂があり、その周辺が岩の崖になっています。
お寺さんはもちろん周囲の皆さんが大切に守ってきたお像を、こんなに心無いことができるなんて、いったいどういうことなんでしょうか。

なんだかもう、腹が立ってしょうがありません。

詳しくはこちら↓
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20131009/CK2013100902000146.html?ref=rank

 

 

「何もない」問題について


先日の新潟旅がとても楽しい時間だったので、その後も新潟県民のかたがたのtwitterをちろちろ拝見しておりました。

すると新潟県民どうしのやり取りでちょっと気になった発言が…。

「新潟には何もない」
「関東にばかり意識が行ってしまう人が多い」
みたいなこと言い合っちゃってたんですけど、へえええ、と思いましたね。 何もない、新潟に??マジで??あんなにすごいところなのに??!…と思いましたよ。

関東の中で最も地味といわれちゃう埼玉県民としては、いろいろ共感部分は多いんです、そういいたくなる気持ちもわかります。

でも私は歴史から起こしてその土地を見る癖があるもんで、また見えてる風景が違うのかもしれない。 時代によって栄える場所というのは結構変遷があります。今栄えていても、100年前は狐が住むような薄野だったりするわけで、もちろんどちらが上、下という話ではありません。

例えば、7世紀くらいの日本地図で東日本を見ると、東日本で一番の都会は茨城県のあたりから群馬、埼玉北部中部、東京都北部あたりになるんじゃないでしょうか。 もっとひいてみると、6世紀初頭ぐらいの越の国(新潟は越の国のもっとも北に属します。ここでは広義の越の国という意味で)はある意味天下とってるし。越の国出身の継体帝とかね。

新潟って、その後も、上杉謙信とか、幕末の河井継之助とか、山本五十六とか、田中角栄とかいろんなすごい人がいますからね。すごいっすよ、ほんと。こないだ行ってつくづく思いましたが、歴史の重層的なところといい、江戸時代からそれ以降の豊かさによる文化の蓄積といい、はんぱないです。何もないって何の話ですか?みたいに思います。

新潟市内 (写真はホテルから一望した新潟市内。ほかの国だったら首都ですわ。そもそもこの都市レベルすごいと思うけどなあ。)

そういう話を聞くたびに思うのは、気づいてほしいなあ、面白がってほしいなあ、ということなのです。足元にある地面が実は見たままではないことを…。

新潟県民だけじゃないですよね。いろんな土地の人に言えると思うのです。

例えば、私が今住んでいる家(埼玉県中部)が建っているところは単なる住宅地ですけど、弥生時代からずーっと住宅地だったんですよ。何気にすごいと思うんです。見た感じではわかりませんけどね。まず、「人」の歴史という側面から見てもそんなふうにいえます。

そして、イキモノ的視野からもいろんなことが言えます。一見単なる土が広がる地面に見えても、そこに生えている「雑草」には実は美しいなまえがあるのです。そして無数の微生物や虫、さらには小さな哺乳類もいるのです。そしてもちろん大きな哺乳類・人が住んでいます。

またその土の組成もちょっと変わっているかもしれませんよ。地質学の人から見たら「お宝だ!」と騒ぐものかもしれません。地球史的に考えたらすごい何かがあるかもしれませんよ。

私は、そういうことに気付いていきたい、と思うのです。…小さいことですよ。とっても。 でも、そういうことに気付いていけるのって、すごい豊かだと、私は思っているのです。

「何もない」 という言葉があるとしたら、それは謙遜であってほしい。そう願ってやみません。

file.40 麩の吉井の「ちょうじ麩最中」


 

いちにちいちあんこ

近江の国に取材に行った友人Sちゃんが、またもやお土産を買ってきてくれました。 その名も「ちょうじ麩最中」。近江八幡の名物である「丁子麩」を使った和菓子です。

近江、っていいですよね。

私、大好きで、2度はお仕事で、もう3度は単独で行ったことがあります。近江の国、っていうか滋賀県は、特に関東の人間にとってなじみのない県かな、と思いますが、古いものが好きな人間にとっては、まさにパラダイスです。

古代史好きにも中世史好きにも、戦国好きにもたまらない土地ですよねえ。ねえ。

近江八幡は長命寺がありますし、また、水路が通る町はとてもきれいです。ゆったりしててね。いいんですよなんとも…。近江商人の町としても有名ですよね。

ちょうじ最中
前置き長くなりましたが、これがそのちょうじ最中ですよ! ピンク色の包み紙をとってみると… こんな構成!ちょっとびっくり!左が皮になる丁字麩のパッケージで、右があんこです。

Sちゃんが「あんこはあとから乗せるタイプでサクサクしてて美味しいよ」と言ってたので心の準備はしていましたが、こういうスタイルというのはちょっと初めて。 最中でも、あんこ後のせって結構ありますけど、あんこは羊羹みたいになってる場合が多いですよね。これはほんとに普通の粒あんです。
ちょうじ最中
さらに、ちょうじ麩の間には、黒ゴマペーストが縫ってありまして……

ちょうじ最中

ここに、さらにあんこをオン!

ここでふと気づくのは、皮とあんの比率が普通の最中ではありえない比率だということ。 いうなれば、丁字麩のサンドイッチってかんじですよ。

ちょうじ最中

あ、ちなみにこの丁字麩は近江の名産で、ここの領主であった豊臣秀吉が「丸い麩は持ち運びにくいから四角の作ったら?」という提案から作られたそうですよ。写真に見えるような線は街の小道を表してるんだそうです。

味のほうはというと、この最中はとにかく「丁字麩を味わう」のが目的のお菓子だということがよくわかります。風味が一番立っているのは黒ゴマ、粒あんはつなぎの役割という感じですね。とにかくサクサク軽い丁字麩が美味しい最中です。

さすがお麩屋さんの和菓子ですね。

麩の吉井(吉井製麩所)
http://tabelog.com/shiga/A2503/A250301/25003993/