muto の紹介

ありをりある.com編集長。アウトドア系出版社を経て、ありをる企画制作所を設立。編集者・ライターとして活動中。気になる分野は歴史・伝統文化・仏教・いろんな国のいろんな考え方など。好きな食べ物はあんことなす。趣味は三線弾きと剣道。

目からうろこが落ちすぎる究極の「虫食」レシピ本登場!『人生が変わる!特選昆虫料理50』/木谷美咲・内山昭一著(山と渓谷社刊)


突然ですが、少し懐かしい話です。

高校時代、考古学者になりたかった私は史学部を希望していました。進路指導の時、胸を張って「史学部を受験したいです!」と爽やかに言い切った女子高生の私に、担任の先生が「む。。。」と唸りながらじっと私を見つめると言い放ちました。

「むとう。お前は史学向きじゃない。考古学者はお前には無理だ。やめとけ」

いつもはお調子者で、ふざけたことばかり言っている先生のあまりにシリアスな表情に動揺する私。偏差値がどうだという前に「向いてない」とは何だ。そんな言い方あるかいな…とちょっとむっとして、

「…え?なんで?歴史大好きなの、先生も知ってるでしょ?遺跡掘ったりも…。私はシルクロードの研究者か、中南米の研究者になりたいんです」

「…うん。それは俺もよくわかってる。でもお前はかなり飽きっぽいし、遺跡発掘のような地味で地道なことはむいてないと思う。社会学部とか経済学部がいいと先生は思うんだ」

「いえ、そんなことはありません!好きなことはずっと変わらないし、遺跡を掘るのも大好きです!」

まったく、なんてこと言うんだ!飽きっぽいのは否定しませんが、好き嫌いが激しいだけで、好きなものへの執着度の高さは相当なものがあると自負してました。まあ、先生が何を言おうが、私は考古学をやりたいんだし、遺跡を掘りたいんだから史学部にするけどね…、と心の中でつぶやいていると、

「おれのアドバイスなんて聞く耳持たないって顔だな。わかった。じゃあもうはっきり言おう。お前、肉食べられないよな」

「……!? に、肉はいざとなったら食べられますよ。なんですか急に…」

実は今でこそ好き嫌いはありませんが、20代前半までほぼベジタリアンでした。動物性たんぱく質はほとんど食べられなかったのです。ただ、どうしても食べなくてはならないシーンでは食べられましたし、別にそんなことを急に言われても意味が分かりません。

「まあ、いい。じゃあ肉は食べられるかもしれない。でも、虫はどうだ。食べられるのか?」

えええええええ!???
虫!??なんでえ?!

「お前がいきたいと言っている中南米はジャングルが多い地域だし、お前が好きな地域は未開の地が多い。食料が少なくなったときやその土地の人がご馳走してくれた時、お前はそれをちゃんと食べられるのか?」

??!!!

そ、それは、マストスキルですか?
虫食べられなくても大丈夫じゃないの?!
だめなの??!

……当時も「めちゃくちゃなこと言うなこの先生!」と思いましたが、今思い起こしても無茶苦茶だなと思います。しかし、無茶苦茶だなと思う一方、世間知らずの私は「確かに考古学者になったら野菜ばっかり食べてるわけにもいかないのかな」と、進もうとしていた足をふと止めてしまったのです。

結局、史学部は受けましたが、どちらかというと歴史学に強い学校が受かり、最終的に入学を決めたのは全然関係ない社会学部でした。まるで先生のアドバイスが、予言のように思えたのも、無理からぬことでした……。

さて、前置き長すぎてすみません。

この私の人生のエポックメイキング、というか人生の曲がり角に登場した「虫食」、そしてそのエピソードを思い出してしまったのも、あまりにもすごい本が刊行されたからなのです。
20140718-1我が古巣、山と渓谷社からまさに本日発売!!

虫食(昆虫食)の本はここ数年結構出てますけど、こんなにお洒落で美しい、いわゆる〔レシピ本〕らしい仕上がりの本はないと思います。

著者の先生方は存じ上げませんが、担当された編集者のYさんはよく存じ上げてます。とにかくお洒落で凝った作りの本を上手に作られるんですが、その才能は昆虫食をテーマにしてさらに冴えわたっておられます。

構成もさすがです。

第一章では「見た目に優しい昆虫料理」と題打って、見た感じちょっとわからないかな?という料理を紹介。
第二章「素材を生かした昆虫料理」、
第三章「野趣を楽しむ昆虫料理」とだんだんと「昆虫色」が強まっていき、
第四章「スペシャル昆虫料理」では、お寿司やおせちなど、すっかり「お祝い料理にも堂々と昆虫使っちゃうもんね♪」とばかりに、しれっと進行させてしまいます。

す、っす、すごごご!!!!!

と、とにかくこんなすごいレシピ本、ほかにあったでしょうか、いや、ない!!!!

でも、でもね。

だからと言って、急に「虫食べたい!」と思うようになるかというとまたそれは別問題なのですけどね。しかし、この本は同業者としても目からうろこが落ちる素晴らしい本だと思いますし、物事というのはここまで極まることができるのだな、と人としての道までも何かこう、変えてくれちゃうような衝撃があるのです。

まさにそのタイトルに冠している『人生が変わる』、

…至言です。

高校時代の私にも、ぜひ見せてあげたい。しかし、(ほぼ)ベジタリアンだった私に見せても虫が食べられるようになったとは思えないんですけど、でも、なんでしょう。こういう物事へのかかわり方があるとあのころの私に教えてあげたい、とそんな風に思ってしまうのでした。

ぜひ、皆さん、手に取ってみてくださいね!!

涙腺決壊!トルコと日本、宝石のような友情の物語!!『海の翼』/秋月達郎著


いつも大変お世話になっている、PHP文芸文庫の腕っこき編集者・Yさん。

ちょっと全体通読してみて~、とお仕事振っていただいたりして、よく部分的にお手伝いさせていただいております。

今回もそんな気軽な気持ちでお預かりしたゲラ(注:校正紙)を、何の気なしに読み始めましたところ、あえなく涙腺決壊!!仕事にならず!

なんじゃ、このエエ話は~~~!!

と叫びましたよ。

それが今日ご紹介するこの『海の翼』(秋月達郎著)です!!
20140711-1

トルコが大変な親日国であることは、よく知られています。明治期のエルトゥールル号事件の話も結構有名ですので、それは私も存じ上げてました。

でも、イラン・イラク戦争の時、トルコが「エルトゥールル号の時の恩返しですよ」と言って、邦人を救うために救援機を出してくれたという、すごい事実は知りませんでした。

昭和60年。イラン・イラク戦争のさなか。

イラクのフセイン大統領は、48時間以後のイラン領空において、航空機無差別攻撃を宣告しました。この時、イランには200人以上の日本人が取り残されていました。日本政府は救援機を日本から送りたかったのですが、憲法上の問題などもあり万策尽きてしまったのです。

ほかの国に助けを求めたくてもわずか48時間です。そもそも空港の離発着の数だって限界がありますし、各国はまず自国民を救うのが急務ですから、…いえ自国民さえ全員助けられるかわかりませんから、いくら助けてあげたくても、そんな余裕はありません。

日本政府から救援機を飛ばせないと宣告されてしまった、在イラン・日本大使・野本さんと大使館の皆さんは、どうにか自分たちで日本人を助けられないか走り回ります。どうにか航空券もかき集めますが、どうしても全員が乗れる枚数は揃えられません。

そして、野本大使は、最後の助けの綱、個人的にも親しくしていた在イラン・トルコ大使ビルセルさんのもとに赴き、(親しいからこそ迷惑をかけたくない、負担をかけたくないと思っていた相手なのですが)日本人を助けてほしい、と懇願します。そして、ビルセルさんは、その場で快諾。頼んだもののほとんど不可能と思っていた野本大使に、ビルセルさんは「エルトゥールル号の、恩返しですよ」と答えるのです……。

ううう。

このくだり書いてるだけで、目頭を押さえてしまいましたよ。

エルトゥールル号事件というのは、日本に表敬訪問のため訪れていたトルコ軍艦・エルトゥールル号が紀伊半島沖で難破してしまった、という事件なのですが。この時、無心にトルコ人を助けたくて、冷たくなったトルコ人の体を、それこそ裸になって温め、自分たちの食料も投げ出して救いだしたという、紀伊大島の島民のみなさんの人間愛が、100年後になってもよいことを起こし続けているのです。

うううううう。人間っていいですねええ。

いや、もうこれ以上書くとネタばらしになってしまいますので、このあたりにしておきますが、トルコのひとたちが100年もの間、ずっと覚えていてくれたことへの感動。また、100年前、明治の日本人がした、素晴らしい行為そのものへの感動。

そして、良いことはまた良いことを生むのだ、ということへの、感動。

文化・宗教がまったく違っても相手を思いやることで、理解し、愛し合うことができるのだということを、秋月先生はそのたくみな筆さばきによって描き出されています。

ぜひ、読んでみてください!
こういうことは、ぜひ語り継いでいかねば!ですよ!

(むとう)

 

家康って半端ない苦労人なのねえ、と気づいたあなた。そんな家康の家臣の皆さんはもっと苦労人、かもですよ!?あるじシリーズ最終巻『あるじは家康』、刊行!/岩井三四二著


第一弾は『あるじは信長』、第二弾は『あるじは秀吉』と……続いてきました岩井先生の「あるじシリーズ」。

第三弾は、もう言わずもがなですよね。

そうです、『あるじは家康』、です!
20140710-1

家康と言えば、「ザ・苦労人」ですよね。

三歳、物心つくかつかないかで実のお母さんは政治的理由で離縁されて離れ離れになっちゃうし。
6歳で宗主である今川家に人質に出されるかと思ったら、途中で誘拐されて敵対していた織田家の人質になっちゃうし。
8歳の時にはお父さんが家臣に殺されちゃうし、いや、もっとさかのぼればお祖父さんも家臣に殺されちゃってるし。

ふわああ、なんですかこのすさまじいまでの、不幸の連続。

子ども時代からこんな過酷な出来事を乗り越え、生き抜いたからこそ、天下人になったのかな~、家康、本当にすごい、とみなさんも思われると思います。

が。

そこでみなさんに気づいてほしい。

この過酷な条件で生き抜いたのは家康さんだけじゃないということを。
こんな天中殺ばっかり押し寄せてきてるような、相当に不運な主君に仕えた「家臣のみなさん」がいたということを!!!

『あるじシリーズ』は、「家臣」が主役の短編連作集です。『あるじは家康』にも、嵐のような災難の中をどうにか生き抜いて、最終的に天下をとった偉人・家康に仕えた皆さんの悲喜こもごもが描かれています。

前二作に比べて、大久保忠隣、石川和正、茶屋四郎次郎、ウィリアム・アダムスといったいわゆる有名人が多いですけど、そこはさすがの岩井先生。ならではのユーモアと新しい解釈とでぐいぐいと引き込んでくださいます!
家康マニアの方にも、家康を全く知らないという方にも、ぜひ手に取ってみていただきたい、愉しい連作小説集だとおもいます。
20140710-2そして、ぜひぜひおすすめしたいのが、この三冊・一気読みでございますよ~!

並べてみましたがいかがでしょう?
O編集長、渾身のコピーがさらに効いてきますね~!

ぜひお手に取ってみてくださいね!

(むとう)

 

 

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第10回「髪を下ろす日 その二」掲載!


月日が経つのは恐ろしいように早いですね。もう上半期終わっちゃいましたよ~!!!

早くも下半期。7月に入りました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、毎月文芸雑誌『文蔵』で掲載されております、「疾風に折れぬ花あり」第10回目のご紹介です。大きな声では言えませんが、先月バタバタしていて、9回目をご紹介する前にもう10回目掲載号7月号が出てしまったのです^^;;。とほほ。
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さて、「疾風に折れぬ花あり」は、戦国時代のお話。

武田信玄の末娘・松姫の苦難に満ちた生涯を、あの中村彰彦先生が小説に描く…という、お手伝いしている立場の私が言うのもなんですけども、面白いに決まってる、というお話なのです。

実際、武田家滅亡から、甲州脱出を経て、現在お話は武蔵国八王子に身をかくす…というところまで来ておりますけれども、中村先生ならではの史料の読み込みから生まれた新解釈が随所にみられ、歴史好きにはたまらない内容になっています。

さて、前号で、武田家の死んでいった人たちを弔うため、まだ20代前半の美女である松姫さんは、出家。彼女を導いたのは心源院の卜山和尚(ぼくざんおしょう)というひとですが、和尚の温かい心配りで、無事髪を下ろし、「信松尼(しんしょうに)」という法名を授かります。

よかったよかった。これでようやく静かに暮らせるのかな?、と思いきや…

そうや問屋がおろしません。やっぱり、世の中はほっとかないわけですよ。

織田信長が本能寺の変で、明智光秀に謀殺された後、甲斐国は徳川家康の支配下に置かれるようになりました。

徳川家康というと、「鳴くまで待とう時鳥」のたとえなんかで、どちらかというと耐え忍ぶ、というか「真面目」な印象が強い人だと思います。

でも、それはお仕事の面の話であって、女性面になるとかなりの好きものだったといえるわけですね。

先生は、それを「裾貧乏(すそびんぼう)」という言葉で表現されています。

なるほど、そんな表現があるんですね。浅学ゆえに存じ上げませんでしたが、奥ゆかしくも、的を得た言葉!日本語って素晴らしいなあ。

さてさて。

「裾貧乏」、つまりは相当の女好きだった家康さんは、甲州に入ってから「女狩り」をはじめます。とりあえず、武田家旧臣の未亡人を側室にし、それだけでは飽き足らず、武田家の血筋の女性はいないか家臣に捜させるのです。

はい。そうです。気づいちゃうんですね、松姫さんの存在に!!

当時の考え方としては、松姫さんが家康さんの側室になる、というのはそんなに悪い話ではありません。武田家の嫡流を徳川家の中に残す、ということもできますし。

しかし、松姫さんは前号で出家してますからね。彼女は仏門に入って生きていくことを決めています。ですから、ここで家康さんに発見されることは、まったく彼女の望まない生き方を選択させられてしまうことになるわけです。

さあ、この難所を松姫さん改め信松尼と、その家臣の皆さんはどう切り抜けるんでしょうか!

……ぜひ、本誌面をチェックしてみてくださいね~!

(むとう)

file.72 かぎや菓子舗の「でっち羊かん」


いちにちいちあんこ「丁稚羊羹(でっちようかん)」ときいて、ピンと来る人は西のほうのご出身ですね。

関東出身なむとうは、大人になるまで「丁稚羊羹」を知りませんでした。

丁稚羊羹というのは、三重県、滋賀県、福井県から以西の各地方で作られているそうですが、その地方地方でかなりいろんなパターンがあるみたい。どちらにしても、「丁稚さんが帰るようなお手軽価格の羊羹」という特徴は変わらないみたいですね。

ちなみに滋賀県近江八幡のあたりでは「竹皮にくるまれた蒸羊羹」のことだそうです。

私がかぎやさんで購入したのは、こちら!
でっち羊かん確か、一本260えん!安い!!

これまでご紹介したいがまんじゅうや中葉が、すごく美味しかったので、この丁稚羊羹も間違いなく美味しいぞ、と思い当初一個しか買ってなかったのですが、もう3個買い足しに、お店に戻りましたよ。お店の人は、驚きながらも喜んでくれましたけど♪

そして、自宅へのお土産にしました。
でっち羊かん家に帰ってから……。さっそくいただきまーす!
あけてみますと、竹の中に蒸羊羹がたっぷりと。
でっち羊かんおお!おいしそ~!
#しかし、ぬかったことに、断面図を撮るの忘れてた^^;。

丁稚羊羹らしく、甘さは控えめ。小麦粉が少し入っているからか、ちょっとむちっとしています。そもそもかぎやさんのあんこが美味しいので、こちらの羊羹もじつに美味しい。練り羊羹のように濃い味ではなく、もっとサラッともちっといただけるって感じです。

その後、ネットで検索して知ったのですが、これはこうして開かないで、竹ごと切って分けて出すといいみたいです。確かにそのほうがかっこいい!ぬかったああ。

かぎや菓子舗
http://tabelog.com/shiga/A2503/A250302/25003922/

【関西旅】⑤植治七代目の仕事に出会う「慶沢園」/『山の神仏』展@大阪市立美術館


さて、『山の神仏』展は、想像していた通り濃厚な展示で、私はへとへとになってしまいました。余力があったら動物園にもよろうかな、なんて思っていたのはやはり無理がありましたね。

気温も急に上がったことも理由かもしれません。園内にある喫茶店で冷たいお茶でも飲んで一休みしたら、素直に京都に向かおうかしら、と思いながら、美術館を出てふと左手に歩いていると…

「慶沢園」

といういわくありげな扁額を掲げた門があります。

そういえば、この大阪市立美術館は、住友本家の本宅を寄贈したものです。だとしたら、当時最高の庭師が入ったに違いないですよ。

少々熱中症気味の痺れた頭を、どうにか動かしながら、ちょっと説明書き読んで見るかどうか決めよーっと、とよれよれしながら説明書きを見て、一気に目が覚めました。

「小川治兵衛作庭による…」

ええええ!!植治(うえじ)じゃん!!???

いやあ、ほんとすみません。油断してました。今回はとにかく「山の神仏」展を見に来たので、そのほかのリサーチはしてこなかったんです。危なくもったいないことをするところでした。

慶沢園 うっほ~!この第一歩からして、治兵衛サンっぽいわ~!石橋から眺めるこの池の美しいこと。まずは「光」のアプローチ、って感じ。残念ながら曇りでしたけど、それでも植栽に植え込んでいるツツジや花菖蒲なんかが美しく色を添えてくれてます。一雨来た後にこの光景を見れたらさらにベストだったなあ。

さて先ほどから連発してますこの「小川治兵衛」さんというのは、京都に江戸時代中期から続く植木屋・造園業者「植治」の七代目。1860年生まれですからぎりぎり幕末生まれ、明治から昭和にかけて大活躍した名作庭家です。

庭園研究家の泰斗・尼崎博正先生をして、
「日本の庭園史上、特筆すべき造園家が三人いる。中世の夢窓国師、近世の小堀遠州、そして近代庭園の先覚者、植治こと7代目小川治兵衛である。」(『植治 七代目小川治兵衛』京都通信社刊より引用)

と言わせしめているお方。あの夢想国師、小堀遠州と並ぶと、尼崎先生がおっしゃるんですもの、まさに庭園史上の「巨人」です。
20140621-1(上の本は私のバイブル。写真も美しくて素晴らしい一冊ですよ!!)

「かれらは独自の自然観、美意識、造形感覚を提示しつつ、新しい時代を切り開いていったという共通点を持つ」(同書から引用)

確かに夢想国師は平安時代の庭では表現しきれない新しい世・鎌倉時代を代表する作庭を行い、それ以降の作庭を決定づけましたし、小堀遠州も安土桃山時代の華やかさを継承しつつも、近世らしいより開かれた空気感のある方向性に、江戸初期以降の作庭を方向づけました。そして、小川治兵衛さんも江戸時代から明治期という、それまで支配者にはなりえなかった階層のひとたちが貴顕の士となった時代の写実的で開明的な作庭を方向付けました。
慶沢園

(手前は四阿。こういう四阿から池、植栽の広がりってのがまた絵になりますねえ)

この7代目植治さんの代表的なお庭と言えば、山縣有朋邸の無鄰菴(京都)、円山公園、平安神宮神苑などがあります。どのお庭も、ほんっと~~~に素晴らしいので、ぜひまだご覧になったことがない方は、観に行ってください。特に、治兵衛さんのお庭は「体感」することが大切。ただ眺める庭ではなく、実際に回遊して「五感」で感じるようにしているお庭なんですね。
慶沢園(四阿から眺めた池。手前には睡蓮、奥にはツツジがきれいに咲き始めてました)

また彼は「水と石の魔術師」なんて呼ばれたりしてます。とにかく水の使い方、石の使い方がかっこいい!!
特に石橋や、飛び石の絶妙さは、素人の私でもワクワクしてしまいます。平安神宮の飛び石「臥竜橋」なんてもう、絶妙すぎて動揺して池におちそうです。
慶沢園(この石橋なんかも、治兵衛さんぽいんですけど、なんか微妙に管理が心配^^;)

こちらの慶沢園も、いかにも治兵衛さん作庭のお庭という雰囲気が随所に残っています。回遊しながら水のせせらぎ、四阿の陰翳から、眼前を広がる明るさを感じて崎には邸宅が臨める、と。
慶沢園(洲浜のようなエリアから飛び石、水のあるエリア、島へのアプローチ、そしてその先には本邸背面。この絶妙な連結感!)

それにしても。
和のお庭にもかかわらず、その自然主義的なデザインは、洋館との相性もばっちりです。本当に不思議なことですけど…。

今回、帰宅してから、改めてこの本を開いて読んでみて、つくづく思いました。わたしは治兵衛さんのお庭がすきだ!!・・・と。

今回の出会いを、きっかけに、これから重点的に治兵衛さん作庭のお庭を見て廻ろうかしら。

それにしても、大阪市立美術館、そして慶沢園、今回かなり無理やりスケジュールに入れこみましたが、本当に行ってよかったです!

file.71 かぎや菓子舗の「中葉」


いちにちいちあんこ

さて、前回に続いて、今回も滋賀県日野町で見つけた和菓子屋さん、かぎやさんで購入したお菓子。

「中葉」です!

中葉 

……前回に引き続き、日野町が誇る名族・蒲生氏中興の祖、貞秀さんのお墓の前の日陰からお送りしております。地べたにじか置きです。すみません。

この「中葉」、たぶん「ちゅうよう」と読むんだと思います。お店の人がそんな風に呼んでいたような気がするのです。ちょっと自信がないのでネットで検索してみたりしましたが、発見できませんでした。

このひとパックで250円。リーズナブル~。

中葉一個の大きさはこんな感じ。二口で食べられるくらいの大きさですね。
中葉クレープ状の皮の中に粒あんが入っていますよ。

中葉割ってみるとこんな感じです。

生地は、なんとお味噌が入ってるそうで、食べてみると程よいお味噌の塩気と、コクがあり、モチっとした食感がいい感じ!味噌の配合のバランスが絶妙だからだと思いますが、キャラメリゼしたみたいな香ばしさも感じますよ!

小麦粉だけではなくて、餅粉も入ってるのかなあ。

あんこは、これまた品の良い甘味で美味しい!味噌のコクと粒あんのほっこりした感じがとてもよくあってます。

うううむ、これも美味しいなあ。

この前にご紹介した「いがまんじゅう」もそうなのですが、非常にシンプルでみんなが知っている素材で作られているお菓子なんですけど、丁寧に気配りをして作られたらこんな風に一段上に上がってしまうんだよなあ、お料理ってやつは…と思いますね。

素晴らしいなあ。
(続く)

かぎや菓子舗
http://tabelog.com/shiga/A2503/A250302/25003922/

 

file.70 かぎや菓子舗の「いがまんじゅう」


いちにちいちあんこ地方に旅するとき、何より楽しみにしているのは、その町ならではの伝統菓子をいただくことです。

自分で言うのもなんですが、その町で古くから続いている和菓子(お菓子)やさんを見つける才能だけは、飛びぬけて「ある」と思います。普段は小心者ですから自信があるなんてまず思いませんが、これだけは、けっこう大きな声を出して言えます。

野原を歩いているときなど、哺乳類や爬虫類の気配はすぐに察知することができるのですが(虫はいまいち察知できない)、その生き物の気配を察知するのに反応する部分を使って、和菓子屋を察知している、と思うのです。

先日も、イシブカツで石造センパイと蒲生郡日野のあたりを取材して、車を走らせているとき、「ハッ」と気配を感じました。
かぎや「む…」

そう唸ってスピードダウン、きゅいっと左に折れて駐車場に入ります。

「むとさん、ひょっとして…」
「はい。ちょっと寄ってもいいですか?」

石造センパイは、こういうシチュエーションに慣れてます。森の中でイキモノを見つける才能と、カントリーサイドで美味しい和菓子を見つける才能を、私が持っていることを知っているのです…。

お店に入ると、おおお!

当たりです。作り立ての上生菓子だけで10種類ほど。そのほかに、見たことのないこれこそこの地方のお菓子だ!と思うものを3種類発見。

いそいそと購入して、次の場所に行っておやつを食べよう、ということになりました。

イシブでむかったのは、蒲生氏郷で有名な蒲生氏ゆかりの場所。蒲生氏郷のおじいちゃんのおじいちゃんである蒲生貞秀(さだひで)のお墓です。
anko20140616-1見てください、この素晴らしい田園風景を!!
このあたりの風景、戦国時代とあんまり変わってないんじゃないかなあ。
これが蒲生氏の原風景ってやつなのではないでしょうか。

ちょっと右寄りの上のほうに赤い屋根の小屋がありますが、その左上あたりにこんもりとした部分があるのわかります?ここに貞秀さんのお墓があり、こちらの基礎部分に彫られたレリーフをみたくて、足をのばしたのです。そのお話はまた追ってですが、お参りを済ませた後、お墓の手前の木陰で包みを開いておやつタイムです。

いがまんじゅう これです~!!「いがまんじゅう」です~!

いがまんじゅうと言えば、我が郷里・埼玉県にも「いがまんじゅう」がありますが、なんと近江の地で同じようなおまんじゅうに出会うなんて!

それにしても美味しそう。あんこの入った柔らかいお餅の周りにもち米をくっつけていっしょに蒸している感じですね。ちなみに埼玉のいがまんじゅうは、小麦粉のおまんじゅうの上にお赤飯を乗っけていっしょに蒸すので、ちょっとちがうかな。
いがまんじゅうお餅はふわっとスルッともちっとしててものすごく上質。あんこはとってもジューシーなこし餡です。甘味も控えめで上品ですがきっちりアズキの風味が生きています。これだけでも美味しいと思いますが、これまたちょうどよい塩気をまとったもち米がそこに違う食感として入ってきたら、もおお!!

そりゃ美味しいですわ!

そして、この赤(ピンク)と白の色が可愛い。ふだんはこの組み合わせなんだそうですが、お葬式なんかでは白と黄色をお出しするんですよ、とお店の人が言っておられました。ちなみに味は同じです。

いや~、ほんとにこのいがまんじゅう、一気に3個はぺろりと行けますよ!

めちゃくちゃ美味しかった!!

ところで、このかぎやさん、このほかにも4種類いただいてみましたが全部美味しかった。なので、数回に分けてこちらでもご紹介しちゃいます。

いやあ、本当に見事な和菓子屋さんです。お店の方もあったかくて素敵だったしなあ。こういう出会いがあるから、旅はやめられません!

かぎや菓子舗
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file.69 亀末廣の「京のよすが」


いちにちいちあんこ京都、そして石造センパイと言えば、すぐ連想してしまうのが、亀末廣さんの「京のよすが」です。

もう10年以上前になりますが、石造センパイがお土産でこの「京のよすが」をくださったのが出会いです。石造センパイも、わたしより京都に通う率は多いと思いますが、その都度必ず買うお菓子、と言っておられます。私も京都に来ると出来れば買って帰りたいお菓子ナンバーワンです。

そんなわけで、今回も合流してまず行ったのはこの店先でした。

亀末廣地下鉄 烏丸御池駅からだと歩いて5分くらい。四条河原町からでも歩いて10分くらいでしょうか。なかなかメジャーなロケーションにありますが、一つ入った道沿いにあり、教えてもらえないとなかなか知りえないお店かもしれません。

この外観を見ていただくと一目瞭然と思いますが、昔ながらのスタイルを、自然にやんわりはんなり続けてらっしゃるなあ、というそんなお店です。お店の人もとてもあったかい感じ。

こちらは、生菓子や最中なんかも有名とのことなんですが、私はとにかくこの「京のよすが」。小さいサイズのが1000円です。今回も自分用に買いました!

そして、夜ホテルについてから、ほくほくしながらあけてみますと…
京のよすがかわいい~!まずこのパッケージからして違う!

右側は包装あり。赤い蓋のある小箱は包装紙をとったもの。「亀屋」さんだけあって、六角形ですよ。

「わあ、こんなに赤いふた、初めてかも」

と石造センパイ。いつもはもっといろんな色の入った花柄だったり、もうちょっと抑えめな感じのようです。確かに、私も何度かいただいてますけど、もう少しおとなしい感じだったかも。

「むとうさんのもあけてみてよ」

あ、そうか。ひょっとして私のは箱の柄が違うのかも??
早速あけてみますと…

京のよすが

おおお!
違う!
色が赤いですけど、銀波でしょうか、さらに激しい?感じの柄に!
京のよすがみてください~~~!
きれいすぎる~~~~~!

蓋を開けてみると、小さくて美しい干し菓子と半生菓子がこんなにたくさん詰まってます。季節によってこのお菓子のデザインが変わるのですが、今回はすごくグリーンが多い印象。

ひょっとして、新緑の季節だからでしょうか?

あ、そしてこの紫は菖蒲の紫かも?

風流ですねええ。
京のよすが干し菓子メインではありますが、あんこの入ったお餅のような半生菓子も入ってますよ。上品なこし餡をうすい求肥でくるみ、緑色の砂糖菓子で化粧がされてます。ううう、美味しいなあ。

一つ一つはとても小さなお菓子なのですが、きちんと手づくりされているからでしょうか、本当にしっかりとボリュームも感じます。この小さなお餅なんて一口でなくなっちゃいそうですけど、周りの緑色の食感がカリカリとして強いので、一口でというよりは三口でしっかり咀嚼していただく、という感じになるんですね。
しっかりとした味、しっかりとした歯ごたえ、そして美しい見た目…と、五感をフルに使っていただくからか、とにかく満足感が半端ない!

「自分へのご褒美だよね」

と石造センパイがにっこり。

いや、ほんとうにおっしゃるとおりです!

亀末廣
http://tabelog.com/kyoto/A2602/A260202/26000641

 

『仏像のお医者さん』/飯泉太子宗著(PHP文庫)


いつもお世話になっているPHP文庫のN編集長から「仏像の本でたから進呈するよ~」といただいたのが本書。

タイトルと著者のお名前を見て「あれ?これはひょっとして…」と思ってまえがきを拝見したら、…やっぱりそうだ! 『壊れても仏像』という単行本を改題して文庫化したのが本書、とあります。そういうことだったんですね!

わあ、懐かしいな~。
20140610かつて働いていた出版社で、仏教美術ものをがっつりやらせていただいていた時に、『壊れても仏像』が出版されたのです。もちろんいそいそと購入いたしました。
出版社を退職し、引越しをする際に手放してしまったので、思いがけずちょうだいしてとても嬉しい!

仏像を実際に修復されている方が、一般読者に向けて「仏像」について書かれる、というのは当時も今も、とても珍しいことですし、貴重です。

しかも、著者である飯泉さんは、当時まだ34歳とお若くて、その点でもとても珍しいことでした。内容も実はとても真面目なんですが、かなり砕けた表現をとられていて読みやすく、お人柄がしのばれる文章です。

ちなみに、余談ですが。
飯泉さんは独立される前、文化財の修復など行う美術院で長らくお勤めされておられたとプロフィールにあります。

……美術院さんか~。

これは全く私の個人的な思い出なのですが、美術院さんは何度かお写真を借りるなどのお願いで、お電話することがあったのですが、そのたびに応対してくださる方がみなさん丁寧・親切で、こころが洗われるような思いをしたものでした。

仏教美術にかかわらず、文化財掲載関係のお仕事してますと、たらいまわしにされたり、忘れられたり、ごくまれにですが関係のないことでお叱りを受けたり、…と、お電話して切ない気持ちになることもありましたが、美術院さんにお電話した中でそんな気持ちになったことはありません。

「こういう優しい方々が、仏像を修復してるんだな~、それはいいなあ~。正しいなあ~」

と一人頷きながら、悦に入ったものでした。飯泉さんもきっとそんな方なんじゃないかな、と勝手に想像してみたりして。

さて、僭越ですが、本書の特徴を私なりにご報告いたしますと。
やはり何より貴重なのは、仏像の基本的な知識はもちろんですが、仏像の修復がリアルタイムでどのようになされているか、というお話が掲載されていることです。こういったお話はなかなかうかがう機会はありません。
国指定の文化財なんかですと、まだそういうことを伺うチャンスはあるかもしれませんが、文化財になっていないもの、でも集落の皆さんが大切に守ってこられたお像についてなんかのお話は、なかなかうかがえないですよね。そんなお話もご披露されていたりして、とても面白いです。もちろん修理する当事者ならではのお話もこのご本ならではですね。

文庫化されるにあたって『仏像のお医者さん』というタイトルにされたのも、いいですよね!この新しいタイトルのイメージ通り、わかりやすく読めるように配慮された、「仏像そして修復」について書かれた貴重な一冊と思います。
仏像好きな皆さんには、特にお勧めです。もしまだ読んでいらっしゃらない方がいらしたら、ぜひ。文庫になってお手軽になりましたし!